金東椿(キム・ドンチュン)聖公会大社会科学部教授
中国の代表的知識人であり文学家の王蒙は‘低調原則’という命題を提示した。どんな事をすべきと主張する代わりに、してはならないことはしない、すなわち人が守らなければならない最低限の基本線を守ろうというのが彼の語る低調原則だ。彼が話す低調は進歩をあきらめ現状を維持しようということではなく、当然にしなければならない事はするものの、してはならないことはきっぱりとしないということ、そして自身の標準を立てた後に人をそれに合わせようとはしないことを言う。敵と自分を区分して、敵を制圧することを目標にする政治は低調原則と最も距離が遠い。世の中を変えるためには政治的情熱が必要だが、世の中が崩れないようにするには低調原則が必要だ。法の執行がそうでなければならない。
法が対象により別々に適用されるならば、それは政治行為であり暴力だ。判検事が利害当事者から金を受け取ったり影響力に振り回されれば最も凶悪な犯罪者となる。もし彼らが政治の基本原理である‘敵と自分’の区分を基準として捜査を行い判決を下すならば、その結果は訴訟当事者だけに影響を及ぼすのではなく、国家全体と社会を堕落させることになるだろう。中世と軍事独裁時期がそうだった。今日、韓国の司法府と検察はどうか?
‘安全企画部Xファイル’、すなわち三星グループがロビー対象とみなした‘餅代検事’名簿を公開したノ・フェチャン前議員は控訴審で無罪になったが最高裁は反対に通信秘密保護法違反を認め破棄差し戻しをした。 当初、検察は不法盗聴資料という理由で三星や該当検事たちに対しては調査も正しく行わず、今回 最高裁は「対話の時点が2005年にこの事件を公開した時から8年前のことだとし特別な公的関心の対象にはならない」とした。検事が財閥企業から餅代を受け取ることは絶対にしてはならないこと、すなわち犯罪行為だが、その事件はうやむやに済まされ「泥棒だ!」と大声を上げた人だけを処罰した格好になった。検察は総理室の民間人査察事件で自身が所有した会社から追い出され株式まで放棄したキム・ジョンイク氏事件でも多くの関連証拠が明らかになった大統領府の介入事実などの不法査察に対してはまともに捜査さえせずに、何の根拠もなしに彼が政治資金を提供したという告発に対しては慶弔金まで隅々まで漁り彼が公金を横領したとして起訴した。最近、裁判所は建設業者から接待を受け‘スポンサー検事’として挙論されたハン・スンチョル前検事長には無罪を宣告した。
検事が企業と癒着した事件は証拠が出てきても公益的事案でないとか代価性がないなどのあらゆる論理を動員して免罪符をあげ、政府・大企業・検察・司法府が絶対してはならないことを告発した人に対してはまるで報復するかのように処罰する姿を私たちはこの政府が始まって以来、数えきれない程たくさん目撃した。まさに‘敵と自分’の原理、すなわち一方は我が方だから無罪で、他方は敵だから有罪という原理により捜査・判決しているのではないか? このように司法府と検察が社会の基本を守ること、すなわち低調原則を守らないならば力がすなわち正義となり、国家の信頼と正当性は根元から動揺することになる。私たちは民主化以前の数十年間、検察・司法府が低調原則を放棄し独裁権力の侍女の役割をした事実をよく知っている。ところで、現政府になって以後、法務部長官や検察総師が「企業しやすい法的環境を作ろう」と言った時からすでに低調原則は動揺し始めた。特定勢力に対する過度な処罰と、反対側に対する理解できない面倒見が去る3年間に数多く反復された。
かつてガンジーは原則なき政治、労働なき富、自己犠牲なき宗教、人格なき教育などを清算しなければならない悪と名指しした。ガンジーが語ったこの全ての悪は今日、李明博政府下の韓国で顕著に明らかになっているが、今日 私は彼の‘原則なき政治’の次にもう一つ組み入れる。"権力とお金に振り回される法"。
原文: https://www.hani.co.kr/arti/opinion/column/479113.html 訳J.S