原文入力:2011-05-17午後08:04:13(1098字)
自由、平和、民主主義を象徴する光州抗争だが、それは隣人の苦痛に差し出した小さな手助けから始まった。追われる隣人に対する切なさ、追いかける公権力の暴力に対する怒り、血を流す隣人の苦痛に対する憐憫こそが現代史の水路を変えた光州抗争の母胎であった。無慈悲な国家暴力に全身を投じて対抗させたのもその小さな共感と連帯であった。
光州抗争31周年、世代が変わる町角で記念委員会が今年の主題を隣人に対する関心と分かち合いと定めたことが心に迫る理由はそこにある。おにぎり一個、水一杯、血一滴の分かち合いの連帯がなかったとすれば、その日の光州はなかった。昨日開かれた民官共同献血行事や国際人権都市ネットワーク発足および光州人権都市宣言などはこういう苦痛の共感と希望の分かち合いを記憶し拡散しようとする努力と言えるだろう。
4・19革命がそうだったように、光州抗争もやはり継続する悲壮なスローガンと重い主題の中で若さの躍動性と進取性を生かすことが難しかった。国家管理下で望月洞国立墓地はより一層重厚壮大になったが、5月光州のきらびやかな若さは剥製化され常套化されているような印象を避けられない。犠牲者のからだは土に帰るだろうが、その精神まで風化させることはできない。5月の新緑のように眩しくきらびやかだった彼らの若さは、まさにその献身と犠牲を通じて永遠の人生を得たのだった。それを継続できないならば、彼らの献身の上に今日を生きる私たちの罪に違いない。
もちろん今も君臨する加害者とその受恵者は、抗争を地域化し、そこに理念(訳注:アカ)のくびきをかぶせるためにやきもきしている。イ政府、政府系団体は抗争が北にそそのかされて起きたという とんでもない主張を堂々としているほどだ。こういう者たちの正邪論争と妨害の中で精神の継承発展どころか、その歴史的意味だけでもきちんと位置づけることすら容易なことではなかった。
そうは言っても、5月の光州を創りだした若さのその熱い情熱と献身を後から掴んでいるわけにはいかない。むしろそれを全面的に蘇らせることこそ、今日 隣人の苦痛に無関心で資本と権力の抑圧と暴力に順応するなど新自由主義体制下で崩れいく人間性と共同体を正しく立て直し抗争の精神をまっすぐに受け継ぐことだ。共感と連帯の精神でその日の若さが再び拍動するようにしよう。
原文: 訳J.S