原文入力:2011-04-25午前09:45:31(7523字)
検事 "被告は国民から青紗提灯と繁栄の夢を強奪した…懲役10ヶ月 求刑"
‘グラフィティ活動家’であると同時に‘夫’である彼の公判を見守った映画評論家 ファン・ジンミの観覧記
←パク氏が書き込んだネズミの絵
4月22日 5時 ソウル地裁 、G20ポスター ネズミの絵事件の3次公判を見に行った。津波級芸能スキャンダルが弾けているというのに、かつてソ・テジの熱血ファンであり、チョン・ウソンの思いやりをとても愛する映画関係者の一人としてリアルタイムに上がってくるインターネット記事をクリックしては驚いた胸をなだめている時間に、私が親しく法廷まで訪ねた理由は、被告が私の家族であるためだ。ソ・テジ-イ・ジア カップルとは違い、‘似たもの同士’夫婦に明らかにできないことなど何があるか。そうだ、‘ネズミの絵’パク・ジョンスと映画評論家ファン・ジンミは法的・事実的夫婦だ。
これまで2回の公判があったが、本格的な両側尋問と求刑が3次公判に延ばされた状態なので若干の期待があったりもしたが、こういう不世出のショーを見物するとは思わなかった! 80分を越えて繰り広げられた今回の公判はコメディ愛好家の私にはビッグな笑いをプレゼントするギャグ コンサート番外編公開放送であり、最高のコメディを見ながらも絶対に笑ってはいけない変態のような規則で拷問される稀有な経験だった。
#検事 "ネズミのような不吉な存在を書き込んで…" (おっと、笑ってはいけない、絶対いけない~)
出席確認と共に検事の尋問が始まった。「被告は昨年10月30日、ロッテ百貨店前でG20広報物をスプレーなどで傷つけたことがありますか?」と追想するように尋ねながら押収された証拠物をどんと机の上に載せられる(写真)。インターネット画面で十分に見てきたまさにその絵。私も実物で見るのは初めてだ。なぜかオーラが感じられて "プハッ" 笑いが漏れた。普段から試写会で少しコミカルな場面でも大きく笑い出し周囲のひんしゅくを買う私としては、本当にどうしようもない反射作用だった。判事様が厳粛に注意を与えられる。「法廷で笑ってはいけません。」しまった、まかり間違えば法廷騒乱疑惑で監置処分を受けるだろうと思いながら、手で口を塞いだ。おならをこらえるより大変だ。その時、被告席のパク・ジョンスは自身の答弁のことより、私がまた笑って監置されたら‘子供の面倒は誰が見るんだ’とハラハラしたって。
尋問は続いた。「被告は○○○、○○○などと共に事前に謀議したことがありますか?」パク・ジョンスは謀議と言うより、自分がグラフティー作業をするとつもりだ話したことはあると答える。検事、構わずに峻厳な声で追い立てる。「被告パク・ジョンスは○○○、○○○などと共に、緻密な事前準備を通じて夜間に秘密作戦を遂行するように、世界の首脳を迎えるG20行事に対し、計画的、組織的に数枚のポスターにネズミのような不吉な存在を描き入れて警察に発覚し逃走し逮捕されました。これは通常の芸術行為ではなく、組織的犯罪行為に該当します。」陳腐なレパートリーの反復。アー、検事が考えてもネズミは不吉な存在なんだね。不吉で....そんなどうしようもないことを考えて、検事のそばの椅子を見ると書類の山が一箱だ。こんな気の抜けた尋問を準備するために、山積みのような書類を読んだあんたも大変だね、それをいちいち作った事務職労働者に至ってはどれほど疲れただろうかと思うと、仇敵を愛したい気持ちが自ずと湧いてくる。
#弁護士 "どうして、わざわざネズミを描いたのですか?"
続いて弁護人側尋問. スクリーンに準備した写真を映して見せてくれる。
「被告パク・ジョンスは普段から身の回りの生活空間を、捨てられた物などを活用して整備する仕事をしてきています。これは研究室付近の小さな遊び場に被告が作って置いたものなどです。被告、これはどんな意味で作ったものですか?」 画面にはパク・ジョンスが最近、早朝に起き精魂込めて育てている別名‘ギャラリー菜園’が出てくる。「それは子供たちがフェンスを乗り越えると危ないので與隋将于仲文詩(韓国最古の五言古詩)をパロディにして(菜園1,2)…それは捨てられていた便器に睡蓮を植えたもので後上の便器に着眼して‘マノンの泉’と名を付け(菜園3)…それは男物のジーンズに土を入れ唐辛子を植えて‘男の膨らむ夢’と名を付けて(菜園4)…そっちと一組になる作品で…女物のジーンズにトマトを植えて‘女の実’とタイトルを(菜園5)…それで男の夢が実を結んで…"
これは何だ。どうしてわい談織りまぜた作品説明会なのか。ところが聞いていると妙に没入するよ、もう一度やってみて、と言いたいが弁護士がすぐに打ち切って、「こういう作業に対して最近、区庁から調査に出てきましたね?」と尋ねる。パク・ジョンスは町内の疎外された子供たちのように作業をしながら、子供たちもおもしろがって情緒にも役立つが、区庁が許可していない設置物なので危険だとして直ちに撤去をしろと言うので、担当公務員に会ったと言った。
弁護士が再びネズミのポスターの話に戻って尋ねた。「ネズミはなぜ描いたのでしょう?」パク・ジョンスは‘ネズミ’の意味を事細かに明らかにする。「グラフィティ作家として有名なバンクシー作品の相当数がネズミの絵です。それを見てインスピレーションを得、図案も取ってきました。ネズミはまた、G20と発音が同じですから。当時、G20行事を準備する過程で政府が88オリンピックの時のように外国人に会えば挨拶をしろと言い、40兆の国家収益が出るとしてあたかも行事が終わりさえすれば先進国になれるという風な広報をしていて、私はそれに対して自らアイディアを出して諷刺的な意味で加筆をしたのです。」「そのことが犯罪に該当すると考えませんでしたか?」「グラフティー作業は一種のサブカルチャーで、路上ブレークダンスのように警察と咎められることはありうると思いました。しかし、訓戒程度で処理されると思っていましたが、拘束令状が請求され70時間も留置場で拘禁され、このように裁判を受けることになるとは思いませんでした。私は公共物を傷つけたとは思いません。公共物、すなわちどこの誰のものでもない皆の財産であるあのポスターに、市民の一員として一種の参加をしたのです。」
#被告“芸術と法は違う次元で…”
検事はこういう雰囲気に耐え難いというように、先ほどよりはるかに激昂した声で尋ねる。「遊び場に植木鉢は設置しても片づけることができるが、ポスターのネズミの絵は分離が不可能なので明白なき損ではないですか? そして遊び場に乗り越えるなという意味の設置物を作ることは遊び場の趣旨に適うが、このポスターに不敬なネズミを書き込んだことは、ポスターの趣旨に反することではないですか? そして住民の申告で逮捕されたが、彼らが見てもこれは芸術でなく犯罪という証明ではないですか?」
的を射た質問でムードを反転させたと得意満面な検事とは違い、被告の返事はすっきりしない。
「そうですね。官の立場は2つを違うとは考えなかったようですよ。これは官が設置して広報するものなので、民は異議を唱えたり いかなる別のものも付け加えずに そのまま設置された通りに利用して、広報し次第それに従えということです。私はそこに私なりの意見をユーモラスな芸術の方式で表現して市民的参加をしたのです。そして当時 申告した住民が市民社会全体の意見を代弁するとは考えません。」
検事の怒りゲージが急上昇したのか、ほとんどシャウティング水準で叫びまくった。「被告は芸術を云々しながら、芸術行為を法より優位に置かれた新たな立法者と見なし、不法な方法で意思表示をしました。そしてバンクシーの権威に寄り添って自身の行為の正当性を得ようと考えています。」(だいたいこういう意味の話だけど、検事が言った通りにすると絡まってしまって、わかりにくいおかしな文章になってしまった。残念ながらその不思議な碑文は正確に書き写せない。)
「何を仰っているのか…私は芸術が法の上にあると考えるわけではなく、法とは違う次元にあると考えます。なので、法の基準でなく市民社会的基準で容認されるのではないかと考えたという意味です。およそ2年前には公営放送KBSでグラフィティを紹介する番組も放送しましたし。ソウル市デザイン事業を広報するポスターにおもしろく吹出しを入れた友人たちにも1千万ウォンの罰金を払わせるという脅しをかけたりしましたが、処罰されなかった例もあります。私がバンクシーの権威に寄り添ったということも理解できません。バンクシーが英国市民たちに愛されるグラフティー作家ではありますが、既存社会や芸術界に何らかの権威を持った存在ではありませんよ。私はただバンクシーの作業からインスピレーションを得て、私の作業もそのような脈絡で理解されることができないだろうかと考えたという意味です。」
#判事「ポスターに誰も彼もが象を書き込んだとしたら…」(「ウン...問題ない~」)
この時、判事が介入した。「被告がネズミを書き込むことによって。あのポスターを元々描いた人の芸術作業が侵害されたとは考えませんか? そして被告がネズミを書き込んだように、また他の誰かはそこに象を書き込んだりすれば、本来のポスターとしての価値が喪失されますが、それは公共物き損になると考えられないですか? 遊び場にも被告のようにまた他の人々が皆何かを設置すると言えば、公共性が毀損されないですか? そしてバンクシーがまだ匿名で活動をしているのはそれが犯罪だということを傍証するのではないですか?」
判事の質問はそれなりに新鮮だった。‘君の意志の準則が普遍的’と語ったカント式に思考してみようということだ。ところで判事が言った状況を想像してみてもそんなに悪いとは思えない。もちろんそのような場が開かれたとしても皆が何かを書き込んだり作ることはできないだろう。能力や欲求ある人々がそのような行為をすることで、適当な自浄的淘汰過程を経て濾過されるはずだからだ。
なぜ制裁がなければ無秩序が全世界を覆うと考えるのだろう? なぜ秩序は官の強制によってのみ維持されると考えるのだろう? だから法の論理は‘公共(public)=官(government)’と思考するわけで、ネズミの絵やギャラリー菜園は公共を市民自律(civil)の次元で思考しようという政治哲学的意味があるんだね、そんな考えにふけっていると、被告が答える。
「世界最高の警察力とCCTVを保有した英国で、バンクシーがずっと活動できるのは 彼を逮捕できないためではなく逮捕しないためです。バンクシーが匿名を維持しているのは犯罪性のためではなく、グラフィティ作業が持つゲリラ的な性格と合致するためであり、また自分の名前で作品を所有し販売する作家になることを拒否するためです。真の意味の公共性に則り作品を市民社会に回してあげたいということでしょう。また、むだな有名税で煩わされたくないからでしょう。」
オー、私の夫がいつの間にバンクシーについてそんなにたくさん勉強していたとは、大いに感心して讃めるに値すると思った瞬間、検事が最大限にトーンを高めて言う。この法廷でしきりにバンクシーが言及されることが、おかしな策略に巻き込まれる感じがするというように、とても神経質に大声を張り上げた。
#検事「青紗提灯と繁栄の夢を奪い強奪した罪、懲役10ヶ月求刑!」(びっくり~)
「このポスターを見て下さい。青紗提灯は古くから大事なお客さんをむかえる時に使う物です。ところが、この青紗提灯をあたかもネズミが持っているように絵を描き入れました。本来のポスターには誰が青紗提灯を持っているのかは出ていません。しかし私たちはその場所にある者が誰なのか、誰でなければならないのかを知っています。それはG20大会を通じて先進国へ跳躍し国家の繁栄を成し遂げるという我が国の国民、我が国の子供たちがいなければならない場所です。被告パク・ジョンスは我が国民と子供たちから青紗提灯と繁栄に対する夢を強奪したのです。奪ったのです! かかる被告人パク・ジョンスに懲役10ヶ月を求刑します。共に犯行を謀議し現場付近でパク・ジョンスと連絡を取った被告○○○には懲役8ヶ月を求刑します。」
検事は声が割れて音が外れるほど熱弁を吐いた。‘奪われて強奪された夢’うんぬんで喜劇性は絶頂に達した。瞬間荘厳な愛国歌がバックミュージックに流れるような幻聴が聞こえた。顔がかっかとほてり、手足がうじゃうじゃとうごめくのに、一方では妙なインスピレーションに鳥肌が立った。アー、このカルト的な感じは何だろう? ネズミが置かれたその場所、先進国への跳躍、国家の繁栄、子供たちの夢、強奪、そして何 懲役10ヶ月? (言うだけなら何でもいいのか? 子供はあんたが来て見てくれるの?)
アー、検事は本当に自身が口にしている言葉を信じているのか、でなければ信じているフリの演技をしているのか。捜査過程で悪感情が積もった捜査検事でもない、捜査検事があげた書類だけを見て公判をする公判検事にあんな類の怒りはどこに由来するのだろうか? イデオロギー的確信? それでは検事は今ネズミの絵が政治的でイデオロギー的だという論駁をしている筈ではないのか? だが、あの検事の話より一層政治的でイデオロギー的な言葉がどこにあるのか? したがって国家主義イデオロギーの他には如何なるイデオロギーも容認できず、それを表現すれば法律違反行為になるという意味?
わー…あの場面をそのまま撮った動画をユーチューブに上げたら、ソ・テジ スキャンダルと共に検索語順位を争ってみることができたはずなのに、惜しい。誰か<100分討論>に市民論客でも出てきて、あんな論理と語り口で雄弁を行ったとすれば翌日‘病リムピック スター’へ急浮上したはずなのに。これをこのまま短編劇映画に再現してみればどうだろうか。 <右翼少年ユン・ソンホ>のようなブラックコメディ? この場面を長編劇映画に挿入すればどうだろうか。誰かそのような映画を撮れば私のような評論家から‘検事をとても幼稚に描くことによって尖鋭な政治的葛藤を検事の人格問題に還元させ議論を低劣に縮小させてしまった’として非難されるに丁度良い設定ではないか。
やはり現実は映画を圧倒するんだな。バンクシーの公共芸術がどうだとか、公共性と市民的参加がどうだとかいう水準の高い芸術的・政治的談論がこの地には本当に似合わないブザー音なんだなという思いと同時に、だからここはG20で先進国になってみようとやきもきする後進国大韓民国が相応しいんだねと思ってはっと気がついた。
#被告人最終陳述“私は…何もしません!”
判事が「被告、最後陳述して下さい」と進行をした。パク・ジョンスが言う。
「ポスターに対してであれ菜園に対してであれ、私の行為に対する官の反応は一つです。国家がすることに何もせずに、ただ与えられた通りに受け入れろということです。ポスターにネズミを書き込んだ行為が懲役10ヶ月に該当するとは、法の前に立った一般人として、とても当惑し……怖くなります。それなら…私は…もう……何もしません。何も!」
これはまた、どういうことか? これからは法律違反を犯さないという反省なのか、そうでなければお前たちがそんな類なら私も止めるという冷笑か? 内容上は反省だが、話の形式は変にすねたようで何かなだめたり捕まえなければならないような妙な余韻を残す。判事はあの話を反省と理解するのか、でなければまあ、必ずしもすべてしないという意味ではなくて…なぜ、もっとしてみよう、こんなわびしいことを、と受け止めるのか。
宣告は5月13日に先送りされた。法廷の外に出てくると、80分間 無理にこらえていた笑いが溢れでてげらげら笑った。他の人々は懲役10ヶ月を求刑されたので何がおかしくて笑うのか尋ねる。良い悪いを離れて、笑わせることを笑わないようにする拘束から抜け出した生体反応がしばらく続いた。あそこで仕事をしている速記士や秩序要員たちは笑いたくても何とかしてこらえて。ポンナム氏のお言葉によれば我慢すれば病気になるのに。検事はどうして笑いもせずにネズミの絵を真っすぐ指して「繁栄した国家に向けた子供たちの夢を強奪…」などという台詞を自己確信に満ちたように話し、さらには完ぺきな怒りを表せるのだろうか? 可笑しくて珍しいとは思いつつも、一方ではやっぱり駄目だと思うのは錦の御旗のためなのか。笑いそうになるのを必死にこらえて、それもすでに大衆の関心から遠ざかった事件に一箱分の書類の束をひっかきまわし、精一杯に顔をしかめて話をする検事も本当に3D業種だなと思う惻隠の情に襲われる。家に帰ると地下鉄セクハラ現行犯が現職判事だったというニュースが出てくる。理解出来ないでもない。そのように人間の感情を抑圧した作業環境で一日中疎外された労働に苦しめられ、ひたすら法の定規の他には他の価値を考えられない判検事であれば、欲望もやはり自然に発散されることができずにタブーに対する一次的違反に集中し、退廃性接待を受けたり地下鉄セクハラに向かうということだろう。 果たして抑圧は変態を産むんだな。
#“私の娘、口に糊しても溌刺とした芸術をしながら生きろ”
60年代、古物商を営み盗品取得疑惑で法廷に立ったという私の両親は、判検事の威厳に感銘を受け「いやしい商人として生きずに判検事になれ」と子供たちに教えられた。だが、私は私の娘にこのように話したい。
“大麦3斗しかなくても、口に糊して暮らしたとしても、溌刺とした芸術をしながら生きろ。疎外された判検事などになるつもりなど絶対せずに!”
ファン・ジンミ映画評論家
原文: https://www.hani.co.kr/arti/society/society_general/474519.html 訳J.S