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[ホン・セファ コラム] ソウル学生人権条例のために/ホン・セファ

原文入力:2011-04-03午後07:46:07(1789字)

←ホン・セファ<ルモンド ディプロマティーク>韓国版編集者

ソウル特別市学生人権条例制定請求人のひとりとしてこの文を書くという点を読者が容認されんことを望む。市民の力でソウル学生人権条例制定を発議することができるよう請求人名簿作成を始めたのが昨年10月27日だ。市民に広く知られないところが大きいが、ソウル市有権者の1%である8万2000余人以上の署名を集めなければならない6ヶ月の法的期間が4月26日に迫った。しかし4月3日現在、集まった署名者数は3万にも至っていない。ややもすれば6ヶ月間の努力が無駄になるところだ。守旧勢力の「お前たち、声が大きいだけ、やはり無能だ!」と皮肉る声は飲み込むにしても「私たちが望む社会は他人が代わって用意してはくれない。我ら自らが作っていく」という信頼を持った主体的市民たちの直接民主主義の試みが水泡と消えることを考えればみじめな心情を隠せない。

私たちは狂信者たちよりさらに熱情的な人には会うことができないが、狂信者の後に次いで熱情的な人は極右勢力と私益追求集団だ。繰り返し強調するが、狂信と極端主義、そして私益追求はそれ自体に情熱が含まれている反面、人権と民主主義、公益と社会正義はその中に情熱が含まれているとは言えない。私たちが人権と民主主義、公益と社会正義を指向する時、それ自体に含まれていない情熱を意志の力で結合させなければならないわけだが、そのことが積極的な参加と実践が目覚めた民主市民の兆候となる所以でもある。

人は誰でも窮極的に自分の身が置かれる席に関心を持つ。私たちのからだが置かれるすべての席が人間の尊厳性を充足させるように願うならば、その出発要件は人権尊重にある。民主主義が私たちに限りない励精を要求する理由が私たちのからだが位置する暮らしのすべての現場、すなわち、自宅、仕事場、学びの場で私たち皆が主人にならなければならないためならば、学生たちの学びの場であり教師たちの仕事場である学校が民主的な空間になることは言うまでもなくその一次的要件はそこに身を置く皆の人権が尊重されることにある。

何よりも学生たちが学びの場である学校で差別と暴力から自由な環境に慣れなければならない。自分の人権が尊重される時、他人の人権を尊重することができるためだ! 学生たちが重要な人生の住みかである学校で注入式暗記教育から抜け出し自身の問題を自ら解決する力を育てる時、民主市民に成長することができ、ひいては労働者の権利、少数者の人権に関し学び尊重しようとするなら学びの場である学校に人権の価値が力強く根付かなければならない。

学生人権がいわゆる教権と衝突すると見る一部の主張がある。それは私たちの近代教育が軍国主義日帝強制支配期に根をおろした歴史過程を認識できないところから来た短見に過ぎない。教師たちが自分の仕事場である学校で主人なることを願う時、先ずしなければならないことは権威的、官僚的空間として残っている学校を民主的空間にすることであり、それは学生人権の伸長と同一線上にある。自分が尊重される時に他人を尊重するように、自分が服従する時は他人にも服従を要求するものだ。抑圧に対抗するより服従を内面化した教師であるほど教権を前面に掲げ学生たちに服従を強要するのでないかと振り返ってみなければならないだろう。

市民の自発的発議による学生人権条例制定は投票権がない後世代たちのために既成世代が先頭に立つという点で‘私の子供利己主義’を抜け出した‘世代間連帯’の素敵な例となるだろう。現在のソウル市議会の構成を見る時、市民発の要件さえ充足させるならば条例の制定は可能だろう。この文を読むソウル市民に請求人となってくれることを丁寧に頼む。(方法は簡単です。www.sturightnow.netに接続し、請求人名簿署名紙をダウンロードし作成した後、決まった住所へ受信人負担で送れば良いのです。)

<ルモンドディプロマティーク> 韓国版編集者 hongsh@hani.co.kr

原文: https://www.hani.co.kr/arti/opinion/column/471162.html 訳J.S