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[朴露子ハンギョレブログより] 餓死を勧める社会?

http://blog.hani.co.kr/gategateparagate/31899

原文入力:2011/02/11午前02:58(3544字)

朴露子(バク・ノジャ、Vladimir Tikhonov)ノルウェー、オスロ国立大教授・韓国学

故チェ・コウン作家の餓死の話を読んでから、ほとんど他の事を考える余裕など持てないほど、この無惨な「餓死」のイメージがどうしても頭から離れません。これは人間にとり避けられないことかもしれません。実は、「餓死」とは人類の生まれつきの悪夢のようなものです。人間の最も重要な行為の根底には、「飢え死にしないため」という目的意識が常に根差しています。飢え死にしないために群れをなし一緒に狩りや耕作、家畜を飼うことをしてきたのであり、飢え死にしないために家族を作り子供を生んできたのです。実際、自然経済のような状況において「子供」とは最も確実な老齢年金の一種です。人間に繁殖本能があるとはいえ、この本能は他の動物とは異なり必ずしも絶対的ではありません。子供のことなどに気にすることなく、自分の人生を楽しんだ後はきれいさっぱりこの世を去りたいという人々が、私の周りにはたくさんいます。ただし、彼らには老後に飢え死にしないための、子供ではない他の形の保障があるので、このような世界観の確立が可能です。「共同体」も、その核心的な形態としての「家族」も「餓死からの逃避」の手段であれば、人間の倫理道徳もそうなのです。東アジアの伝統社会における根本徳目は「孝行」でしたが、そこから派手な修辞を取り除き中身だけを取り出せば、「君に食べさせてくれた親たちを死ぬまで食べさせてあげなさい。飢え死にしないようにしなさい」ということです。家父長的な社会と搾取的な国家に必要な形態を取ったのが儒教的な孝行ですが、その核心は、実は民たちの「飢え死にしないための世代間の無言の協約」でした。生産手段をそれなりに所有していた農民たちを、労働力以外は何も所有できない労働者に作り上げる「近代」を、彼らは何故にたいてい歓迎したのでしょうか。目まぐるしい技術発展が「餓死」という人類の永遠の悪夢を退治させるかもしれないという期待があったためでしょう。ところが今度はその悪夢が再び私たちの前に蘇ってきたのです。

今、北朝鮮も資源と技術的発展の限界でこのような側面が残っておりますが、朝鮮半島の伝統社会は「餓死の影」から脱したことはほとんどありませんでした。たとえば、エリートたちには開化期とは「新しい文化の到来期」だったのですが、基層の民衆には従来の餓死の列に虎列剌(コレラ)などの外来の疾病まで加わったため さらに悪化した時期だったといえるでしょう。新しい文明は都会に渡来したものの、安い外国織物の輸入による家内工業の没落と米の輸出による穀価の高騰などで疲弊する朝鮮の農村では、餓死は相変わらず蔓延していたのです。開化期のメディアなどは餓死を当然視し、あまり気を配りませんでした。凶作のため約400人が近頃餓死したと、簡単に伝える興陽郡守(全南)の報告が載っている1906年5月11日付の『皇城新聞』のように、淡々と事実だけを報道する例が普通でした。しかし、開化のエリートたちは無関心であっても、民たちは互いを餓死から救い出そうとして最後まで、文字通り死ぬまで努力したりしました。家族たちが、村の隣人たちが、一門の人々ができるだけ助けることはきわめて当然のことでした。3.1運動が終わり朝鮮に「社会」や「公共性」という観念が浮上するようになってから、マスコミたちはようやく餓死を防ぐための努力を社会化しました。たとえば、凶作によって1925年の初春に全羅南道咸平郡に餓死の危機が発生すると、『東亜日報』はこれを迅速に報道し(1925年2月10日)、「社会」に助けを求めました。「社会」も動くようになりましたが、極度に貧しい朝鮮で餓死がそれでもわりと珍しく例外的なことであり得た理由は、「家族」や「村」という核心的で「自然な」安全網がそれでも相変らず強固であったためです。アメリカからの援助と家族という保護膜のお陰で、極めて無能で腐敗した李承晩政権下でも戦争で荒廃した朝鮮半島の南部で大量の餓死者が出ないで済んだでしょう。1950年代の新聞には年に数回ほど餓死に関する記事は出るものの、たいていバラックに住む身寄りのない細民、乞食、親のない乳児や少年、少女などといった家族主義社会の落伍者たちが餓死するケースが多かったのです。1960-70年代の産業化で彼らにも機関への収容や就職の可能性が生じ、餓死の悪夢はいよいよ歴史の彼方へと消えたかのようでした。ところが、今やその悪夢は再び蘇らざるをえない状況が生じました。

巨視的に見ると、韓国社会はここ10~20年間で見間違えるほど変わったものの、資本と国家はそのままか むしろ退行しています。たとえば、労働者として人間らしく生きていけない社会であるため、肉体労働の忌避や極度な学歴競争で今や高卒の8割以上が大学に進んでいますが、製造業中心の韓国経済はこれほど多くの大卒者たちを収容する能力はまったくありません。下請化した中小企業が約80%の雇用を担当し、労働者たちを殺人的に搾取することにより財閥の輸出品の価格競争力を支えている労動搾取型の極度の後進的構造であり、その構造の中では若い大卒者たちがその夢を生かせる可能性はゼロです。また、韓国における家族解体の速度は、ヨーロッパやアメリカを圧倒するほどです。「親の扶養」も古語になり、出産率も世界最低の新記録を更新しており、離婚率もヨーロッパの平均以上であり、「結婚は必須」という観念もすでにほとんど消えました。社会が完全に個体化してしまったのです。しかし、それにもかかわらず、資本も国家もこの幾多の原子化した個体の疾患や老後、育児などを手助けし、支えていくだけのいかなる安全網もまともに作ってはくれなかったのです。親との親密な関係はすでに薄れつつあり、結婚はまだしないか、あるいはしようともせず、親友もいない原子化した個人は大韓民国では安心して生きていけないのが現状です。それでも正社員ならまだしも幸いですが、食べる手立てがいきなりなくなったら?自発的に―たとえば身も心も破壊する長時間高強度労働に耐えられなくなり―辞めれば失業手当すらもらえませんが、解雇されたら、雇用保険に加入していた期間が失職前180日を超過した場合、最長で240日までは雀の涙ほどの手当てはもらうことができるでしょう。240日間に再就職ができなかったら?現在の制度のレベルでいえば、乞食になるか飢え死にするしかないでしょう。家族が解体した後の大韓民国の姿です。もちろん、現実的には大多数の失業者は飢え死にするよりは、ねずみ講式販売をしてでも、あるいは露店で商売をしてでも工事現場で労働をしてでも、身を売ってでも、身をぶち壊してでも、手当たり次第何でもやりながら生存を図っているのです。ところが、もし病気でそれさえもできなくなったら?チェ・コウン作家の後を追う可能性は非常に高いです。

もし働けないすべての人々に期限なしに無償給食や生存が可能なだけの手当てが支給される普遍的な生活保護制度と、240日までではなく就職までの失業手当の支給制度が整った安全網が作られなければ、これからの大韓民国の姿を想像するのは極めて簡単です。選り好みする余裕もなく自分の学歴と無関係の搾取的な企業に入って生存をはからなければならない若い人才たちは、家族という保護膜も持てず、解雇されたら直ちに「餓死」のような無惨な未来に直面しなければならないはずです。解雇されないためには、死に物狂いで搾取者たちのすべての要求に応えるために身も心もすべてぶち壊さなければならなくなるでしょう。この社会では絶望が支配的なモードになるはずであり、絶望により自殺、麻薬、犯罪などが増え、経済成長率よりはるかに高い成長率を誇るはずです。絶望的な故国を離れる高学歴の若者の人波は、ありとあらゆる手段を講じてでも外国に出ようとするはずであり、そこでも各種の搾取者たちの容易い餌となるでしょう。絶望に陥った「高学歴・低賃金・不安定」労働力のおかげで資本はさらに利潤を上げるでしょうが、労働者にとっては大韓民国は文字通りの無間地獄になるでしょう。この無間地獄の到来を阻む唯一の方法は?世界で最も古い国であるエジプトの民衆たちに権力型泥棒たちを追放するための方法を早いうちに学んでおくことでしょう。

原文: 訳GF