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[朝の陽射し] ‘金大中’と‘私たちの時代の平和統一論’/キム・ポグン

原文入力:2010-08-12午後11:22:55(1803字)

←キム・ポグン スペシャルコンテンツ部長

金大中前大統領が未だに涙を流しているようだ。来る18日、彼の逝去1周忌が近づくほどに悲痛がる最後の姿がより一層生々しく近づいてくる。彼が最後まで憂慮したことが現実化しているためだ。対決に駆け上がる韓半島の状況が代表的だ。
彼は最後まで南北和解に寄与しようと考えていた。彼の逝去後に形成された弔問政局がその一例だ。対決状況にあった南北が、彼の逝去に直面し方向転換を模索した。北韓は弔問団を派遣し、李明博政府は任期中で唯一南北対話を真剣に模索した。だが、1年が過ぎた今、韓半島はますます濃い暗雲に覆われている。金前大統領がこういう様子を見るならば、容易には涙を抑えることができないだろう。

現在の韓半島を覆った暗雲の核心の一つは‘平和統一論の不在’だ。韓半島平和定着と統一に進むための大きな地図がないという話だ。李明博政府の強硬対北韓政策は、吸収統一論に土台を置いていると見なければならない。だが、イ政府はこれを統一論として議論することさえ出来ずにいる。北韓の反発を招くばかりでなく、実現可能でもないためだ。吸収統一論を要約すれば 「北韓が崩壊すれば吸収し統一する」であろう。だが、すでに多くの学者は韓国の経済力と国際政治を考慮する時、「たとえ北韓が崩壊しても吸収するのは中国だろう」と展望している。

それでもイ政府は北韓崩壊を想定するが如き対決政策を強化している。支持勢力の理念的指向のためか、現況を把握する頭がないためか、よく分からない。どちらであろうが、イ政府の‘暗黙的統一論’はややもすると韓民族の活動範囲を統一新羅の時より狭めてしまいかねない。

こういう‘無鉄砲(無条件式)統一論’が‘金大中’をより一層考えさせる。彼は南北対決主義が猛威を振るった独裁政権下で、平和統一論の萌芽を編み出した。1971年大統領選挙の時、平和共存-平和交流-平和統一の3段階統一方案を提案し、1973年にはこれを発展させ、共和国連合制案を出した。その時点はどいう時代だったか。冷酷な維新独裁を前後する時期だった。それよりわずか10余年前にチョ・ボンアム進歩党党首は平和統一論を主に主張したこと等が口実となり死刑に処された。彼もまた自身の統一方案のために しばしば容共に追いやられ、1980年に死刑宣告を受けた時もこれが罪目の一席を占めた。

だが、彼が命をかけて植えた平和の種は、結局は逆らいえない流れとなった。‘死の5共和国’を越え、盧泰愚政府は彼の統一論を認め一部採用した。彼自身も大統領になるや南北首脳会談を成功させ自身の統一論を部分的に現実化した。ところがイ政府がその‘平和’を消していきつつあるのだ。

そのため一層‘私たちの時代の金大中’が切実に求められている。李明博政府の対決的対北韓政策に対抗し、平和統一に向けた羅針盤を提示する人が必要だ。これから掲げる‘私たちの時代の平和統論’は、独裁時期に金大中が示した勇気を手本としなければならない。

どこから始めなければならないのだろうか? 2000年に金前大統領と金正日国防委員長が合意した6・15共同宣言の2項にならざるをえないだろう。ここで両首脳は「国の統一のための南側の連合制案と北側の低い段階の連邦制案が互いに共通性があると認定」している。平和統一方案が南北内部の合意と南北間の合意という‘二重の合意’に基づかなければならないという点で、この条項は最も現実性のある議論の出発点だ。

だが、民主党を含む野党と進歩勢力も、李明博政府の対決政策を批判するだけで、実際に‘私たちの時代の平和統一論’を共に作る仕事はおざなりにしているようだ。南北指導者が合意した‘連合と連邦’という単語と直面することを敬遠しているためかもしれない。しかし‘李明博時代に金大中式統一論を発展させること’、それは逝去1周期を迎える金大中に贈る最も大きな敬意であり、最も意味深い献花となるだろう。
キム・ポグン スペシャルコンテンツ部長 tree21@hani.co.kr

原文: https://www.hani.co.kr/arti/opinion/column/434887.html 訳J.S