原文入力:2010-07-04午後09:12:05(1785字)
←キム・ヒョスン論説委員
普段TVドラマをほとんど見ず芸能界の流れにあまり関心がないために、韓国大衆文化に関心の高い日本人たちに会えば対話を引っ張っていくことに困惑している。なぜか駐韓日本大使館勤務外交官たちと会って話せば、私が見たり聞いたりしたことのない映画やTVドラマを相手方が先に話題として切り出す。七・八年前だったろうか、韓国戦争の悲劇を扱った映画<太極旗を翻して>が製作されているということも日本人外交官から聞いた。撮影セット場が観光コースになり映画が開封される前からおばさんたちが海の彼方に集まっているということだ。映画の日本名が‘ブラザーフッド’と命名されたということもその時に初めて知った。
数日前、若くして突然亡くなった芸能人パク・ヨンハに対するエピソードは和田春樹東京大名誉教授から聞いた。金大中大統領が退任し、東京大の招請を受け訪日したのは2005年5月のことだ。東京大安田講堂で講演をすることが主目的だったが、当時実務的に招請作業を主導した人が和田教授と姜尚中教授だ。姜教授は在日同胞として初めて東京大教授になった人だ。和田教授は姜教授とともに羽田空港に出迎えに出て、前職大統領を迎えるのに儀式をあまりにおろそかにしたのではないかと心配したという。
だが、金前大統領が空港ロビーに入ると、すぐにあちこちから歓声と拍手が溢れた。理由を調べてみるとパク・ヨンハを見に出てきた日本の女性ファンたちが金前大統領の顔を見つけて歓迎の拍手喝采を送ったのだ。和田教授はパク・ヨンハのおかげで体面が立ったと話したが、話を聞いた時には私はパク・ヨンハが誰か知らなかった。
韓流ブームにはまった日本人たちが、どれほど献身的且つ真剣に行動するかはパク・ヨンハの悲劇的死を契機としてでも確認された。多くのファンたちが葬儀室に駆け付け弔問し、彼の最後の道を見守った。日本でも哀悼の雰囲気が広がり、レコード販売も急増したという。逆の場合を想定してみれば韓国人ファンたちの反応がどのように現れたかも想像出来ない。
韓流ブームが日本人たちの韓国認識を高めてくれたことは疑いの余地がない。地方の小都市に行ってみても韓国ドラマや芸能番組を見るために韓国語を習おうとする日本人女性たちが結構いるということが分かる。これらの人々は元々韓-日関係にほとんど関心のなかった層だった。それでも韓流ブームに没頭し、多様な経路で韓国に対する知識を吸収する。女性だけではない。男性も<砂時計> <ソウル1945>のようなドラマを見た所感を話す。これらはこういうドラマを通じて光州抗争を実感し、解放後の親日派問題が韓国社会でどれほど敏感な問題であったかを理解する。
日本にはDVDのような映像物やCDを貸す大型店舗網が活性化している。ある日本人教授は、私にそのような店舗網に接触し日本人たちが主に借りる韓国映画やドラマが何なのか、その中で政治・社会的メッセージを含んでいるものがどれくらいあるのか、統計資料を作ってみろと薦めたことがある。力が及ばず実行に移すことができなかったが、調査をしてみればおもしろい流れと現象があきらかになりそうだ。
主要都市の夜に人通りが閑散とするほどに旋風的人気を呼んだという砂時計が国内で初めて放映されたのは1995年初めだ。すでに15年前のことだ。この作品の台本を書いた作家や演出した方が、10余年後に日本人たちがこの作品を通じて韓国現代史を学ぶだろうという想像をしてみただろうか? <ソウル1945>は国内で訴訟対象にまでなったが、解放された韓半島がどうして混乱に陥ったのかを見せる教材となる。軍事法廷で死刑宣告を受けたある政治家が、後日 選挙を通じて大統領職に上がるのを見て、韓国民主主義の躍動性を理解し韓国という国全体を再評価することになったという日本人たちが少なくない。映画・ドラマ製作に従事する方々が、この点を意識するならば韓流ブームは両国の和解により大きい寄与をするだろう。
hyoskim@hani.co.kr
原文: https://www.hani.co.kr/arti/opinion/column/428805.html 訳J.S