原文入力:2010-02-23午後08:48:49(1681字)
←キム・チソク論説委員室長
歴史を見るうえで容易ではないことの一つが時期区分だ。政治権力の変動を基準として捉えれば理解がやさしいが、内的な論理がぜい弱な場合が少なくない。
これと関連してイ・クグン東国大教授は、考察に値する思考バターンを提供している(<憲法>)。着眼点は‘集団的に憲法に関する質問が提起された時期’だ。1948年,60年と61年,87年,2008年がこれに該当する。各々、制憲,4・19革命と軍事クーデター,6月民主抗争,ろうそく集会と結びついている。これらの時期に国民は‘憲法の本質’を問い、それは結局権力の正当性を問題視するということだった。
米国の国際情勢分析家のジョージ・フリードマンは米国史を5時期に分ける(<100年後>)。各時期は50年内外の幅を持ち、新しい階級と経済モデルが既存モデルと支配階層を抜き登場し、次のモデル・階層に席を渡す時まで維持される。最初の周期(1776~1828年)には‘建国の父’から西部開拓者に社会主導階層が変わり、この開拓者社会は‘小都市米国’に切り替わることによって2番目の周期を終える(1876年)。3番目周期(1932年まで)では産業都市の労働者が主役として登場し、4番目周期(1980年まで)にはサービス中心の郊外に権力が移る。2020年代後半まで続く5番目周期では永久移住者階層が大勢を掌握していく。
米国の場合には各時期の転換が大統領選挙を通じて行われる。反面、民主主義発展が遅滞した我が国では時期区分と主導階層の交替とがうまく合致しない。だがフリードマン方式で私たちの現代史を分けても、1960年と87年が分岐点になるのは明らかだ。
1945年から60年までは独立と国家アイデンティティの確立努力から生存へ社会的関心の焦点が変わった時期だ。以後60年から87年までは史上最大・最高規模で人口と地域の再編がなされる。最も大きな変化は7対3程度であった農村と都市人口の比率が3対7に逆転したことだ。すなわち都市へ向かう移住民たちの動力が経済・社会・政治などを動かした‘国内移住民の時期’だ。これらの政治的欲求を充足させ働き口と住居を提供することは当時の最大課題であり、その外的表現がまさに産業化と民主化だ。
その後、現在までは1970年代以後に都市で生まれ育った世代の発言権が高まる時期だ。以前の国内移住民と対応させて‘都市民’または‘市民’と呼ばれるこれらは、大部分が高等教育を受け多数が外国経験を持つ‘知識世代’であり‘開かれた世代’だ。これらは外国為替危機以後の両極化と失業難で苦痛を受けながらも2008年ろうそく集会と2002年ワールドカップの時に自身の力とアイデンティティを示した経緯がある。
絶えず都市に人口が集まる時期には、不動産が富の根源になる。地代を追求する土木作業経済はこの時期の産物だ。反面、市民の時代には水準の高い知識と創意的な文化が核心となる。これを後押しする良い教育と開放的な雰囲気,市民的暮らしをまんべんなく保障する普遍的福祉と国土均衡発展などが必須要素だ。
李明博大統領は明日で就任二周年をむかえる。現政府の形態が市民の時代に対応していると考える人が果たしてどれくらいいるだろうか。4大河川事業と世宗市修正を一方的にゴリ押しし、合意と合理性より指示と工作政治を好む姿だけを見ても、そうは言えない。2年前にロウソクのあかり世代が提起した憲法問題は依然として現在進行形だ。これらは問う。あなた方の権力が本当に正当なのかと。これらの質問はこれからさらに強くなるだろう。その時点は地方選挙が行われる来る6月である事もあり、次の大統領選挙時になることもありえる。
キム・チソク論説委員室長 jkim@hani.co.kr
原文: https://www.hani.co.kr/arti/opinion/column/406278.html 訳J.S