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[世相を読む] 外交は国家そのものだ/キム・ドンチュン

原文入力:2012/09/10 19:24(1657字)

←金東椿(キム・ドンチュン)聖公会(ソンゴンフェ)大社会科学部教授

 李明博大統領の独島(トクト)電撃訪問と日本軍慰安婦問題関連強硬発言を称える人々がいるようだ。 ところで彼の対日強硬路線は、政権の序盤期 「過去に心を痛めたことを持って未来を買うことはできない」というほとんど日本免罪符性発言や日本総理の独島、日本領土表記に対して「待ってほしい」と発言した事実はもちろん、最近の韓-日軍事協定締結の試みと真っ向から反するものでその真正性が疑問に思われる。 野党は彼の右往左往外交を批判しているが、右往左往外交ということは外交の基本がないということを表わす言葉だ。

 1965年の韓-日国交正常化当時、朴正熙は独島が国交正常化の暗礁になるとして 「爆破してなくしたい」と言ったし、密室交渉の主役であるキム・ジョンピルは「独島の管理を第3国に任せよう」と提案して今日まで日本の独島領有権主張に口実を与えた。 しかも当時政府は日帝に強制動員された人の規模を非常に少なく捉え、被害金額をまともに算定することもできなかったし、個別訴訟の道まで遮った。 さらに日本軍慰安婦問題はもちろん、原爆被害者、関東大地震被虐殺者など日帝時期に朝鮮人が被った被害全般についてはその事実さえ知らず、交渉過程で言及もしなかった。 賠償金ではない経済協力資金で、それも非常に少ない金額ですべての対日過去事を一括処理した朴政権の誤りのために、今日まで独島問題はもちろんすべての日本関連過去事が大きな荷物として残っている。

 李承晩政権は初期に強硬な対日補償要求をしたりもしたが、米国と日本の対日強化協議過程で独島が除外された事実さえ知りえなかったし、あろうことか対馬領有権問題を引き出して交渉余地を狭めただけだった。 さらに李承晩大統領はマッカーサーの前で「共産主義の膨張による共同の危険に対抗するために日本と韓国は団結するべきで、過去の敵対は忘却されなければならない」と話し、以後の韓国側外交交渉の立場を大きく狭め、日本の戦後処理を決めるサンフランシスコ講和条約に招請も受けられない屈辱を体験した。

 もちろん歴代韓国政府は米国の東アジア反共政策の枠組みから抜け出すことができず、事実上対日交渉過程で独自の声をあげにくく、日本の過去責任をまともに問うことができなかった。 民族分断と安保危機は外交的自主性と一貫性を制約した最も大きな要因だった。 しかし韓国と同じく米国の影響下にあった歴代日本政府代表の徹底した準備や活躍と比較してみても、韓国の場合、国民を代表する政府だと言うことが恥ずかしくなるほどの準備不足と戦略不在の弱点を数えきれない程に露出した。

 ところが韓国が世界10位圏の経済大国になり、中国の浮上で東アジアの勢力地図が完全に変わった今、韓国は今や過去に比べてはるかに大きな交渉のテコを持つようになり、米国だけを信じてついて行けば良いといった冷戦時代の外交では複雑な環境に対処できなくなった。 対米友好も重要だが中国と日本の民族主義の危険を牽制できる知恵を発揮しなくてはならない時点に来た。 特に南北和解はすべての外交の前提だ。

 ところが李明博政府は反北韓、親米一辺倒の政策でこのテコを自ら捨てた。 それで中国を不必要に刺激し、日本右翼の勢いを目いっぱい盛り上げ、米国との通商交渉の失敗で国民皆の生存を危機に追い詰めた。

 外交は国家の力量そのものだ。 外交失敗の波紋は数十年、数百年に及ぶこともある。 まともな外交路線樹立問題が今年末の大統領選挙政局の最も重要な議題にならなければならないが、候補者の公約にそれが見当たらないことが最も苦々しい。

キム・ドンチュン聖公会大社会科学部教授

原文: https://www.hani.co.kr/arti/opinion/column/551015.html 訳J.S