原文入力:2012/08/19 19:16(1771字)
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[ハンギョレ プリズム] 独島(ドクト)イン ザ ハーグ
1946年10月22日、英国海軍艦艇4隻がギリシャ北部の小さな共産国家アルバニアの領海を侵した。 この艦船はアルバニアが英国軍艦の無害通航にどのように反応するかを調べてみろとの命令を受けていた。 無害通航は外国船舶の航海が沿岸国に害にならない限り、自由になされなければならないという国際法上の権利だ。 すでにその年の初め、アルバニア軍が英国軍艦に領海侵犯を理由に大砲射撃をしたことがあったので、英国船はアルバニアが攻撃する場合、直ちに対応攻撃しろとの指示を受けた状態であった。 良く言えば無害通航であるものの実は意図的軍事的挑発であるわけだった。
冷戦初期のありふれたハプニングの一つになる筈だったこの事件は午後3時頃、駆逐艦ソマレズが機雷に攻撃され大型事件に発展した。 午後4時16分にはソマレズを救出して曳航しようとしていた別の駆逐艦ヴォレージまで機雷に触れた。 幸い2隻ともに沈没せずに12時間の死闘の末にコルプ港に到着したが、すでに44人が死んで42人が負傷た後であった。
これが国際司法裁判所(ICJ)が創設以後初めて引き受けた事件である‘コルプ海峡事件’だ。 英国は直ちにこの事件を国連安全保障理事会に上程したし国連は両国にこの事件を国際司法裁判所で解決しろと勧告した。 英国はこの事件を急いで国際司法裁判所に提訴したが、アルバニアはこれを徹底的に無視した。
←独島(ドクト)
だが、事件は弱小国であるアルバニアの意図どおりには流れなかった。 当時国連加入に熱心だったアルバニアは国際社会の圧力に勝てず、安全保障理事会の勧告に従うと言って直ちに裁判参加の意思があると確定してしまった。 裁判はアルバニア側が一度も参加しないまま一瀉千里に進行され、裁判所は1949年12月15日アルバニアに英国に84万3947ポンドを賠償しろとの判決を下して英国の手をあげた。
60年も昔のこの事件の話を再び取りあげたのは同じ状況が独島問題と関連して我が国に起きないという保障がないためだ。 アルバニアは当初国際司法裁判所提訴に応じない方式でことを終えようとしたが、結局国際社会の政治的圧力から自由にはなれなかった。 我が国はどうなのか。 もし日本との対決状況が極端に登りつめ軍事的対立まで至った場合、国際社会が独島問題の国際司法裁判所行きを勧めるなというわけがない。 在任期間中、一貫して他の何よりも国の品格、言い換えれば他国の認定を重要視してきた李明博大統領がこのような状況に果たして耐えることができるだろうか。
李大統領が不意に独島を訪問して、続けて日王に謝罪云々した瞬間から独島は極度の紛争を体験している地域として確実に位置づけられた。 消費税引き上げなどで国内で最悪の人気を記録した日本政府としては、これにまさる好材料はないだろう。 韓国に対する攻勢はますます強まるほかはない。 反面韓国としては使えるカードが殆どない。
現在の政府の対処を見れば不安なことこの上ない。 何より日本国民の感情に触れた日王関連発言もそうだ。 大統領府は意図的発言ではなかったと説明しているようだが、いっそ意図的発言であればここまで心配しなくとも良い。
現在、外交通商部で独島法律諮問官として仕事をしているチョン・ジェミン判事が書いた小説の題名は<独島イン ザ ハーグ>だ。 安全保障理事会の勧告で独島裁判がオランダ、ハーグの国際司法裁判所法廷で繰り広げられる状況を仮定して書いた小説だ。 日本はこの間、着実に独島が自らの領土という歴史的・法的証拠を集めてきただろう。 現職1人を含め国際司法裁判所裁判官3人を輩出しただけに、国際裁判に対する準備も徹底しているだろう。 果たして我が国は最後の瞬間に対する準備ができているのか。
イ・ヒョンソプ国際部記者 sublee@hani.co.kr
原文: https://www.hani.co.kr/arti/international/international_general/547678.html 訳J.S