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[朴露子ハンギョレブログより] 反外勢闘争の進歩性

http://www.rawa.org/rawa/2009/05/07/lets-rise-against-the-war-crimes-of-us-and-its-fundamentalist-lackeys.html

記事登録:2012/08/09 19:33(3914字)

朴露子(パク・ノジャ、Vladimir Tikhonov) ノルウェー、オスロ国立大教授・韓国学

 私たちがよく使う用語の中で「進歩」はおそらく最もその意味が曖昧だと思います。「進歩」とは果して何でしょうか。「社会主義」だけをとっても政派ごとにその意味に対する解釈は異なっていても、一応あらゆる解釈の間には少なくとも「主要な生産施設の社会化」とか「多数に利する経済構造」などの最小限の共通分母はあるというのに、「進歩」にはそれすらもありません。実は歴史発展の段階ごとに「進歩」が新しく意味付けられ、さらに歴史の発展によってかつての「進歩」は今日の「保守」になるのが一般的です。たとえば、1900年代に申采浩(シン・チェホ、1880~1936)と朴殷植(パク・ウンシク、1859~1925)を魅了させた清末の大論客・梁啓超(1873~1929)を思い浮かべてみましょう。1900年代末の朝鮮知識人の目に、梁啓超の立憲君主制構想や上からの国民国家建設論などは実に「進歩」に見えました。10数年が過ぎた後はどうなったでしょうか。最早アナーキストとなった申采浩の観点からはもちろんのこと、概して国民党を支持した在中国亡命客になった朴殷植の目からも梁啓超は既にや保守的な人物にすぎなかったのです。1900年代と異なり新しい歴史の展開は今や民衆によって、下からかなり成されていたにもかかわらず、エリート政治家の梁啓超はそれを受け入れることができなかったからです。もちろん国民党との関係作りに専念していた上海臨時政府の要人としての朴殷植も、同じ上海の地でちょうど共産主義的な活動を開始していた若き日の朴憲永(パク・ホニョン、1900~1956)の立場からは紛れもない保守主義者にすぎなかったのです。それほど「進歩」というのは時代ごとにその意味が変わり、常にやや相対的なのです。

 今、すなわち資本主義の末期的な危機の時代には果して進歩は何を意味しなければならないでしょうか。基本的には、資本主義による剰余価値の搾取、搾取による格差、利潤追求的で無計画な生産による経済危機、生産活動の収益性の傾向的な低下状況で盛んになる投機的な投資等々の弊害などを一掃するために、資本主義そのものを本格的に改め直そうとする社会主義/共産主義と、資本主義がぶち壊した環境の危機に注目する急進的な環境運動、資本主義的な状況で発生せざるをえない侵略戦争に反対する反戦平和運動などを総称して進歩と呼ぶことができるでしょう。手短かにまとめていえば、資本主義そのものとそれが派生させたあらゆる弊害(環境危機、侵略戦争など)を急進的に反対することは今日の進歩です。しかし、ここでは一つの事実に注目しなければなりません。つまり、世界体制に内在している空間的な不均衡です。資本主義的な蓄積は核心部や準核心部の国々で成されるものであり、原料の供給地/市場の役割をする周辺部のかなりの地帯では産業資本主義の発生さえも構造的にできないという点です。たとえば、資本主義どころか, 資本主義発生の前提条件である近代国家そのものも(核心部の列強たちの侵略ないし干渉により)瓦解させられてしまったソマリアやアフガニスタンのような事例などを挙げることができます。産業資本主義はありもせず、しばらくは生じる可能性もないこのような地帯の場合には、果たして「進歩」の時代的な意味は何でしょうか。私の回答は簡単明瞭です。それらの地帯が核心部の侵略ないし干渉を常に受けている状況では、そこでの進歩とは反外勢闘争を基本的な特徴とするでしょう。言い替えれば、それらの地帯における反外勢闘争勢力たちに -彼らが実質的な反侵略闘争をしているだけに- 一定の「進歩的な意味」が付与されうると思います。

 ここでおそらく私に怒りに満ちた質問が投げかけられることでしょう。「パキスタンの諜報機関の援助で形成され、女性を抑圧し家父長的な家族を神聖視し、反対者たちに中世的な残酷な処罰を下すタリバンのような運動が反外勢闘争をしているとしても、そこに何の進歩的意味があるのか」といったような質問です。これはもちろん根本的にもっともな話です。(意識・無意識的に核心部の状況を標準として拵えた)「普遍的」基準で測れば、タリバンは勿論「宗教的極右勢力」のようなものにすぎません。我々に望ましい進歩とは当然これとはまったく異なる左翼です。問題は、列強の侵略及び干渉の結果により、そうでなくても産業無産階級という左翼の基盤が極めて不足したアフガニスタンでは、左翼の種が乾いてしまったのです。アフガニスタンの左翼の主な勢力は、アフガニスタン人民民主党(Da Afghanistan da khalq dimukratik gund、すなわちアフガニスタン共産党)でしたが、彼らが執権するや、米帝をはじめとした西側勢力が反対側に立っていたイスラム極右勢力たちを支援し始めました。これがソ連軍の武装干渉をもたらし、結局は民主的・民衆的・左派的な改革活動はひどく挫折してしまったのです。ソ連が崩壊してからは、裏切られ捨てられたアフガニスタン人民民主党は権力を失ったのみならず、党員の基盤もほとんど失いました。そのため、外勢から干渉を受けている状況では「正常な」左翼的な進歩活動は不可能になったわけです。ほかにはアフガニスタン女性革命同盟(RAWA)のような、真の意味での左翼的で進歩的な組職などがあり、タリバンの犯罪のみならず米帝の戦争犯罪に対する世界的な告発活動をしているのですが(米帝の暴力で負傷した子供の写真をご覧ください: こんな非道なことをしでかす人々を人間と呼べるでしょうか。人面獣心という言葉しか思い浮かびません)、やはり力があまりにも微弱で、反米・反外勢抵抗を続けるには力不足です。結局、左翼の種が乾いてしまったこの状況では反外勢闘争の課題をまさに(欧米的立場によれば)「宗教極右派」(とみなされている)勢力たちが担うようになりました。アフガニスタン人民民主党の親ソ政権を西側が倒そうとあらんかぎりの手を尽くした1980年代には「宗教極右派」こそがCIAの支援を最も受けたという点を思い起こしてみると、本当に歴史の皮肉と言わざるをえません。

 タリバンの女性抑圧や特定宗教の強要、非民主性などを支持することは当然できないものの、反外勢闘争という周辺部地帯で最も必要なことを、タリバンがやろうが、火星から来たエイリアンたちがやろうが、反外勢闘争そのものは当然支持しなければなりません。それを誰がやろうともです。敢えていえば、1900年に中国で偉大な反乱を起こした義和団なども(産業社会で用いられている意味の)「進歩」というより、むしろ「伝統主義者」たちにほかなりませんでした。しかも外国人の手先と見做されていた中国人クリスチャンに対する彼らの憎悪が一際強く、その一部を教会堂で焼き殺すなど、約3万3千人の現地のクリスチャンを極めて残酷に殺したりしました。これはすべて(私たちの思っている)「進歩」とは無関係な行動ですが、それならば何故に(辛亥革命後の)孫文から陳独秀、毛沢東までの中国革命のあらゆる指導者たちは(義和団の伝統主義をまったく共有しないにもかかわらず)義和団蜂起を「愛国義挙」と褒め称えるのでしょうか。理由は簡単です。産業化がまだ始まったばかりの当時の中国では労働階級を基盤とした「正統」左翼はまだ生まれるはずもなく、民衆の外国侵略者たちに対する憎悪を土台にして育った義和団たちが当時の中国では最も急を要する反外勢闘争の課題をそれなりに遂行しようとしたからです。彼らの価値観と行動に対する私たちの判断がどうであれ、トルストイさえも支持した彼らの反外勢闘争そのものを支持する理由が充分にあるのではないでしょうか。

 中国に対する列強の構造的な暴力が義和団たちのあらゆる暴力の百倍、千倍に当たることを理解した平和主義者トルストイは義和団との戦争で自国ロシアの軍隊が敗れることを祈り、アルジェリア独立運動家たちの残酷さが野蛮な植民地支配に起因したものであることを理解したサルトルはアルジェリアの武装独立運動に実質的に助力しました。ところが、今アフガニスタンにおける自国軍隊の敗北と反外勢闘争における(タリバンを含む)あらゆる現地の反抗勢力たちの勝利を公開的に願う欧米圏の進歩知識人たちはめったに見あたりません。社民党であれ共産党であれ、左翼があまりにも長い間国家と癒着してきた結果のようです。今回の世界恐慌がこの部分を少し変え、左翼をもう少し急進化させるのではないでしょうか。ところが、ヨーロッパの左翼が支持していようがいまいが、アフガニスタンの抵抗運動は結局外国侵略者たちに勝つことを私は個人的に確信します。ただし、そうなった後で新しい支配者になるタリバンなどの保守勢力たちにアフガニスタン女性革命同盟などの真の左翼勢力たちがいかに抵抗するか、どれだけ多くの犠牲を支払わなければならないのか、この辺のことはとても心配ですが。

原文: http://blog.hani.co.kr/gategateparagate/51236 訳J.S