原文入力:2012/06/06 11:03(1996字)
←パク・ボムシン作家・祥明(サンミョン)大客員教授
その時タバコを一本咥えたならば
盧武鉉前大統領はもしかしたら…
ある人にとってはタバコはそういうものだ
飲食店、カフェなど密閉された空間での喫煙を強力に規制することには賛成だ。 市内バスの停留場、ターミナルでの禁煙も規制するのが正しいし、混み合っている道路での歩行喫煙も制限するのが正しい。 喫煙規制を拡大施行する方案が最近先を争って用意されているのは概して当然だ。
しかし依然として国民の5分の1以上が常時的喫煙者なのに、彼らのための対策は禁煙の一方的圧迫だけということには残念だ。 時には暴力的と感じられるほどだ。 広々とした野原のまん中で一人タバコを吸う時にも罪を犯している気がする。 私は "罪" を吸っていると考える。 国家財政を後押しするために国家が先に立ってタバコを作り、弊害はできるだけ隠しながら喫煙を‘推奨’してきた過去の歴史に対する考慮や省察は全くない。 KT&G(旧 タバコ人参公社)は盛業中だが、すべての罪業はひたすら喫煙者に戻るだけだ。
彼らは "罪人" または "奇形" だ。 地下鉄や下水道換気口を覗いて見れば、タバコの吸殻がうず高く積もっている。 高層ビル前の花壇の片隅もそうだ。 捨てるところないので、もしや誰かが見ているか‘罪の意識’を感じながら吸殻を捨てるかわいそうな奇形の手、手、手が浮び上がる。 彼らは二重の苦痛を受ける。 携帯用灰皿を持ち歩けば良いのだが、禁煙に力を注ぐことに夢中で、そんなことに心を傾ける政策はほとんど何もないから、手軽に携帯できる格好良くて値段の安い灰皿を求めることもできない。 喫煙者は‘捕まえて’罰金を支払わせれば良いという様子だ。 その一方で依然としてタバコ消費税は地方政府の重要な財源として置いておく。
葉巻を噛んでいるチャーチルと、煙突のようにタバコの煙をあげていたアイゼンハワーを思い出す。 毒舌家オスカー・ワイルドはいつもポケットを膨らませてタバコの箱を入れて通ったし、詩人オ・サンスンや映画監督ユ・ヒョンモクは生前一日3箱以上のタバコを吸ったと聞く。 モリエールはタバコを指して‘紳士の情熱’と礼賛したし、林語堂は 「パイプ タバコを吸う人は絶対に妻と争わない」と指摘したし、作家の金東仁は 「憂えるとき一服の煙草はその憂いを半減し、倦怠を感じるときには能率を上げさせ、疲れたときそれは疲労を取り去る」と語ったことがある。 若い時、いつも見てきた青春映画で主演俳優がそろって素敵なポーズでタバコを吸った姿が鮮やかに目に浮かぶ。 「すばらしい」と人々は話したし、若い時の私もそう思ったように、国家と社会が喫煙を煽った歴史は長く久しい。
それで私は訊ねたい。 つらい労働が終わった時、創造的作業の苦痛な断崖と直面した時、人生をしくじったと思う時、私一人だけという絶頂の孤独に出あった時、死にたい時、タバコ一本があたえる慰労と癒し、または、復活のための神秘な発火、芳しい省察を政策立案者が一度でも考慮してみたことがあるのか。 後日、真実ではないと知らされたが、盧武鉉前大統領がみみずく岩から飛び降りる直前、警護員に「タバコあるか」と尋ねたという。 警護員が切羽詰って作り出した話だといっても、盧武鉉前大統領が死に向かって歩いていったまさにその時、禁煙を永らく試みたが完全成功できなかった彼のポケットにタバコがあったとすれば、そしてその岩の上で一本のタバコを吸うだけの時間を稼いだとすれば、もしかしたら彼は死ななかったかも分からないと想像してみる。 誰かにとってタバコはそんなものだ。 千万喫煙者たちがからだに良くないことを知りながらも、依然としてタバコに火をつけているのはそれなりに自分だけが知っている内的蓋然性を持っているためだ。
喫煙を推奨しようというのではない。 しかし喫煙者のための政策的配慮もあってこそ正しいということだ。 タバコの値段を上げたり、世の中を禁煙区域に定める方法だけでは喫煙問題は解決されない。 自殺を試みたからと罰金を払わせることはできない。 飲みすぎたということだけで‘国民健康’を考慮して路上へ追放することもできない相談だ。 ひたすら‘禁止’だけで成功した政策は見たことがない。 人間は不思議な魂を持った文化的動物だ。 タバコは非義的な魂と多様な文化、無味乾燥な人生の周囲にあまねく置かれている。 吸おうとする者の権利も配慮しなければならない。
パク・ボムシン作家・祥明(サンミョン)大客員教授
原文: https://www.hani.co.kr/arti/opinion/column/536241.html 訳J.S