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特別検事が強制捜査すれば真実は明らかになる

原文入力:2012/04/06 19:25(5289字)

←国防部が2010年6月29日京畿道(キョンギド)平沢(ピョンテク)2艦隊司令部で開いた‘天安(チョナン)艦言論人説明会’に参加した記者とディレクターが天安艦の切断面を見て回っている。 キム・ミョンジン記者 littleprince@hani.co.kr

[土曜版]キム・ヒョンテ弁護士の備忘録
⑥チョ一等兵 銃器乱射 越北事件と天安艦(下)

 合同調査団民間委員だったシン・サンチョルが天安艦調査に疑問を提起して名誉毀損罪で起訴された。その後1年6ヶ月が過ぎたが裁判は遅々として進まない。 国防部は安保を理由に主要資料を出さずにいる。 私と同僚弁護士は事故情況をよく知っていたり、それを説明できる専門家たちに接触したが、大概は出てくることを敬遠する。 さらには過去に自身がした話や見解を変えたりもする。 当初、調査対象者である国防部が調査主体として参加したことから誤りだった。 検察が今回の名誉毀損事件捜査過程で過去に盧武鉉前大統領を捜査した程度の意志を持って沈没原因が何かということと、それに軍がまともに対応したかについて強制捜査をしたならば、ある程度は実体的真実に迫れたはずなのに、ただ国防部を代弁するのに終わってしまった。

 3月26日、北の潜水艦が夜9時22分、天安艦に魚雷を撃って逃走したとすれば、潜水艦を探せとの命令が下された夜10時5分現在、事故地点から半径10キロメートル内外で発見される筈であった。潮流に加え、騒音を減らさなければならないことを勘案すれば15キロ以上の速度を出すことが難しいからだ。近い基地である南浦港(ナムポハン)までの距離が85キロメートルなので、ほとんど6時間はペクリョン島と南浦港(ナムポハン)の間の海中に存在するしかなかった。

潜水艦を探せなかったのか、そうでなければ最初からいなかったのか

 海軍は事故直後に哨戒艦 束草(ソクチョ)艦と王建(ワンゴン)艦、清州(チョンジュ)艦、その他多くの警備艦をペクリョン島と北方境界線近隣に配置した。 ソナーが装着されたリンス ヘリコプターと海上哨戒機も出撃させた。 捜索は翌朝8時まで10時間にわたり続いたが何も出てこなかった。 海軍作戦責任者は 「その当時、海底反響音と周辺で漁船が操業して出す騒音など複合的な理由で探知できない場合もある」と弁解した。 だが、ソナーは漁船と潜水艦が出す音を区別できる。 また、当時出撃した海上哨戒機は半径十数キロい何の音を探知するソナーを48個も海のあちこちに投下し潜水艦の音響を伝送できた。 他の最先端装備も備えていた。 370キロ離れた目標物を調べられるレーダー、潜水艦の熱を感知する赤外線探知機、威嚇電磁波を知らせる電子戦装備、潜水艦磁場の変化を探知する磁気探知機。

「現在の韓国や米国の装備がその当時のような海上条件下では(潜水艦を)チェックできない程度の機能であったということでしょうか?"

 「投入された対潜水装備の能力は優秀だったことが確認されていますが、その当時、対潜水艦探索をするために総力を挙げたが接触できなかったのは事実です。」

 潜水艦が南浦港までいくら速く行っても6時間以上かかるのに、10時間かけて海を最先端装備で目を皿のようにして探したのに見つからなかったというならその潜水艦はどこに消えたのか。

 「それなら今後、同じ状況が再び発生した時には再び攻撃されるうるということですか。」

 「現在、対潜水艦作戦の色々な作戦遂行方法と襲撃されないための戦術的な方法など、色々な方法を講じて作戦を遂行しています。」それではその時は "色々な方法を工夫" しなかったということなのか。 それではその時に死んだ46人の命に対する責任は誰が負うのか。

 グーグル マップ。 3万6千キロメートル上空に浮いている人工衛星から数メートル大の道路や建物を実際に映像で見れる。ところで大きな軍艦を両断して時速15キロ以下で逃げる潜水艦を、潜水艦を捕まえる哨戒艦と飛行機が10時間にわたって音、温度、電磁波、磁場を利用して探したのに発見されなかった。 それなら科学技術の水準に照らして、いるはずの潜水艦を探せなかったというよりは、初めからそのような潜水艦はいなかったと言うのがより常識に合うのではないだろうか。

 最初に事故がおきた時刻も裁判の争点だ。 21時22分に地震波が捉えられたので、この時、船が船首とガス タービン室、船尾に分離したと見られる。 ところで軍で作ったものと見られる‘最初関連状況日誌’には、2艦隊司令部が21時55分に海軍作戦司令部に報告することを、天安艦に21時15分頃‘最初状況’が発生したことになっている。 それなら天安艦が3つの部分に分離する7分前である21時15分に発生した最初状況とは一体どんな状況であったのか。

←天安艦事故直後、ソウル、龍山区(ヨンサング)の国防部調査本部1階玄関に展示された魚雷推進体。‘1番’という文字は何も語っていない。誰がいつどんな目的で何をしたかについては…。イ・ジョングン記者 root2@hani.co.kr

‘調査対象である国防部’が調査主体として参加したことしてそもそも誤りだった

盧前大統領を捜査したほどの意志で検察が強制捜査をしていたなら
誰もが納得しただろう

海軍は事故の時刻も数回翻意
爆発の決定的証拠だった
船体-魚雷の吸着物質にも疑問が提起されたが知らぬフリ
基本証拠が崩れてしまったのに…

アルミニウム硫酸塩水化物と爆発との因果関係は?

 国防部は当日である26日夜には事故が21時45分に起きたと発表し、27日には21時30分、29日には21時20分、4月1日には21時22分と何回も翻意した。公園で自転車に乗って倒れても時計を見れば事故時刻を特定することができる。 ところが100人の将兵が乗って海軍戦術指揮統制システム(KNTDS)のような電子装備がリアルタイムで船の位置を色々な上級部隊に送っている場所で、いつ船が切断されたかを巡って何日間も翻意に翻意を重ねるということもやはり私の常識では理解出来ない。

 "監査院の監査結果によれば海軍作戦司令部が報告した天安艦事故時刻である21:15を合同参謀と国防部でそれぞれ‘1’字に‘L(ニウン)‘字を描き加えて21:45にごまかしたというが証人もその内容を知っていますか?"

"証人も報道内容を見て認知したが、その理由は知らずにいます。"

 海軍作戦司令部責任者は海軍戦術指揮統制システム上、船が消えれば直ちに通信で何があったのかを確認すると証言した。「それでは天安艦が消失すればその時刻が分かるのではないですか。」「はい、分かりますね。」そのような彼がまた、このような証言をした。

 「その当時、21:15頃と報告した理由は、最初の報告を21:31頃、2艦隊から海軍作戦司令部が受け付け、その後ずっと状況を把握した中で現場にあった天安艦動画を見ながら天安艦の状態を見て21:30以前に発生したという推定下に21:1頃と報告したのです。」天安艦‘動画’を見て‘推定’をした? そして‘21:15’は海作司責任者が推定したのではなく2艦隊が報告したことが明らかになっている。

 2艦隊や海作司はリアルタイムで天安艦海軍戦術指揮統制システムを見ている。 ところが船が消えた。 するとリアルタイム ホットライン通話をして天安艦の状況を把握できる。‘最初関連状況日誌’内容と一致するように、海上警察も事故発生時刻が9時15分と明記された状況報告書を受け取った。 それならこの9時15分という事故発生時刻は海軍戦術指揮統制システムと通話を通じてほとんどリアルタイムに近く確認された時刻と見ることが理に適う。 万一そうでないならば、なぜ簡単に確認可能なこの方式を取らずにその段階で、誰が、何の目的で9時15分と虚偽報告をしたということなのか国防部が明らかにしなければならない。

 記録を覗き見るほどに疑問が相次ぐ。 爆発の重要な証拠として前に掲げたのは船体と魚雷推進体からそぎ落とした白色物質だった。 当初、合調団はこれが非結晶質アルミニウム酸化物だといった。 簡単に言えば魚雷を構成するアルミニウムが爆発して高温の固体状態で船体に貼り付いた後に(物理的結合)、時間の経過とともにアルミニウムに錆がついた現象だということだ。

 ところが安東(アンドン)大チョン・ギヨン教授が分析した結果は違っていた。 アルミニウム酸化物ではなくアルミニウム硫酸塩水化物とのことだ。低温で一定の比率に合わせてアルミニウムと硫酸が‘化学的に’結びついた化合物だということだ。 そして硫黄は海水に自然状態で溶けていることに由来したものだった。 一歩進んで組織を電子顕微鏡で詳しく覗いて見ると、白色物質がどこから飛んできて固体状態で貼り付いたのではなく、溶けている状態で存在して沈殿しながら徐々に成長したということであった。

 爆発のためならばその直後に極めて短い瞬間だけ高温のアルミニウムの微細な破片が飛んできて一気に固体状態で付着したもので、時間が少し過ぎればアルミニウム固体が海水で冷めるので船体に付着できない。 したがってチョン教授の分析結果のように‘溶けている状態から徐々に化合物の形態に "成長" ’できないということだ。

 合同調査団長は後から話を少し変えた。 チョン教授の分析を信じるに値するとしながらもこう言った。「アルミニウム硫酸塩水化物が概して爆発でない摂氏100度以下の自然状態で沈殿して生成される物質という点には同意するが、逆にこの物質が爆発で生成されはしないという研究結果はないために(チョン教授の分析が)爆発がなかったことを証明するものではない。」

 当初、天安艦が魚雷によって沈没したという最も有力な証拠として前面に掲げたのが魚雷推進体と船体から同じ白色物質が出てきたし、これを分析してみると爆発の時にできるアルミニウム酸化物であったということではなかったのか。 これが崩れた以上、爆発のためだと主張する側でアルミニウム硫酸塩水化物が自然状態の低温で生成されるだけでなく爆発によっても生成されるということを証明してこそ辻褄が合う。

 魚雷推進体の最後尾に‘1番’と書かれている油性マジック文字も厳密な科学的検証が必要だ。 客観的に見ようとするなら、この情況は単に‘番’というハングルを使う南か北のどちらか一方がその魚雷推進体にそう書き入れたという事実を示すのみで、誰がいつどんな目的でそうしたかについては何も語っていない。 合調団はまず、この物体が2010年3月26日天安艦を攻撃した物かを証明する必要がある。 北韓のものだとしても、それ以前から海底にあったに過ぎないかもしれないからだ。 第二に文字の部分の外側に塗ったペイントは溶けたが、それよりさらに低温で溶ける‘1番’文字はなぜ溶けなかったのか。 カイストのソン・テホ教授は魚雷弾頭が爆発しても1秒以内のあまりにわずかの間のことなので熱が鋼鉄でできた本体に沿って7メートル後まで伝えられる時間がなくて‘1番’文字の部分はただの0.1度も上がらないと主張している。 これに反して米国バージニア大イ・スンホン教授は爆発は非可逆的過程を経るので、7メートル後方にも3千度の‘気体’が襲うと言っている。

スクリューはなぜ反対に曲がっているか

 最後にもう一つ。バスが突然停まれば、その中に乗っていた人々は進む方向、すなわち前面にからだが傾く。天安艦のスクリューは時計方向に回っていた。合調団発表のとおり爆発で突然軸が止まり慣性の法則によりスクリューが曲がるならば(これでスクリューが曲がることがありうるだろうか)どの方向であろうか。 時計方向。 ところが実際にはその反対に曲がっていて合調団はシミュレーションでスクリューを実際の状況とは異なり反時計方向に回して実験をした。

 科学と理性を通じてこのような疑問と主張の真偽がいつかは必ず明らかになるだろう。

 今回の裁判過程で? 政権の利害に関係のない素敵な検事たちを通じて? それもできなければ特別検事の強制捜査を通じてでも…。それでこそ私の二番目の息子と同じ時に軍に行き、生きて帰ってこれなかったあの若い水兵にとってそれなりに小さな慰労になるだろう。

 真実はたびたび私たちの信頼や希望を裏切る世の中の実状を見せたりもする。 私は死んだ後にも、あの世があって永遠に生きたい。 だが、誰でも、どちら側でも、いかなる場合でも世の中の実状の前に心を空にして向かい合って立とうと思う。






↑ キム・ヒョンテ弁護士。1956年生。

原文: https://www.hani.co.kr/arti/opinion/column/527126.html 訳J.S