原文入力:2012/01/24 20:15(1869字)
20年前、加里峰洞(カリボンドン)で会った中年労働者の言葉を忘れられない
"苦労している人同士が一つにならないでどうするか"
←チャン・グィヨン慶尚(キョンサン)大社会科学研究院研究教授
ちょうど20年前だ。 1992年1月、韓国労働党が創党を準備しており、当時大学生だった私はソウル、九老(クロ)地区党でしばらく仕事をすることになった。 地区党準備で地域住民たちの生活実態と意識を調査する質問作業があったが、大学生に各家庭を訪問して質問をして、もし可能なら韓国労働党を広報し組織化の可能性を打診してみろとの仕事が任された。
とても寒い冬だったと記憶する。 身を切るような寒気を突き抜け、雪で凍りついた路上で滑って、あてもなく加里峰洞一帯をさ迷った。 クモの巣のように入り組んだ路地ごとに卍の旗が翻っていた。 ある日、同行した友人がいぶかしげに話した。「この町内には本当にお寺が多いね?」少しは世情を知っていた私が答えた。 「あれは寺ではなく占い所だという印なの!」 数多くの占い所の旗が希望の代わりをしている町内であった。 粗末な門を開けて入れば、狭い中庭の水道の蛇口を中央にコの字形にドアが並んでいる。またそのドアを開ければ一間の台所が現れ、その内側に一部屋が見えるいわゆる蜂の巣。
しかし慎ましやかな女子学生だった私は、組織化どころか質問用紙を持ってその門を叩くことさえとても難しかった。 勇気を出して長屋のドアを叩いても、ほとんど仕事に出ていて人の気配も珍しかった。 終日さ迷い歩いても質問用紙の数枚も集められなかったが、ちょっとは要領がわかった。 雑貨屋や焼酎飲み屋を攻略するということだった。 ドアを開けて入ることも容易で、少なくとも人がいるからだ。 そのようにして質問に応じてくれたあるおじさん、正体不明の、みすぼらしい店舗内に一つ置かれたテーブルで一人で焼酎の杯を傾けていた男性労働者の言葉が忘れられない。
中年をはるかに越えた年配の労働者であった。生活実態と地域問題に関する質問を終えて、社会懸案に対する意見を聞く質問項目になった。 国家保安法はアカを捕まえるために絶対に必要で、米軍駐留は非常に有り難いことだと言う、すなわち‘進歩的な’意識とは距離の遠い答え。 内心、若干失望したがその時、ちょうど蔚山(ウルサン)で起きていた現代自動車労組の闘争は積極的に支持するということだった。 やや驚いて、なぜそのように考えられるのかと尋ねた。「その人々も暮らしていくのがしんどいからだったんだろう。 私も同じ境遇なので分かる。 そのように苦労している者どうしが一つにならないでどうするか。 だから私も応援したい。」 言ってみれば、労働者連帯の意識だった。
現代自動車労組を貴族労組だと罵倒する言葉が盛んなこの頃では聞かれなくなった返事でもある。 その時は現代自動車のような大工場でも九老工団の賃金でも、大きな格差はなかった。 今のように現代自動車労働者の賃金が上がったこと自体がそのように一つになって戦った結果だ。
多くの人々が、労働運動が分裂して連帯しないと憂慮している。 正規職と非正規職、大工場と下請工場、生産職とサービス職、他の世の別世界のことのように無関心で、時には互いに非難し合ったりもする。 具体的条件が違って、自分のことで精一杯で、無条件に関心を持ちなさいと言うことも難しい。
だが、しっかり見てみれば同じ境遇だ。暮らしが難しく、いつ切られるかもしれない。 そのように苦労している人々どうしが一つになって助けあわないでどうするか。 韓進重工業整理解雇解決のために希望のバスに乗って釜山まで走って行った才能教育組合員の心情がそうであっただろう。 今の状態がもう少し良い大企業正規職労組も以前には一つになって戦った記憶を忘れてはならない。 階級意識や進歩的認識まで必要とは言わない。 自分の境遇を元に戻して考えてみることだけでも他の労働者の手に余る闘争に共感できる。 苦労している人々どうしが一つにならないで、他の誰が助けるだろうか。 20年前、九老工団で蔚山の闘争を支持した年配の労働者の素朴な言葉のように。
チャン・グィヨン慶尚(キョンサン)大社会科学研究院研究教授
原文: https://www.hani.co.kr/arti/opinion/column/515851.html 訳J.S