登録 : 2013.06.01 22:40 修正 : 2013.06.02 17:29

レイバン(Ray-Ban)・教練・1234・軽犯罪の共通点は?

雨がしとしと降った5月28日、3人はソウル鍾路区(チョンノグ)斎洞(チェドン)の‘カフェ CO’で 維新と今日、今日になった維新について2時間にわたり論じた。 左からソ・ヘソン小説家、ハン・ホング聖公会(ソンゴンフェ)大教授、ギャグウーマン クァク・ヒョンファ氏. パク・ジョンシク記者 anaki@hani.co.kr

ハン・ホング
光州(クァンジュ)抗争は維新残党との戦い
歴史学者として維新を書いたことは
この時点に大きな幸運であり不幸

ソ・ヘソン
この間の連載を一瞥してみれば
‘女工’の話が色々な面で感動的
知識人中心の評価による限界を越えて

クァク・ヒョンファ
‘やれと言ったらやれ、文句言うな’
学校で聞いたその言葉がまさに維新
朴正熙は王になりたかったのですか?

ハン・ホングの大統領選挙は今ようやく終わった。 彼の大統領選挙は長かった。 開票結果が出た夜にも彼は‘維新と今日’を書かなければならなかった。 その運命こそが歴史家が担える、また担わなければならない真の役割だろう。 先日、彼が常任理事を務める平和博物館は鍾路(チョンノ)警察署から来た人々に押収捜索された。 この押収捜索が大統領選挙直前に話題になった平和博物館‘遺体離脱’展示会と関連があるものと皆が信じている。 この頃、彼がしばしばかけられる挨拶は‘大丈夫なのか’という言葉だ。 大統領選挙も、維新連載も終わったが、ハン・ホングの大統領選挙はまだ終わっていないのだ。

歴史家として彼はいつも現在に生きる。 彼は過去を記述しながら逆に現在を記述する。 彼は歴史的事態と矛盾を目の前に引き出して現在と戦う。 ‘維新と今日’は現在史学者としてのハン・ホングの剣法と知的実力を遺憾なく表わしている口語体歴史記述だ。 私たちの歴史記述はここまで到達するのに申采浩(シン・チェホ)、朴殷植(パク・ウンシク)以来100年が必要だった。 彼の体重は重いが連載を通して彼の筆は間違いなく軽快だった。 連載を終えてソ・ヘソンと対談の場を設けた。 クァク・ヒョンファの合いの手は世代間隙を埋めるのに役立った。

維新と今日? 維新が今日!

ソ・ヘソン 連載のタイトル‘維新と今日’が‘維新が今日’という話になってしまいました。 歴史家にとって過去は現在にならざるをえず、予言者的視線として歴史という言葉が不幸にして当たってしまった。

ハン・ホング 連載を企画した時は歴史学者として少なくとも維新の復活は困ると思いましたよ。 意外に人々が維新をよく知らずにいますね。 朴統が死んでから生まれた人が30代…維新時代がどういう時代だったかを知らせなければならないと思いました。

ソ イルベ(日刊ベスト貯蔵所)を見ながら、これがデジタル戒厳軍だという気がしました。 銃の代わりにキーボードを持った戒厳軍。 これは突然に出てきたのではなくアンシャンレジーム6年目の歴史乱動だという点を忘れてはいけません。 その根元は反共、その内包としての地域感情、そして統治行為としての独裁。

ハン フランス歴史ではご存知のとおりナポレオンが革命を踏みにじって皇帝に即位したし、後には彼の甥が再び王になりました。 これを投票で大衆が追認したということを思慮深く調べなければなりません。 有名な‘一度目は悲劇として、二度目は喜劇として’という言葉がここから出てきたでしょう。

ソ 二年前に大勢集まって維新を語ってみようと言ったんですけどね。他の報道機関にも提案したし。 その時の会議を振り返って見てもそうですけど、イ・マンヨル先生(淑明(スンミョン)女子大名誉教授、前国史編纂委員会委員長)の約束と激励を皆さんに言わなければなりませんね。

ハン イ・マンヨル先生が現代史を専攻する人を何人か呼ばれました。 維新40年に維新政権の象徴人物が選挙に出るというのに、歴史学界が手をこまぬいていてはいけませんって。 歴史学者として現実に責任を負う姿勢を明確にされたのでしょう。 先生は信仰的には本物の保守キリスト教徒ですけどね。 韓国では‘本物の保守’が進歩的役割をすべてしました。

クァク・ヒョンファ そういえばTVのようなところで維新に関連した内容は観られませんでしたね。 その方が当選するだろうと予想して、先見の明でそうしたのですか?(笑い)

ハン 歴史的にも、政治的に、文化的に維新や光州(クァンジュ)が完結していないということでしょう。 今この瞬間にもこのように争っているというのがそれを物語っているでしょう。 それをもっと簡単におもしろく躍動感をもって伝える任務が知識人、特に歴史学者に与えられているということでしょう。 光州映画<華麗なる休暇>や<26年>のようにですね。

ソ ‘あなたのための行進曲’が‘私のための行進曲’に発展できずにいる点も考えてみる必要があります。 ‘あなた’は先に逝った者のためで、‘私’は生き残った者のためですが、民主政権10年の成就がそこに至れたかという問題でしょう。 とりあえず維新と言えば思い浮かべることを一つずつ挙げるなら?

クァク サングラス! Ray-Ban!

ハン/ソ やっぱり俳優だ。(笑)

ハン 私は教練! 私が統一に関心を持つことになったのは教練のためだ! 査閲、分列行進して、月曜日には愛国朝会、木曜日には教練朝会。 私が行進すると左腕と左足が一緒に前に出ます。 死ぬ思いですよ。(笑) どうすれば教練を受けないで済むかと思ったところ、統一できなければならないと。

ソ 反共雄弁大会とともに‘1234’という歌を思い出します。 1(일=仕事)する大統領 2(이=この)国の指導者 3・11精神敬って 4(사=サ)ラン(敬愛)する民族のために 5・16成し遂げて 6大陸に輝いて 7十年代繁栄は 8道江山発展し 9(구=救)国の新しい歴史は 10月維新精神で~.

ハン 私たちが口ではこのように維新を見ているけれど、からだはまだ覚えています。 愛国歌が聞こえれば思わず立ち止まったり、劇場でも落花生(ポップコーンを食べるようになったのはその後)食べていても突然立ち上がった世代だから。

ソ 脳は壊れてもからだは覚えているんですね。 卓越しているのはいつでもからだの記憶ですね。 私もまた卓越した維新戦士でしたよ。 私たちのからだと記憶、現在生きているその維新を本格解剖して解体する作業を今回やり遂げたという点で大統領選挙を別にして大きな意味があると思います。

左からソ・ヘソン小説家、ハン・ホング聖公会(ソンゴンフェ)大教授、コメディアン クァク・ヒョンファ氏

チャン・ジュナは高木正雄に討伐された最後の独立軍

ハン 連載しながら私たちの世代が維新の時に飼い慣らされた方式を逆手にとって全斗煥と戦ったということに改めて気が付きました。 私たちもまた民主主義で暮らしてみたことがありませんね。 朴正熙は民主主義、自由を非効率の極限状態と考えていました。 日本軍国主義者らが大正デモクラシー(1910~1920年代日本の民主主義改革および運動)を踏みにじって登場してから前面に掲げた談論でしょう。 政党は国会でけんかばかりしている、日本の伝統と合わない。 韓国的民主主義というのは実は日本軍国主義の論理ですね。

ソ 朴統は民主主義というものを上の空にでも習う機会がありませんでした。 個人として見れば不幸でしょう。 大邱(テグ)師範、満州軍官学校、日本陸軍士官学校、解放後には朝鮮警備士官学校など士官学校を3,4回卒業した世界的にも珍しいケースでしょう。 結局残るのは誇示的効率と人格統治、すなわち独裁でしょう。

ハン 日本式教育を受けた人なので米国とも合いませんでした。 自分は天皇陛下のような地位に上がろうとしているのに、若者たちは50年代から援助物資にポップソングを聴いて育ったので‘親米’だった。 皆が一緒に仕事をしなければならない時にソン・チャンシク、ユン・ヒョンジュの‘道端に座って/顔を見合わせ’などといちゃいちゃしていると見えたことでしょう。 朴正熙は30年代に習ったことを実現したかったし、70年代の青春は同時代の外の世代と一緒に行きたかったんですよ。 朴正熙は時代錯誤であり、彼の目にはそいつらは愛国的でなかったのです。

ソ 人格統治の特性上、やがて無矛盾、無誤謬の指導者になろうと思うんです。 討論や批判は当然に不必要なことになる。

クァク 維新後に生まれた世代ですが、愛国が悪いことではないですが、そのような瞬間に愛国を強調すれば息が詰まるでしょう。 私の愛国は‘ア~、必勝コリア’程度ですね。

ソ 広場の喜びは本当に後日のことでしょう。 その影響力に比較すれば、まだ定本 維新史がありません。 維新の文化的意味、日常など。 だから維新が復帰できるのではないかと思います。

ハン 連載の一回分が150~200枚にはならなければとしばしば思いました。 部門別整理と大衆化が絶対に必要だという意味です。 政治史、文化史、社会史…また、締め切りがなければ書けないだろうが、当分はちょっと休みたいです。(笑) 新軍部が維新の息子ということもきちんと議論されたことがありませんでした。

ソ 維新というのは実は6月抗争まで続いたでしょう。 朴正熙のいる維新体制と朴正熙のいない維新体制。

ハン 光州抗争は維新残党との戦いでした。 朴正熙後に続いた大統領が朴正熙の警護員、近衛将校でしたよ。

ソ 反維新闘争の話をしてみましょう。

ハン 韓国在野とか進歩人士とかは大概保守から出たでしょう。 独立運動で見るならば、白凡が一番右側の基準になる方ですが、彼がアカだと言って離れて出たのがイ・ポムソクで、イ・ポムソクがアカに寛大だと言って分かれて出てきたのがチャン・ジュナ。 チャン先生が1972年4月維新直前に水踰里(スユリ)墓地を行ってきて書いた文に、4・19で子供たちだけが死んだが、彼らに自由とか民主主義が重要だと話した大人たちはみなどこへ行ったのかという問題があります。 <思想界>を印刷していた自分自身を含めてですね。 これからは子供たちが先頭に立ってはいけないと言うんです。 緊急措置1号の拘束者はチャン・ジュナ、ペク・キワンでした。

ソ 反共から出発して、やがて民主化の主体に変わっていったということでしょう。 チャン・ジュナ、ムン・イクファン、ハム・ソコン…維新をたどりながらですね。 ついにチャン・ジュナは‘すべての統一は善だ’と言いました。 金九よりさらに強い話をしたんです。

ハン だから死んだのだろう。 親日派が独裁したので独立運動をした人が民主化運動をしました。 チャン・ジュナの遺骨を見れば他殺されたことが明らかだが、それを受け入れることが困難でした。 解放されて30年後に最後の光復軍が高木正雄に討伐されたということですね。

その娘の初めての国務会議の案件が服装検査だって…

ソ 日帝将校勢力に最後に掃討されたその独立軍は、反維新闘争の中で民主人士として最初に死んだのでしょう。 連載を一瞥しながら、色々な面で‘女工’の話が感動的でした。 たいがいの民主化運動評価は過度に知識人中心でしたからね。 女工は矛盾がはるかに多く重なった存在でしょう。

ハン 朴槿恵(パク・クネ)候補が人民革命党事件について‘最高裁判決が2種類出てるじゃないか。 歴史的判断に任せなければならないのではないか’と言いました。 被害当事者がどれほどひどい目に遭ったかがわからないんです。 それで‘謝罪はしないでも良い、その代わり黙っていなさい’と書きました。 これ以上、人を傷つけるなということです。 その文を書いたので挨拶をたくさん受けました。 最後の光州(クァンジュ)関連文とね。 今回の連載で‘女工’の話を何度もしましたよ。 ‘女工’たちは反維新、民主主義という言葉は使わなかったけれど、木曜祈祷会で実際に席を満たしたのも彼女たちだったし、人民革命党事件にしばしば行って応援したのも彼女たちでしょう。 韓国労働運動で最も重要な研究主題の一つが、70年代はなぜ女性たちだけが労働運動をしたかということですが、質問が誤っていますね。 なぜ男たちは労働運動をしなかったか、でなければいけません。

クァク 痛みが多かったから女性たちの方がより早かったとは思いますね!

ハン 男たちがやらなかったということはあります。 軍隊に行ってきて‘人’になったのでしょう。 人になったから労働運動もしないし社会適応も早くなりました。

ソ 支配権力と共謀するように、何千年もの間訓育されてきた点もありますね。 維新時代の政治家の活動も探ってみましょう。

ハン 朴正熙は完ぺきな沈黙を夢見ました。 維新の雰囲気というのは反対者には厳しく対応しようということでしたよ。 国会議員を捕まえてきてぶん殴れば、その下はぐうの音も出なくなるでしょう。 学生たちでさえデモができなくなっているのに、金大中だけが海外で騒いでいるということでしょう。 あいつの口さえ塞げば! 朴正熙が金大中を捕まえろと言ったかだって? 閣下はそうする方ではありません。

ソ 朴正熙の遺産の中で使えるものを挙げましょう。

ハン 高校平準化、グリーンベルト、医療保険。

ソ 興味深いことに3つとも朴統が懲らしめられずに苛苛した人々が守ろうとしています。

ハン 私たちが朴正熙まで取り込んでしまおうと言うんだから忙しい!

ソ 遺産を最もよく忘れたのがMBだ。

クァク 二人のお話を聞きながら整理された部分、新しく知った部分、驚いた部分がありましたが、いちいち尋ねることもできなくて、ところで朴正熙は王になりたかったのですか?

ハン 初めは明治維新の志士(日本近代化と征韓論を主導した人々)が目標でしたよ。ある程度仕事がはかどった後には天皇のようなもてなしを受けたがったと見られます。

ソ 一言で整理しようとするなら、国家モデルとして維新という日帝が設定した植民地国家像の一定の完成という感じがします。 これは親日の達成などとは問題意識が異なることでしょう。 民主主義の経験と思考と想像力が全くない日帝軍人出身が想定できる退行的な最高モデルだということでしょう。その維新が6月抗争で終焉を告げたと余りに簡単に信じたということでしょう。

クァク 学校に通いながらしばしば聞いた話が‘やれと言ったらやれ、文句言うな’でしたね。 その心理や意味が維新と似ていますね。

ハン 維新が今日になったということを実感できる話があります。 朴槿恵(パク・クネ)大統領の初めての国務会議の案件が軽犯罪処罰法施行令の改正でした。 民主主義教育を強化したり、過去の問題で苦痛を受けている人々を治癒するとか、青年失業、非正規職、福祉などではなく服装検査でした。 維新が国民を対象に頭髪、服装検査をしましたが、それが嫌で民主化運動したのにということですね。

クァク これまでこの社会のどこかがおかしいと思いながら、これといって知る術がなかったんです。 今日はその分からなかった部分に対する答えを得るための席ではなかったかと思います。

ソ からだが覚えていることは無意識に作動しますね。 それがうっかり伝授されてしまう。 それを清算するためにも‘維新と今日’を読んでみるよう薦めたいと思います。 韓国人の自由がどのようにして生まれたのか。 韓国式自由とか私たちなりの自由ではなく、あなた自身の自由のために。

ハン 歴史学者として維新を書いたことは幸運であり不幸です。 学問的に手が入っていない領域に入ってきた喜びより、一人の市民としてその復活が苦痛だからですね。 <終わり>

整理 ソ・ヘソン、キム・ミンギョン記者 salmat@hani.co.kr

ハン・ホング(韓洪九)は おもしろい現代史コラムの世界を開いてくれたヒゲオヤジ歴史学者。聖公会大教養学部教授、平和博物館常任理事として仕事をする。 2004年から3年間、国家情報院過去史委員会で活動し、<ハンギョレ> <ハンギョレ21>に‘歴史の話’と‘司法府-悔恨と汚辱の歴史’を連載した。著書に<大韓民国史> 1~4巻と<特講>、<今この瞬間の歴史>がある。

韓国語原文入力:2013/05/31 19:54
http://www.hani.co.kr/arti/society/society_general/589976.html 訳J.S(6693字)

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