傲慢な錯覚だった。
戦争が起きても越えない一線があるだろうという信頼、数多くの人命被害をもたらしうる核発電所(原子力発電所)だけは攻撃対象から除外されるだろうという漠然とした期待があった。ジュネーブ条約は原発を、ダムや堤防とともに「攻撃してはならない施設」と明記している。たった一度の攻撃が制御不能の災厄へとつながりうるからだ。結果ではなく「可能性」だけでも禁止すべきだという、国際社会が苦労の末に合意した最低限の原則は、その信頼を支える柱だった。
信頼が崩壊したのは2022年だった。ロシアがウクライナのザポリージャ原発を占拠して以降、同原発は主戦場となった。両国の交戦により、2024年にはザポリージャ原発から300メートルほどの場所で火災が発生し、国際社会は緊張した。ザポリージャ原発は6基の原子炉を有する欧州最大規模の原発だ。戦争のせいで原発に電力を供給する外部送電線は何度も断ち切られた。送電線は、核燃料を冷却し炉心溶融(メルトダウン)を防止するのに必要不可欠な電力を供給する。
このようなリスクは中東でも繰り返されている。米国とイスラエルはイランのブシェール原発の近隣を何度も攻撃している。原発の敷地の境界線からわずか75メートルしか離れていない地点を攻撃してもいる。原子炉そのものは損傷していないが、実質的に原発のフェンスのすぐ外にまで攻撃が加えられたことになる。国際原子力機関(IAEA)は「非常に現実的な危険」だと規定し、ラファエル・グロッシ事務局長は声明で「大量の核燃料を保有する稼働中の原発の近くで軍事活動が続くと、深刻な放射能事故につながる恐れがある」と警告した。原発はもはや戦争から「安全」な施設ではなく、相手の恐怖を最大化しうる最も手軽な威嚇手段となっているのだ。
にもかかわらず、戦争は別の方向から原発を引き寄せている。米国・イスラエルとイランとの衝突でエネルギー供給に対する不安が拡大していることで、「エネルギー安全保障」を名目に原発の必要性を強調する声が高まっているのだ。戦争が原発を最も危険な施設にしているにもかかわらず、同時に原発が必要だとより強く考えさせているという逆説である。
韓国もこの流れから自由ではない。設計寿命の40年が過ぎ、3年間停止していた古里(コリ)2号機は、今月4日に再稼働した。セウル3号機は今年9月の商用運転開始を目指し、10日に臨界前検査を完了した。すでに26基の原発が稼働している中、政府は新たに2基の原発と小型モジュール原子炉(SMR)を推進し、地方自治体同士の競争をあおっている。
すでに釜山(プサン)・蔚山(ウルサン)・慶州(キョンジュ)をはじめとする東南部には、全26基のうち20基が集中している。セウル3号機と4号機(建設中)を加えると、釜山・蔚山地域の原発は10基に達する。世界的にも例を見ない「原発超密集」地域だ。釜山と蔚山の原発から半径30キロ以内には300万人以上が暮らしている。事故であれ攻撃であれ、たった一度の事件で収拾のつかないほどに被害が拡大せざるを得ない構造だ。
原子力業界はしばしば「5重の壁」を強調する。燃料被覆管、原子炉圧力容器、格納容器などの多重システムが安全を保障するという論理だ。しかし、これはあくまでも平時の基準だ。
戦時には状況が変わる。原子炉建屋を破壊する必要はなく、外部電力や冷却システムといったぜい弱な箇所を無力化するだけでも危険要素は十分だ。原発で冷却が停止すると、残熱により炉心の温度が上昇して燃料棒が損傷する恐れがあるし、冷却が停止している時間が長引くとメルトダウンなどの重大事故につながりうる。9・11テロ後、米国だけでなく韓国も航空機の衝突を安全基準に反映した。しかし原子力安全委員会は、極端な災害や航空機の衝突に備える以上の原発の基準を求めていない。
きたる4月26日はチョルノービリ(チェルノブイリ)原発事故からちょうど40年。私たちはこの事件を長い間「過去の悲劇」として記憶してきた。しかし、現在の戦争は問いかける。本当に過去の出来事なのか。原発は本当に安全なのか。
チャン・スギョン|地球環境チーム長 (お問い合わせ japan@hani.co.kr )