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大統領の最初の100日【コラム】

登録:2025-06-03 23:27 修正:2025-06-04 08:11
//ハンギョレ新聞社

 よく、「大統領の最初の100日」はリーダーシップの成否を左右する決定的な時期だと言われる。最初の100日の重要性を初めて印象づけたのは、米国のフランクリン・ルーズベルト大統領だ。彼は大恐慌の真っ最中だった1933年3月4日に就任した。当時の米国は銀行が連鎖的に破産し、失業率が25%に達するなど、深刻な不況に見舞われていた。彼は就任式でこう述べた。「この国は今、行動、そして行動を求めています。私たちの最優先の任務は、人々を仕事場に戻すことです。私の憲法上の義務のもと、苦境に陥った国が求める諸措置を勧告する準備ができています」

 実際に彼は、前例のない速さで危機を打開する政策を実行に移した。就任の2日後、取り付け騒ぎを防ぐため、すべての銀行に営業停止を命じた。そして議会に特別会期の招集を要請し、緊急銀行法を成立させた。それには預金者保護のための連邦預金保険公社の設立推進案が含まれていた。銀行の営業再開の前夜(3月12日)には、国民を安心させるために初のラジオ演説をおこなった。1週間の間にどのような措置を取り、なぜそのような措置を取ったのか、そして次の段階はどのようなものかを詳しく説明した。彼の国民との意思疎通のやり方である「炉辺談話」はこうして始まった。その後、議会は約100日かけて、失業と貧困の緊急救済、雇用創出、産業復興のための大規模な公共事業など、大恐慌を克服するための15の法を成立させた。いわゆるニューディール政策のはじまりだった。

 最初の100日は、当初ルーズベルトが意図したものではなかった。この表現は、その年の7月24日に「最初の100日について(On the First Hundred Days)」と題する炉辺談話に初めて登場した。彼はそこで「ニューディールの出発に貢献した100日」と語ったが、これは実のところ、議会の特別会期を意味するものだった。その後、ニューディール政策が大成功を収めたことで、「大統領の最初の100日」として知られるようになった。彼は初期の迅速で大胆な推進力で危機を克服するとともに、国家統合を成し遂げたため、最も尊敬される大統領の一人となり、歴代の米国大統領の大半がこれをベンチマーキングして「政権100日計画」を発表してきた。韓国では金泳三(キム・ヨンサム)大統領が実行した「新経済100日計画」が代表的な例だ。もちろん、すべての大統領が成功したわけではない。十分に準備ができていなかったり、共感を得られない状態で欲張ったり、方向性が間違っていたりした場合には、国政にとって毒にもなりうる。

パク・ヒョン論説委員 (お問い合わせ japan@hani.co.kr )
https://www.hani.co.kr/arti/opinion/column/1200928.html韓国語原文入力:2025-06-03 20:10
訳D.K

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