「内乱首魁(しゅかい)の出獄」事件の直後、私の在職する大学では尹錫悦(ユン・ソクヨル)拘束取り消しを糾弾する学内集会が行われた。焦る気持ちで弾劾を待っていた時期だった。内乱の夜があれほど深い怒りと挫折を私に抱かせたのは、まさに翌日、向き合った学生たちの顔に恐怖の影が残っているのを見たからだった。どの世代も次の世代により良い世界を残すことを望んでいる。ますます悪化する社会を引き渡してしまいそうで心配だったものの、それでも、国家暴力が乱舞したあの悲惨な時代を経験したのが私たちだけなのは幸いだったという安堵、あのような時代は私たちの世代で終わったという小さな安堵すら崩れ去った。
連帯発言を要請されて重い気持ちで参加したその集会で、私は大いに慰められた。私が守ってあげられなかったと思っていた学生たちは、すでに自分が生きていく世界を自ら作り上げていっていた。差別と搾取のない自由で平等な世の中を共に作ろうと訴える大学の清掃労働者産別労組の分会長の温かい発言を、冷たい階段に座って聞きながら、私は確信した。私たちの引き渡す世の中は不完全だろうが、彼らは完全だ。汝矣島(ヨイド)で、南泰嶺(ナムテリョン)で、この大講堂の階段の前で輝いた希望の光が、嫌悪と暴力で覆われた大韓民国を救うだろう。
しかし、あらゆる革命がそうであるように、重要なのはその後だ。今や改めて政府と国会の時間が到来し、以前と同じく広場の声はほこりのように散り散りになっていってしまうだろうという、明るい光の後ろに隠れた暗い疑問に注目すべき時間だ。民主化運動に献身した家族を持つ学生が家族に言われた言葉だ。「(デモは)誰も聞いてくれないことを言うために行くんだ。百回くらい言えば一度は聞いてくれるはずさ」
尹錫悦は単なる無能な人物でも、時代錯誤の犯罪者でもない。ファノンの言葉を借りれば、彼は国際資本に従属して自らヘゲモニーを作り出せず、存在の不安定さを誇示するような消費で補償しつつ、民主主義国家を一人による独裁国家にしようとした、未完に終わった民族解放運動の不幸な副産物のような存在だ。日常のファシズムを実践しつつ彼を取り巻いた勢力は今も健在であり、自省どころか大統領選にまで出馬している。第6共和国憲法が課す定言的命令を実行するためには、彼らが完全に清算されなければならない。憲政破壊勢力のおかげで得た唯一の個人的成果は、現行憲法の荘厳な価値に気づいたことだった。
憲法10条、すべての国民は人間としての尊厳と価値を持ち、幸福を追求する権利を持つ。韓国社会のマイノリティーたちは、果たして同意できるだろうか。11条1項、すべての国民は法の下に平等である。無頼漢の検察とチ・グィヨンの司法府が改革されない限り、無意味な条項となっている。32条3項、勤労条件の基準は「人間」の尊厳を保障するよう法律で定める。韓国の法律はすでにかなり前から正規職以外の労働人口をまともに保護できずにいる。119条2項、国は均衡ある国民経済の成長および安定と適正な所得の分配を維持し、市場の支配と経済力の乱用を防止し、経済主体間の調和を通じて経済を民主化するために、経済に関する規制と調整を行うことができる。これまで一抹の存在感さえなかった条項だ。
このような有様だから、私たちの社会の尹錫悦たちは戒厳の規定がある憲法77条のみに違反したわけではなかった。内乱同調勢力と疑われる候補たちが改憲を最も大きく叫んでいることに虫酸(むしず)が走る理由はここにある。国政をお遊びだとでも思っているのか。なぜ無理やり選挙の時期に合わせて国会の牽制権限を奪おうとするのか。3年に減らして大統領のポストを量産したいのか。
私は、第7共和国は国民とともに広場を守った政権によって、漂流した第6共和国が完成された後に、国民の願いを込めて第一歩を踏み出すべきだと信じる。第7共和国を切り開く改憲の要は、急変する技術および労働市場環境を反映した社会権の補完と拡大だ。光の革命後も、新政権は広場の声によって監視、督励されなければならない。今回だけは、百回も繰り返し叫ぶ必要のないことを期待する。
イ・ジュヒ|梨花女子大学社会学科教授 (お問い合わせ japan@hani.co.kr )