戦後米国の対内・対外政策を転換させた代表的な大統領は、リチャード・ニクソン大統領だ。ニクソン大統領は、対外政策では「ニクソン・ドクトリン」や米中連帯、ソ連とのデタント、経済では「ニクソン・ショック」と呼ばれる金ドル本位制の停止宣言や変動為替制への移行などを断行した。その結果、対外政策における主敵だったソ連の崩壊の端緒を開き、経済政策では持続不可能にみえた米国の財政赤字問題を解決し、下落していたドルの価値も維持させた。
ニクソン大統領は就任から6カ月後の1969年7月25日、国外歴訪中に米国の太平洋の前進基地であるグアムに立ち寄り、「核兵器を保有する列強の脅威を除く軍事防衛の問題においては、アジア諸国は自分たちで責任を持って対処」せよと発表した。アジアの防衛はアジアが責任を負えというニクソン・ドクトリンだった。ベトナム戦争の真っ最中に出たニクソン・ドクトリンは、米国がその戦争から手を引くという意味だった。さらには中国との和解を狙っていた。1971年7月9日のヘンリー・キッシンジャー大統領補佐官(国家安全保障問題担当)の秘密訪中は、中ソ社会主義ブロックを完全に解体し、反ソ連の米中連帯を構築する地政学的な大転換をもたらした。
経済的には、1971年8月13日、35ドルを金1オンスに変えるというそれまでの金ドル本位制の停止を宣言をした。これにより固定相場制は崩壊し、ドルとその他の通貨間での変動相場制が定着した。ベトナム戦争などで膨張した財政赤字と乱発したドル問題を抱えきれず打ち出した衝撃的な措置だった。この措置によって、インフレが本格化するなど大きな代償を払ったが、米国は固定相場制では持続不可能だった財政赤字とドルの価値の維持問題を解決することができた。
当時、ニクソン大統領のこのような措置は、これを受け入れた同盟国や世界各国にとってはショックに違いなかった。「米国が同盟国を捨てる」という反応と衝撃が生じた。米国の防衛負担を減らすというアジアの同盟国はもちろん、欧州諸国も、米国によるベトナム戦争の終戦推進と金ドル本位制の停止によって、米国が覇権国家としての義務を打ち捨てて衰退するのではと疑った。
現在のドナルド・トランプ大統領が取っている措置とこれに対する反応は、ニクソン大統領のときと似ている。トランプ大統領はウクライナ戦争の終戦合意を機にロシアに接近し、同盟国に対しては、今後は自分で防衛の責任を負うよう急き立てている。特に、終戦後はウクライナには介入しないと言い、欧州が自分で対処するよう押し付けている。
アジアの防衛はアジアの責任だとするニクソン・ドクトリンと似ており、さらにもう一歩踏み込んだものだ。ニクソン大統領は少なくとも同盟国を侮辱したりはしなかったし、国際秩序に対する米国の役割も否定はしなかった。しかし、トランプ大統領は同盟国をさげすみ、もはや自由主義の国際秩序の維持や拡張には関心がない。ニクソン・ドクトリンはアジアにおける中国の存在と一定程度の勢力圏を認めた。トランプ大統領はウクライナから手を引くことによって、ロシアの勢力圏を明確に認めている。
ソ連崩壊を狙った米中連帯の構築につながったニクソン・ドクトリンのように、トランプ・ドクトリンが反中国の米ロ連帯に向かうかどうかは不透明だ。トランプ大統領の米国は、いまや米中ロ3カ国による地政学的ゲームを再開している。同盟国との連帯より、米国の国益をむき出しにして、ロシアと中国との地政学的な取引を厭わないだろう。
全方位的な関税戦争を繰り広げているトランプ大統領の周辺からは、金ドル本位制の停止やドル価値を革命的に下げたプラザ合意のような措置に向かうという推測も出ている。ニクソン大統領のときのように、米国はいまや、1日に利子として26億ドルも支払う財政赤字などの国家債務に耐えるのが困難なためだ。いわゆる「マール・ア・ラーゴ合意」に関するうわさが飛び交っている。トランプ政権が経常収支の改善と米国の製造業の復興のためにドル安を誘導する一方で、外国が保有する米国債を100年満期などの長期債に強制的に転換し、短期国債には逆に使用料を支払わせるというものだ。
米国はニクソン・ショック以降、必要なときは常に同盟国をねじ伏せてドルの価値を強制的に下げてきた前歴がある。トランプ大統領がドル安を好んでいるのは確実だ。トランプ大統領は関税戦争に続き、ドル安誘導のために、外国が保有する米国債を強制的に再構築することも意に介さないだろう。
ニクソン大統領以降、米国は深刻なインフレと全世界的な後退を経験した。しかし、ニクソン大統領が敷いた精巧な地政学的戦略は、最終的には米国の覇権を強化させた。トランプ大統領は戦後の米国大統領のうち、ニクソン大統領に続く唯一の「リアリスト」(現実主義者)だ。問題は、トランプ大統領はニクソン大統領とは違い、「ネアンデルタール現実主義者」、すなわち野蛮な現実主義者だということだ。トランプ大統領は第2のニクソンになれるだろうか。
チョン・ウィギル|国際部先任記者 (お問い合わせ japan@hani.co.kr )