前回の総選挙で最も強烈な印象を残した「名脇役」を挙げるなら、断然「祖国革新党」のチョ・グク代表だろう。「3年は長すぎる」という寸鉄殺人のスローガンで世論の奥底にあった政権審判論に再び火をつけ、最大野党「共に民主党」の公認候補選びをめぐり乱れるかのように見えた総選挙の構図を一挙に覆した。その後、祖国革新党の勢いは止まらず、結党5週間で第3党へと躍進し、チョ代表も有力政治家に浮上した。
この過程で最も人々を驚かせたのは、以前とは変わったチョ代表の言葉と態度だった。簡潔なメッセージで尹錫悦(ユン・ソクヨル)政権の肺腑を衝き、自信あふれる演説で市民を突き動かした。この2年間、尹政権の無能と専横、不公正に疲弊した多数の国民の不満を政治的怒りへと昇華させた。言いたいこと飲み込み、退いた法務部長官時代の姿は見当たらなかった。その時期、彼が耐え忍ばざるを得なかった底知れぬ墜落と苦難によって鍛え上げられた結果とも言われている。
第22代国会の開会を控えたチョ代表の前には、古い課題と新たな課題が待ち構えている。交渉団体を持たない第3党として「検察独裁の早期終息」の砕氷船になるという公約を速やかに実践しなければならない。すべての政党の究極の目標である政権の青写真も、いつかは示さなければならない。しかし、最高裁の判決を残した裁判リスクは、このすべての政治日程に不確実性の暗い影を落としている。10日、ソウル汝矣島の党本部でチョ代表に会い、気になる点について尋ねた。
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■政界入りを決意した時、「まず言葉を変えなければならない」と思った
―今回の総選挙を通じて政治家チョ・グクを再発見したという人が多い。簡潔で明瞭なメッセージ、よどみない演説など、かつての学者や高官時代とは大きく変わった。
「学者時代には学者の言葉が必要で、民情首席の時は言葉選びに慎重を期さねばならなかった。法務部長官時代は予測が付かない状況だったため、発言を控えざるを得なかった。昨年下半期からかなり悩んだが、政治家として生きることを決意してからは、まず言葉を変えなければならないと思った。実際に街頭でそうなるかはまた別の問題だが、最初から完璧に準備したというよりは、光州(クァンジュ)、釜山(プサン)などの街頭で直接市民の反応をみて交感しながらさらに変わったところもある。釜山の方言は私が準備したものだった。演説は、光州忠壮路(チュンジャンロ)での演説が第一声だった。忠壮路の郵便局前の交差点に集まった市民たちの反応を見て感激し、相互作用で変わったと思う。自分でも驚いた」
―お手本となるロールモデルがいたか。
「特にいない。そもそも政治を目指して成長したわけではないので。もちろん小中高校の時、弁論大会で受賞したことはある(笑い)」
―今回の総選挙で国民感情を最も鮮明に代弁したことに対する反応だと思うが。
「尹錫悦政権2年間で積もりに積もった怒り、不満があったが、検察独裁政権による検察権の行使を恐れて萎縮していたのではないか。政治家の役割の一つは、国民が言えない、あるいは言うのを恐れることを、ありのまま代弁することだと考えた。なぜこの方々が声援を送ってくださるのか。いろいろな理由があるだろうが、自分が言えないことを断固としてストレートな形で語るからだと思った。全国を何度も回ったが、ほぼ100%同じことを言われた。自分が言いたかったことを代わりに言ってくれてありがとう、胸のつかえがとれた、と」
―当初の目標(10議席)を超える結果(12議席)を手に入れた。
「所期の成果は得た。少し残念なところはある。世論調査でかなり(支持率が)上昇していたため、15席まで見込んでいた。祖国革新党は新生政党であるため、組織力が非常に弱い。そのため、最後の1~2週間は停滞していた。当初の目標は達成したので、当然その点では嬉しい。結党5週間で12議席を獲得した理由はいろいろあるが、検察独裁政権の早期終息というかなり過激なことを言い出したが、それに(国民が)共感したようだ」
―実際、多くの国民は尹政権がこのまま進むと国がどうなるか分からないと懸念していた。
「『3年は長すぎる』というフレーズは、『キム・オジュンのニュース工場』で初めて言った。私たちの考えを分かりやすく簡単に表現してみたが、党のスローガンになった。2年で十分であり、残り3年は長すぎると語ったことが功を奏したようだ。そして市民たちがパク・ウンジョン、チャ・ギュグンなどの候補者を見て、あの人たちなら尹錫悦とまともに戦えそうだと判断したようだ」
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■レームダックはすでに始っており、臨界点が来るように変化を作り出す
―野党が快勝したが、200議席を下回った。
「残念だ。保守陣営で危機感を感じて力を結集したようだ。だからといって、早期終息を諦めなければならないとは思わない。依然として可能であり、必要だ。今や総選挙で明らかな民意が確認され、尹錫悦政権のレームダックはすでに始まっている。検察独裁政権の強固な城壁に亀裂が入ったことに市民たちも気づいた。尹錫悦政権に対する恐怖が消えたと思う。その次に制度的に見ると、192席がある。形式主義的には弾劾も改憲もできないのではないかと思われるかもしれないが、静態的ではなく、動態的な観点でみるべきだ。検察独裁政権を早期終息させるというスローガンは、選挙前には祖国革新党だけが口にしていた。ところが、選挙が終わってからは、改革新党のチョン・ハラム当選者らが1年の任期短縮を内容とする改憲に触れた。李明博(イ・ミョンバク)政権時代に法制処長を務めたイ・ソギョン弁護士もハンギョレのコラムで、次の地方選挙の時、国民投票をして大統領選挙をしようと主張した。これがシグナルだ。尹政権の無能、無責任、不正などが一つずつ出てくるだろう。『朴槿恵(パク・クネ)弾劾』は野党170議席余りの時代に行われたが、今は192議席だ」
―あと8議席だけ加わればいいということなのか。
「そうだ。8議席は今は加わらないだろう。ところがシグナルはすでに現れている。『朝鮮日報』にも、遠回しながらも尹錫悦の早期下野まで事実上主張するコラムが掲載された。このままでは保守全体が滅びると考えているようだが、臨界点を越える瞬間が来るだろう。また、政党代表としては臨界点がくるように政治主体として変化を作り出すことを目指すつもりだ」
―逆に今の政権は深刻な危機だということなのか。
「政権勢力内の亀裂はすでに始まっている。もしも来年の再・補欠選挙でも(与党)国民の力が惨敗したら、それは地方選挙での惨敗を意味するということを皆が分かるだろうし、国民の力の内部から『尹錫悦は離党せよ、改憲しよう』という声があがるだろう」
―来年の再・補欠選挙が政局のターニングポイントになるということなのか。
「私はそう予想している」
―今月9日に行われた尹大統領の記者会見は全体的にみてどうだったか。
「総選挙の民意を受け入れたり、国政基調を変えたりするつもりは全くないと思う。一言でいうと、『我関せず焉』だ。お前たちは勝手にしろ。私は私の道を行く。すべての特検法を拒否する、ということではないか」
―詳しく見てみよう。まず「(大統領夫人)キム・ゴンヒ株価操作疑惑特検」に対しては政治的攻撃だと批判した。
「ひとまず政治的攻撃という言葉で、尹大統領は捜査のガイドラインを与えたと思う。次期検察総長、次期ソウル中央地検長に対する人事権を持つ大統領が、妻の捜査は政治的攻撃だと言ったのは、忖度せよということだ。尹大統領はまた、文在寅(ムン・ジェイン)政権の時も徹底的に捜査したが(容疑は)出なかったと述べた。居直りにも程がある。当時の検察総長は尹大統領だった。当時のソウル中央地検のイ・ソンユン地検長の証言によると、努力したにもかかわらず進展がなかったという。その捜査チームでイ・ソンユンは孤立した島であり、他の尹錫悦派の人たちが捜査を阻止したという趣旨だ。尹総長が人事権をすべて持っていたではないか。まったく図々しい。
また、実はドイツモーターズをめぐる捜査は、文在寅政権時代に始まったものではない。2013年の警察内偵報告書に登場し、適当に進めてうやむやにしたものが再浮上したわけだが、それがなぜうやむやになったのかは誰も分からない。その過程もとても気になる。今見ると、キム・ゴンヒ氏の共犯たちはみな有罪判決を言い渡されており、ならばその報告書が正しかったという話ではないか」
(2に続く)