「司正機関(検察、警察、監査院などの機関)掌握のため」と評されていた大統領室民情首席秘書官のポストを新設してから1週間もたたないうちに、大幅な検事長級人事が断行された。キム・ゴンヒ女史の捜査を担当していたソウル中央地検の指揮部が、いずれも「左遷性を帯びた昇進」をし、任期満了まで残り4カ月のイ・ウォンソク検察総長の参謀らも多くが交代したため、「キム女史の捜査についての大統領のメッセージ」だとみなされるとともに「事実上の検察総長不信任」だとの解釈まで示されている。
この日、地方視察を名目として江原道を訪問中だったイ総長は、法務部による人事発表後、14日に予定されていた忠清北道堤川(チェチョン)と忠州(チュンジュ)の訪問日程を取り消した。
13日に断行された検事長級の人事をめぐっては、検察内では「唐突」だとの反応が圧倒的に多い。2月のパク・ソンジェ法務部長官の就任後に検事長人事が予想されていたが、一度延期されたため、陣容が改められるのは9月に新しい検察総長が就任してからになるだろうとの観測が有力だったからだ。
検察総長の任期が4カ月残っている中、参謀である最高検察庁の幹部を大幅に交代させた人事をめぐっては、さまざまな解釈が示されている。
最高検察庁には企画調整部長などの検事長級のポストが8つあるが、今回は反腐敗部長と監察部長を除く6ポストがすべて交代となった。検察のある幹部は「イ総長の『(キム・ゴンヒ女史の)ブランドバッグ疑惑厳正捜査指示』が今回の人事操り上げの決定打になったとみられる。事実上、総長に出て行けと言っている人事だと読み取れる」と話した。
過去に高等検察庁長を務めた弁護士も「通常、新たに検察総長が就任すれば長官と協議して自身の下で働く検事長の人事を行うのが一般的」だとしつつ、「イ総長の立場からすると、新たに任命された幹部たちとのぎこちない同居を数カ月続けなければならない状況だ。9月まで総長職を全うできるか心配だ」と話した。
今回の人事で、キム女史の捜査を担当していたソウル中央地検の指揮部はすべて「左遷性を帯びた昇進」をした。ソウル中央地検長を2年間務めたソン検事長は釜山(プサン)高検長に、刑事1部に割り当てられた「ブランドバッグ疑惑」捜査を指揮していたキム・チャンジン第1次長検事は「流刑地」と呼ばれる法務研修院の企画部長となる。ドイツモーターズ株価操作疑惑の捜査を指揮していたコ・ヒョンゴン第4次長検事も水原(スウォン)高検の次長検事となる。いずれも高検長や検事長で外見上は昇進だが、主要捜査を指揮する重要なポストではない。
今回の人事は、尹大統領が「民情首席室の廃止」という公約を覆してまで検察出身者を民情首席に任命した直後になされた。尹大統領が「検察の先輩」を民情首席に任命した背景について、検察の内外では「検察を統制するため」だとの分析が示されている。
尹大統領と「国民の力のハン・ドンフン前非常対策委員長、およびそれに近い検事たち」の関係が疎遠になった決定的なきっかけは、総選挙前にキム女史を出頭させて調査せよとの要求だったと言われる。当時もキム女史の調査を要求した人々を大勢交代させる人事が予定されていたが、総選挙後へと突如延期されたと言われる。今回はその延期した人事を断行した、との見方が支配的だ。かつて検察の幹部を務めた弁護士は、「尹大統領が総選挙後に『キム女史の調査を要求した者』たちの多くを人事措置したもの」だと語った。
全州(チョンジュ)地検のイ・チャンス地検長は、尹大統領の検察人脈の中でもハン前委員長との関係のない、数少ない人物とされる。イ地検長は、尹大統領の検察総長在任時に最高検察庁報道官を務めたことで大統領の信任を得たという。