1970年代初め、在日同胞の留学生出身者をスパイ容疑で令状なしに検挙した後、工作員として活用するいわゆる「逆用工作」を行い、工作の終了とともに拘束した事件の全貌が国軍防諜司令部(元保安司令部)内部の捜査記録によって明らかになった。北朝鮮に拉致されてから帰還した漁師を逆用工作の対象にしようとした内容が含まれた文書が見つかったことはあったが、今回のように特定の事件で逆用工作の実体を示すかなりの量の資料が出たのは初めて。
真実・和解のための過去事整理委員会(真実和解委)は23日午後に開かれた全体委員会で、故ソ・ビョンホさん(1936年生まれ、2021年死亡)の遺族が申請した国家保安法違反および不法拘禁など人権侵害事件について、真実糾明の決定を下し、国家に謝罪と名誉回復のための再審措置などを勧告した。
真実和解委は、防諜司令部の存案資料など事件と関連した新たな捜査記録を確保し、ソさんが不法拘禁された事実を確認した。これに先立ち、2017年にソさんはソウル中央地裁に再審請求をしたが、裁判所は「不法逮捕・監禁されていたと認めるには不十分」などの理由でこれを棄却した。
真実和解委が入手したソさんの保安司令部の捜査記録で、最も目を引くのは逆用工作だ。逆用工作とは、敵国の情報要員を抱き込み、二重スパイとして活用する工作を指す。今回公開された保安司令部の逆用工作文書は、これまで軍捜査機関がどのように民間人にスパイ容疑をかけ、二重スパイとして逆利用しようとし、利用価値がなくなれば拘束したのか、その全貌を示すものとみられている。
捜査記録によると、保安司令部は対日工作員を通じて、ソさんが日本で朝鮮奨学会の奨学金で日本の大学を卒業した後、韓国に永住帰国したという情報を入手し、1971年5月1日にソさんをスパイ容疑で検挙した。その後、在日対南工作員などの上部を誘引・検挙するためにソさんの転向を誘導し、転向書および誓約書、行動指針を自筆で作成させた。
保安司令部はソさんを工作員として活用する内容の逆用工作計画を立てたが、これによると、工作期間(1971年5~12月)の間に予想される対象者の懐柔費、職場浸透費、下宿費、被服費などを含む所要工作金を策定し、特に1971年5月8~18日の11日間、普光洞(ポグァンドン)捜査分室で捜査官6人および被疑者3人(ソさんを含む)に対する特別捜査費を申請し、1日3食を提供した。しかし1971年9月22日、逆用工作計画に問題が発生し、工作を終了することになったことを受け、ソさんを拘束送致した。
1972年3月当時、ソウル刑事地方裁判所は公訴事実を有罪と認め、ソさんに懲役12年、資格停止12年を言い渡した。控訴が棄却された後、同年11月、最高裁で刑が確定した。
真実和解委はソさんに対する保安司令部の内部捜査記録を踏まえ、「1971年5月1日から少なくとも保安司に連行され転向書と誓約書などを提出した同月19日までの19日間、保安司に不法拘禁されたとみられる」と判断した。また「保安司が民間人に対する捜査権がないにもかかわらず、対象者を国家保安法違反の疑いで捜査を開始し、司法決定以前に誤認判断の危険に対する何の統制装置もなく逆用工作まで行った点は、法令が定めた職務の範囲を超え職権を乱用した違法な捜査」だと判断した。
ソさんの再審事件を担当したチェ・ジョンギュ弁護士(法務法人ウォンゴク)は「民団、朝鮮総連、日本人それぞれ3人ずつで理事会を構成した朝鮮奨学会の奨学金が朝鮮総連の工作資金に仕立てられた」とし、「ソさんを通じた逆用工作は罪のない人を捕まえてまた別のスパイに『工作』をすることであって、本物のスパイを活用した工作ではなかった」と語った。