100歳を目前にした元「南派(韓国に派遣された)工作員」が、再審を請求する。工作員であることは事実だが、捜査過程で拷問の末に虚偽の自白をし、してもいないスパイ行為で有罪判決を受けたため、再審を通じて無罪を宣告してほしいという趣旨だ。本人が実際に工作員であることを認めながら再審を請求する初の事例だ。
弁護士のパク・シファン、キム・ジンハン、チョ・ヨングァン、ファン・ジュンヒョプの4人で構成された、「南派工作員」オム・ジュブン氏(98)の弁護団は5日、最高裁に再審申立書を6日に提出すると明らかにした。弁護団は、民間人捜査権のない国軍捜査機関がオム氏を捜査・逮捕し▽長時間にわたり不法逮捕・拘禁状態で自白がなされ▽南派工作員ではあるが刑法上スパイ罪行為を行っていないため、「オム氏のスパイ行為に対する有罪判決は取り消されなければならない」と主張する。刑事訴訟法は「公訴の基礎となった捜査に関与した検察官や警察が犯した職務関連犯罪に対する確定判決があるか、それがなければこれを証明することで再審を請求できる」と規定しているが、国軍捜査機関が違法捜査をしたため、再審開始がなされなければならないという趣旨だ。
1925年に忠清南道燕岐(ヨンギ)で生まれたオム氏は、小学校時代、恩師の影響で社会主義活動を始めた。朝鮮戦争の時に北朝鮮に渡り、1957年に平和統一宣伝の目的で韓国に派遣された。その後、特別な工作活動はせず釜山で暮らしていたオム氏は、1958年に釜山で逮捕され、釜山海兵隊特務隊などに拘禁され、むごい拷問を受けた。不法拘禁・拷問の過程で出たオム氏の自白を根拠に、一審・二審で死刑が宣告され、1960年、最高裁は無期懲役刑を確定した。1962年3月、オム氏は収監中に転向し、1979年に大田刑務所から仮釈放された。
弁護団は、オム氏が南に派遣されたのは事実だが「刑法上スパイ罪」に当たる行為をしたことがないと主張する。刑法上スパイ罪は「敵国のために国家機密を探知・収集し情報提供すること」だが、オム氏はこれに該当しないということだ。
オム氏が再審請求を決心したのは、自分の陳述で処罰を受けた人々に謝罪する気持ちも根底にある。韓国に定着するなかで出会った自動車修理工場のCさんなどは、拷問を受けた末にオム氏がスパイだと知っていたと虚偽の自白をし、彼らは皆スパイ幇助罪で処罰された。オム氏はハンギョレとのインタビューで「私のスパイ容疑が無罪になれば、私のせいで処罰を受けた人々の罪もぬぐわれるのではないか」と語った。
弁護団は「再審開始が決まったら、本格的に拷問・過酷行為の証明と共に、この事件がスパイ罪構成要件に当たるのかを争う計画」だとし「さらに(オム氏が南派工作員であっても)長期間不法拘禁で拷問を受けたならば、再審で無罪判決を下すのが本当の自由民主主義」だと述べた。オム氏に対する再審開始の可否は、オム氏に対する最終刑を確定した最高裁が決める。
弁護団に参加したパク・シファン元最高裁判事は「刑事司法手続きが人権保護の責務を果たせなかった暗い過去の一場面を正そうという考えで参加することになった」と語った。パク元最高裁判事は、オム氏事件と争点が類似した事件で、進歩党の創立者チョ・ボンアム(1958年に国家保安法違反で逮捕、1959年死刑執行)に対する2011年1月の再審で最高裁が全員一致意見で無罪判決を下した時、主審を務めた。
オム氏の存在を探しだし再審の決心まで導いた慶北大学法学専門大学院のキム・ドゥシク教授は、ハンギョレとの電話インタビューで「海兵隊特務隊、海軍情報局の安家(情報機関などが秘密維持のため利用した隠れ家)などに令状なしに閉じ込められ拷問を受けた事実を、裁判所も無視はできないと思う」とし「今回の再審を陣営論理としてとらえないでほしい」と述べた。