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[山口二郎コラム]「平和ボケ」と戦争の記憶

登録:2023-02-27 07:01 修正:2023-02-27 07:29

 昨年末、岸田文雄政権は、安全保障政策の大転換を決定した。敵基地攻撃能力の保有、防衛費を5年間で2倍にすることなどが、その柱である。中国の防衛力増強、北朝鮮による度重なるミサイル発射など、日本を取り巻く環境は不穏の度合いを高めていることは確かである。防衛力を強化することについては、国民的合意があるといってよい。

 しかし、第2次世界大戦で敗北した後、日本は戦争をしない、他国を攻撃しない平和国家として生きてきた。この路線には、今でも多くの日本人は強い支持を続けている。日本で人気のあるタモリというタレントが、昨年末のテレビのトーク番組で来年(2023年)はどんな年になると思いますかと問われて、「新しい戦前になるんじゃないでしょうか」と答えたことが大きな話題となっている。タモリは政治的発言をすることはなかった。しかし、防衛力増強、さらにはいわゆる台湾有事の際にアメリカと一緒になって中国と戦うといわんばかりの政府の姿勢に対して、さすがに危惧を覚えたのではないかと思われる。

 戦前とは何か。ほとんどの日本人が戦後生まれとなった今、戦争、まして戦前を知る人はごくわずかである。あの時代に生きていた独立心を持った知識人、文学者の文章を通して想像するしかない。戦争には前兆がある。もっとも重要な変化は、言論の自由が次第に制約され、とりわけ政府に対する批判的な議論がしにくくなるという現象である。また、自分の国や民族の優越性を誇る議論が広がり、逆に、他国や他民族を蔑視する言説がまかり通るようになる。これらは日本が中国大陸に侵出した1930年代に実際に起こったことである。

 今の日本が90年前と同じとは言わない。基本的人権を保障した憲法は健在であり、野党も自由に活動している。しかし、自由と民主主義は形式化していることを感じざるを得ない。例えば、私たち学者に保障されているはずの学問の自由についても、危険な兆候がある。戦前に学問が弾圧されて全体主義への道を開いたことに対する反省から、戦後憲法は学問の自由を保障し、学者の自由で自立したコミュニティとしての日本学術会議が政府に対して提言するという仕組みが整備された。最近、学術会議は、軍事研究に対して一定の歯止めをかけるガイドラインを定めた。今、岸田政権は、会員の人選を学者の互選ではなく、外部の委員会による選考に変えるという学術会議法改正案を実現しようとしている。学者の集まりが政府の政策に対して口出しするのがうっとうしいので、会員選考の所から政府の気に入った人間を入れやすくするというのがそのねらいである。こうした一つひとつの動きについて目を光らせ、抗議するというのは疲れることだが、黙るわけにはいかない。

 教育の世界でも、戦争の愚かさ、悲惨さを伝えることは重要なテーマであった。広島出身の中沢啓二氏が描いた「はだしのゲン」は、広島の原爆の悲劇を伝える名作である。多くの言語に翻訳されているので、韓国にも読者がいるかもしれない。広島市は、公立学校の児童、生徒に対する平和教育の教材に、このマンガを使ってきた。しかし、最近、広島市教育委員会は「はだしのゲン」を教材から外すことを決定した。被爆の実相が伝わらない、小学生だった主人公が飢えをしのぐために他人の飼っていた鯉を盗む場面が不適切だというのが、その理由である。

 飢え死に寸前まで追い詰められれば他人の物を奪ってでも生き延びようとするのが戦争の実態である。そのことを子どものうちに学ぶことには意味があると思う。日本では、戦争や武力行使に反対する議論が「平和ボケ」と呼ばれることもあった。しかし、日本が戦争に巻き込まれることを具体的に想像することもなしに、自分の身は安全だと信じ込んで、台湾有事の際に武力行使に参加する必要性を説くことこそ、平和ボケである。安全保障政策の転換を推進する政治家や官僚こそ、「はだしのゲン」を読むべきである。

//ハンギョレ新聞社

山口二郎|法政大学法学科教授(お問い合わせ japan@hani.co.kr)

https://www.hani.co.kr/arti/opinion/column/1081270.html韓国語記事入力:2023-02-27 02:37

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