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韓国の詩人白石の初詩集、希少な「無傷版」を日本で見つけた

登録:2023-02-04 08:27 修正:2023-03-07 13:44
アン・ドヒョン氏(中央)が1日夕方、東京の古書店街の神保町にあるブックカフェで行われた『白石評伝』日本語版のブックトークイベントで発言している=チェ・ジェボン先任記者//ハンギョレ新聞社

 詩人の白石(ペク・ソク)(1912~1996)は、初詩集『鹿』(1936)を自身の母校である日本の青山学院に寄贈していた。1日、青山学院資料センターを訪問し、原形をほぼ保っている詩集の原本を確認した。

 同日、『白石評伝』の著者である詩人のアン・ドヒョン氏とこの本の日本語版の翻訳者である五十嵐真希氏は、青山学院資料センターを訪問した。青山学院大学図書館が保管している白石関連の資料を確認するためだった。青山学院資料センターは図書館に保管されている詩集『鹿』の原本や図書原簿の写しなどを見せてくれた。『鹿』は1936年1月20日に100部限定版でソウルで出版された。青山学院大学図書館の図書原簿には、白石自身が寄贈した『鹿』を1936年2月22日に受け付けたことが記録されていた。当時は郵便物は船便で運ばれたという点を考慮すると、白石が詩集出版直後にこの本を母校である青山学院に送ったと推定される。

白石詩集『鹿』の扉。青山学院大学図書館所蔵=チェ・ジェボン記者//ハンギョレ新聞社

一方、青山学院の学報『青山学報』には、学院創立50周年を記念して1935年2月10日から同年3月13日の間に寄付金を納めた2685人の名前と金額が記録されているが、そこに白石が実名である「白キヘン」名義で50円を寄贈した事実も同様に残っていた。また、「青山学院第51回卒業証書授与式執行順序」という資料には、1934年3月6日午後2時に開催された卒業式の進行表とともに、英語師範科の卒業生名簿にも同様に「白キヘン」の名前が記されていた。

 白石の詩集『鹿』は100部限定版で発行され、主に白石の文壇の仲間らに寄贈されたが、寄贈を受けた仲間の文人の多くが、分断と戦争を前後し北朝鮮に渡ったなどの事情で、ほとんどが失われた。現在、韓国国内には高麗大学図書館などに7冊ほどが残っている。2014年11月に行われたオークションでは、この本が7000万ウォン(約740万円)で落札されてもいる。青山学院資料センターが保管している詩集『鹿』は、本の背の文字が若干消えていること以外は、内部の紙と本文は少しも傷ついておらず、資料としての価値が非常に高いと評価される。アン・ドヒョン氏は「これまで接してきた詩集『鹿』に比べ保存状態がとびぬけて良好で、ページをめくりながらとても興奮した」と語った。

白石詩集『鹿』の目次。青山学院大学図書館所蔵=チェ・ジェボン記者//ハンギョレ新聞社

 同じく青山学院大学図書館が保管している学生身上調書や卒業生学籍簿、成績表なども確認することができた。アン・ドヒョン氏は「白石は北朝鮮でロシア文学作品を多く翻訳したが、青山学院の成績表にロシア語の受講記録がないことから、後に咸興(ハムフン)で教師として在職した時期にロシア語を独学したと推定される」と述べた。

 一方、1日夕方7時、東京の古書店街の神保町にある韓国図書専門ブックカフェ「チェッコリ」では、『白石評伝』日本語版のブックトークイベントが開かれた。『白石評伝』は2014年に出版され、これまで4万部ほどが販売された。『白石評伝』の日本語版は、昨年9月に日本の出版社の新泉社から『詩人 白石:寄る辺なく気高くさみしく』という書名で翻訳出版された。新泉社は、作家キム・ヨンス氏の長編『夜は歌う』や短編集『ぼくは幽霊作家です』、セウォル号関連の合同散文集『目の眩んだ者たちの国家』を翻訳出版した出版社だ。

アン・ドヒョン氏(中央)が1日夕方、東京の古書店街の神保町にあるブックカフェで行われた『白石評伝』日本語版のブックトークイベントで白石の詩を朗読している=チェ・ジェボン選任記者

 有料観客20人あまりとオンラインで25人あまりが参加したトークイベントで、アン・ドヒョン氏は「白石は自身の初めての詩集『鹿』を出版した事実を誇りに思い、出版してすぐに母校である青山学院に寄贈したようだ。原形がほぼ保たれている『鹿』の初版本を見て、あまりの嬉しさに興奮し、30分以上本をなでたりめくってみたりした」と語った。アン氏は「解放と分断の後の北朝鮮での白石の生活については、ほとんど分かっていない。特に彼が60年代初めに咸鏡道三水郡(サムスグン)の農場に送られ、農作業で暮らして亡くなった最後の30年ほどの話を確認して評伝を補完したいが、それが可能になる日が一日も早く来ることを願っている」と述べた。翻訳者の五十嵐氏は「日本語に翻訳されたキム・ヨンス氏の小説『夜は歌う』と白石の詩を読んで、白石に関心をもち、『白石評伝』を翻訳することになった。『白石評伝』に続きアン・ドヒョン氏の詩選集の翻訳も準備している」と紹介した。

アン・ドヒョン氏が『白石評伝』日本語版のブックトークイベントが終わった後、読者にサインをしている=チェ・ジェボン先任記者

 この日のトークイベントに参加したある日本の読者は、最近日本でも放映され人気を呼んだドラマ『ウ・ヨンウ弁護士は天才肌』(ENA制作)で紹介されたアン・ドヒョン氏の詩「練炭ひとつ」をどういった経緯で書くことになったのかについて質問した。アン・ドヒョン氏は「20代半ばから後半に全教組の活動をして解雇された頃、どのように生きることがよい生き方なのかについての悩みを込めた作品だ。私一人が充実して生きることより、皆で一緒に充実して生きること、個人よりも共同体全体がよくなることが、本当によいことなのではないかという思いを込めた。この作品以前にも、同じく練炭を詠んだ詩『君に質す』で『練炭詩人』というあだ名がついたが、ドラマのおかげでもう一つの練炭の詩が人気を呼び、『練炭詩人』の名札をますます外せなくなった」と語り、笑いを誘った。

東京/チェ・ジェボン先任記者 (お問い合わせ japan@hani.co.kr )
https://www.hani.co.kr/arti/culture/culture_general/1078143.html韓国語原文入力:2023-02-03 23:24
訳M.S

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