本文に移動

「独島旅客船」船長、2年目の冷たい街頭…「船員は人ではないんだな」

登録:2022-12-24 03:21 修正:2022-12-24 10:25
パク・ソンモさんが独島までの運航を終えた後に撮った写真=パク・ソンモさん提供//ハンギョレ新聞社

 美しいことで有名な江原道三陟(サムチョク)の荘湖(チャンホ)港。海で生まれ育ったその子は海が好きで、船に乗る航海士になった。これは旅客船の船長パク・ソンモさん(44)の物語だ。

 2022年12月5日は厳しい寒さだった。パク・ソンモさんは、自身が船長を務めていた旅客船会社の江原道原州市(ウォンジュシ)にある同族会社の前でプラカードデモをしていた。プラカードを手に6車線道路の沿道に仲間と共に立っていた。「こちらは機関長、あそこの宣伝カーはシースター3号の船長です」。パク船長が仲間たちを紹介する。インタビューは1時間を超え、体が凍るようだ。

 30歳のパク・ソンモさんはニュージーランドで4年間のトロール船の航海士生活を終え、2008年に帰郷して結婚し、江原道に腰を落ち着けた。江陵(カンヌン)港、墨湖(ムクホ)港を出港し、鬱陵島(ウルルンド)を経て独島(ドクト)へと向かう旅客船運航事業が始まったばかりの時だった。4隻の船が毎日運航する大きな事業だった。旅客船の航海士として来てほしいとの提案を受けたパク・ソンモさんは、しばらく離れていた海に2011年に戻り、再び船に乗り込んだ。首都圏から近い江陵から鬱陵島、独島に行ける旅客船は人気があった。パク・ソンモ航海士は旅客船の仕事が好きだった。運航初期には最低賃金だったが、安定すれば賃金も上がるだろうと考えていた。2等航海士だったパク・ソンモさんはやがて1等航海士になり、そして船長になった。

事業は盛況なのに去る船員たち

 鬱陵島、独島旅客船事業は盛況だった。しかし江原道でリゾート事業を展開するかたわら旅客船運送事業免許を取得し、江原道~鬱陵島~独島旅客船事業を開始した「シースポビル株式会社」には、社員に感謝する気持ちがなかった。最低賃金は変わる気配がなかった。契約書は毎年更新されるが、月給が上がらないため会社を去る船員が出始めた。給料は少なくても、会社がうまくいくようにまず仕事をきちんとしようと思っていたパク船長は、不安に駆られはじめた。

 セウォル号惨事以降、不安は具体的な苦悩となった。「今のように会社が最小人数で利益を得ているうちに、大きな事故でも起こったら誰が収拾するのか。ロボットでない以上、毎日働いているのだから病気になったり疲れ果てたりするのではないか」。給与を上げ、もっと船員を採用すべきだと考えた。パク船長は何度も訴えたものの、会社は聞かなかった。2017年にKTX江陵線が開通してからは、旅行客がさらに増えた。会社はより一層もうけたことだろう。

 新型コロナウイルス禍がはじまった。旅客船は2隻を休ませて2隻で運航し、会社は給与を船員は10%、管理者は20%削減しようと言った。「世界中がそうだったから、理解はしましたよ」。依然として数百億ウォンの売上があったし、船員の名でコロナ補助金を受け取ってもいた。それでも会社は改めて給与の50%カットを通知してきた。社員の半数が船を降りた。14人が残って旅客船を運航した。パク船長はまたも不安を感じた。「代替する人員がいないじゃないか。事故でも起きれば収拾する方法がない」。会社に訴えた。「必要ない。会社が厳しいから出ていく者は出ていけ」。パク船長は会社へ訴えることを諦め、振り返ってみた。「我々船員に力がないから、会社の私に対する態度がこのありさまなんだな」

 労働組合を作った。2021年5月のことだ。労働組合結成後、定期健康診断に行かなければならないパク船長のもとに、会社は退職した元船長を連れてきた。「あなたが一日休暇を取ると、この人が臨時船長をすることになるから、休暇を取るつもりなら取れ」というのだった。1カ月は集中教育を受けないと旅客船の船長業務はできないが、わずか3日間しか教育を受けていない人が臨時船長をするという。休暇は取るなという話も同然だった。

 抗議するパク船長を、会社は運航を休んでいる墨湖港に異動させた。一緒に船に乗っていた後輩船員たちも、臨時船長が船に乗ることについて「乗客を運ぶ船なのに、事故が起きたら収拾できるのか」と不安がった。運航を拒否した後輩船員たちも墨湖港に異動させられた。この事件は、会社が労働組合を解体するためにその後に手を染める行為の序幕のようなものだった。

労組を作ったら船長と船員を不当懲戒

 船長と船員たちは「船員労働委員会」で不当懲戒、不当異動判定を勝ち取ったが、会社は彼らによる勤務記録表の提出を機密流出だと主張し、海洋警察に告発したうえ、解雇してしまった。パク船長と船員たちはその時から、あらゆる段階の行政的、法的手続きに呼ばれている。取られる措置ごとに不当で違法だとの判断が下されたが、会社は受け入れていない。

 パク船長も知ったことがある。1962年に作られた船員法は船員のための法ではなく、船舶会社の事業主が「船員をどのようにこき使うか」を定めた法だったのだ。事業主が嫌だと言えば何もできない。出港準備から運航を終えて港に戻って旅客船の整理まで15時間働いたとしても、最低賃金さえ支払えば問題ないと船員勤労監督官は言う。「大韓民国では船員は人ではないんだな」。パク船長と組合員たちは船員法を改正すべきだとの考えから、沿岸旅客船の船員たちに会うために全国の港を訪ねて回っている。

 パク船長が動かしていた「シースター11号」は、鬱陵島や独島まで行く旅客船の中でも乗客に最も配慮する船だったとパク船長は言う。午前8時に江陵港を出港する旅客船は、船員たちが朝6時から安全点検を行い、船長は船の全般的な状態、気象状況、船員たちのコンディションをチェックする。

 「鬱陵島、独島は行きたいという気持ちだけで来られる所ではなく、気象条件が整ってはじめて来られるんです」。今も船に乗っているかのようにパク船長は「来られる」と言う。船は鬱陵島まで3時間30分、さらに独島までは3時間30分かかる。会社の補助する食事代は1食分のみのため、船員たちは船に炊飯器を置いてご飯を炊いて食べた。独島は埠頭施設が整っていないため、天候が悪ければ接岸は困難だ。接岸が難しくて独島に降りられない時、乗客たちは絶望した顔になる。申し訳なく思えて、パク船長は独島を旋回する。自分の休息も後回しにして、ゆっくりと独島を回る。

「闘わないと。間違ってるんだから」

 海はパク船長の家だった。父親は漁船を操り、母親は今も海女として働いている。兄はカニ漁船に乗っている。「離れることはできません。船に乗っていた人間は海を恋しがるんです」。毎日見ているのに、海がそんなに好きなのか。「同じところに座っていても波は毎日違うでしょう」

 海を愛した子どもが船長になった物語は、船長は労働組合の支部長になって街頭でプラカードデモをして2年目になる、という結末を迎えるのだろうか。家族はパク船長に言う。「海は努力した分だけ報いてくれる。闘わないと。間違ってるんだから」

チョン・スギョン|労働健康連帯活動家 (お問い合わせ japan@hani.co.kr )
https://www.hani.co.kr/arti/society/labor/1072880.html韓国語原文入力:2022-12-23 10:41
訳D.K

関連記事