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[朴露子の韓国・内と外]米国覇権以後の世界

登録:2022-04-26 20:51 修正:2022-06-01 08:58
イラストレーション=キム・デジュン//ハンギョレ新聞社

 私は中国史を勉強しておもしろいことを一つ発見した。中国の支配者は、常に「天下統一」を理想として掲げるが、事後的に見れば歴史の進歩が最も速かった時期はまさに天下が統一されなかった時代であった。私たちがよく知っている儒家や道家、法家などが形成された春秋戦国時代(紀元前770~221)は分裂の時代だったが、おそらく中国の歴史上最も豊富な遺産を遺した時代でもあった。中国古典思想の形成のみならず、秦国で商鞅(紀元前390~338)の改革が作った世界初の能力主義官僚国家も血なまぐさい戦乱の世の有意味な社会的実験であっただろう。

 この時代と比較が可能な時期は、宋(960~1279)と遼(916~1125)、金(1115~1234)のように漢族ではなく“蛮夷”が建てた王朝が共存した10~13世紀であった。隣国との競争の中で宋では水力紡織機や火薬使用などにより技術が発展し、紙幣・手形の使用を基に商業経済が繁盛しただけでなく、性理学から禅仏教まで多様な思想が競合しもした。ヨーロッパより約千年早く宋で“近世”(early modernity)が出現したのだ。反対に天下統一を成し遂げた明や清の時期には歴史の発展がはるかに遅かった。

 覇権が弱まったり交替する時期は近現代世界史にもあった。1870年代初期のドイツの浮上以後であり、たとえ英国の世界覇権は基本的には維持されながらも、新興産業大国の米国とドイツの競争の中で日が進むにつれ弱まった。だが1914年まで続いたこの覇権国家の衰退の時期は、おそらく世界史で技術発展が最も速かった時代であり、労働運動が大々的に発展した時代でもあった。まさにこの時期にマルクス主義からニーチェ思想まで、今日私たちの考えの地形を形成する思想の流れが作られた。明確な覇権国家がなかった1914~1945年の間、英国から米国に覇権が移る時期は、世界史で最も大胆な社会的実験が可能だった時代であった。1917年以後、ソ連で代案的近代のモデルが根をおろし、中国共産党が歴史上初めて農民基盤の社会革命を試みた。

 1945年以後の米国覇権の歴史的軌道は単純でなかった。1940年代後半に絶頂に達した米国の覇権は、1970年代初期に至って西ドイツと日本の浮上と米国製造業の相対的後退、そしてベトナムでの敗北などで多少萎縮した。そうするうちに1989~91年にはソ連と東欧の没落、そしてほぼ同じ時期に進んだインターネットの商業化と米国が主導した新しいデジタル経済のスタートは、衰退一路にあった米国の覇権に突然新たな“力”を吹き込んだ。ソ連は“すでに”滅びたし、中国は“まだ”本源的蓄積と工業経済の圧縮成長時代を経由していた1991~2008年の間に米国覇権は1950~60年代に次ぐ“第2の黄金期”を享受した。

 しかし、2008年の世界金融危機は米国式の新自由主義モデルに“死刑宣告”を下した。それに比較すれば、すでにデジタル経済の領域にまできわめて成功裏に進出した中国式官僚資本主義はより強い生命力を見せた。イラク戦争での事実上の敗北などの悪材料が重なった米国が弱くなった合間を利用して、中国との本格的癒着に入ったロシアは2008年に親米指向の隣国ジョージアを侵攻した。その時から今まで米国の覇権は次第に傾向的に弱まっていったと言っても過言でないだろう。まさにこうした状況展開を背景に、北朝鮮の核・ミサイル開発も加速した。

 最近広がったロシアのウクライナ侵略もやはり、米国のヘゲモニー弱化の中でのみ可能であった。この侵略自体は世界史を変えるほどのことではない。そうなる筈もないが、たとえロシアがウクライナ全土を占領し自国に編入させたとしても、世界経済にロシアが占める持分は依然として2~3%内外であろう。侵略それ自体より世界史的により重要なのは、この侵略を契機に明らかになった世界の“両分”だ。欧米圏と韓国・日本とカナダ、オーストラリア、ニュージーランドなどはロシアに対し経済制裁を加えたが、制裁を加えた国々の人口は世界総人口の14%に過ぎない。これに対して、中国はもちろんインドやトルコ、サウジ、ブラジル、南アフリカ共和国など世界各地域の強国はロシア制裁に参加しないことにより米国のリーダーシップに事実上の挑戦状を投げた。米国とヨーロッパの銀行でロシアの資産が突然凍結されたことを見た中国は、自国通貨である元貨の国際決済比率を高めるなど、自国中心の国際金融システム構築に今後力を注ぐと見られる。そうしたシステムが構築され、中国が最高順位の米国の金融制裁に耐え抜くほどになるならば、私たちはその時から米国覇権以後の時代を迎えるだろう。

 すでにその鳥瞰図がある程度描かれている「米国覇権以後の世界」は、安定してもいないだろうし平和でもないだろう。核使用のリスクは、過去の覇権交代期であった第1,2次世界大戦のような惨事が広がる可能性は低くするが、ウクライナ侵略のように地域の強者らが周辺で起こす大小の代理戦争はたびたび起きるだろう。新自由主義に代わって国家主導の産業政策が新たな“正常”になり、互いに競争する各国の集中的な研究・開発投資で技術発展は速くなるだろうが、列強の角逐は世界各地で新たな被害者を作り出すだろう。

 ところが、それと同時に危うげに見える「米国覇権以後の世界」は、多くの機会を提供するだろう。戦争・制裁の中で原油価格とともに各種の物価が上がり、インフレが激しくなれば大衆の購買力が萎縮するが、その貧困化の政治的結果は多様になりうる。貧しくなった大衆は右だけでなく左にも急進化しうる。最近人気が上がったフランスの極右政治家ルペンのみならず、大統領選挙で勝利したチリの典型的「ミレニアル左派」ボリッチも新しい時代を代表する政治家だ。

 西側と中国の間のデカップリング(脱同調化)が成り立つだけに、米国をはじめとする西側諸国で制限的ながら再工業化が要求されるだろうが、産業労働者の階層が再び大きくなるだけに左派の大衆的基盤も頑丈になりえる。古典的自由主義や“ポスト”思想の萎縮ないし退出から生じる理念市場の“スキ間”を、極右民族主義だけでなく新しく革新的なマルクス主義も埋めることができる。一国覇権以後の強国競合の世界が、同時に階級闘争と気候の正義のための闘争の世界になることを私は確信する。

//ハンギョレ新聞社
朴露子(パク・ノジャ、Vladimir Tikhonov)オスロ国立大学教授・韓国学 (お問い合わせ japan@hani.co.kr )
https://www.hani.co.kr/arti/opinion/column/1040456.html韓国語原文入力:2022-04-26 18:58
訳J.S

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