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[寄稿]ベトナム戦の韓国軍民間人虐殺取り上げた映画とナショナリズムを超える想像力

登録:2022-03-24 07:08 修正:2022-03-24 10:35

 ベトナム戦争当時の韓国軍の民間人虐殺に対する異なる記憶を描いたドキュメンタリー映画『記憶の戦争』が日本で公開された。版権が売れたという知らせを聞いた時は嬉しかったが、同時に心配にもなった。日本の右翼団体が、「韓国もベトナム戦争で民間人を虐殺し、性的暴行を犯したから、日本政府に責任を問えない」という自らの主張を裏付ける根拠として、この映画を例に挙げるのではないかと懸念した。

 3月20日には福岡市にある九州大学韓国研究センター主催で、映画の上映及び対談イベントが開かれた。上記の虐殺事件を20年間取材してきたハンギョレのコ・ギョンテ記者が書いた本『ベトナム戦争と韓国、そして1968』を翻訳した平井一臣教授(鹿児島大学法政策学科)と対談を行った。同書を翻訳するようになった経緯について聞くと、彼は韓国の書店で偶然同書を見つけたと答えた。ベトナム戦争に同盟国として参戦した韓国が、帝国侵略の被害者性のみ強調するのではなく、自国の加害者性を直接取り上げた点で、日本社会に必ず必要な本だと考えたと、平井教授は述べた。しかし、出版過程は容易ではなかったという。出版社がみんな難色を示したためだ。東南アジアの戦争史を取り上げるだけでなく、日本が参戦もしていない戦争史なので、収益を保障できないというのが理由だった。また、映画の版権が売れた時に私が懸念したのと同じように、同書が日本の右翼団体の主張の根拠になるのではないかと心配したという。紆余曲折の末、翻訳本は映画の日本公開とほぼ時を同じくして出版された。同じ事案を扱っていることから、映画と本を一緒に紹介するため、対談することになった。

 観客たちは、私の懸念とは裏腹に成熟した反応を示した。韓国の女性監督が参戦軍人だった祖父の記憶を経由して加害国の国民として戦争と虐殺をどのように記憶すべきかを問う映画を見て、同じ質問を自らに投げかけるようになったという観客もいた。また、日本は第二次世界大戦当時、広島と長崎への原爆投下を経験した戦争の被害国だとばかり思っていたが、加害国の国民としてどんな態度を取るべきか悩むようになったという感想もあった。観客の一人から、日本でこの映画を上映する意味について聞かれた。私がこれまで悩んできたことに触れる質問だった。私はこう答えた。

 「誰かはこう言うでしょう。日本が参戦していない戦争の話を、なぜ日本人である我々が見なければならないのかと。日本はベトナム戦争に直接参加していませんが、米国への兵站支援を通じて莫大な利益を得ました。それによって高度経済成長を成し遂げることができました。韓国も同じです。ベトナム戦争に戦闘兵力を派兵し、軍需物資を供給し、韓国の経済開発事業を進めることで、経済成長を実現しました。この戦争を単なるベトナムと米国の戦いと見なすと、多くのことを見逃してしまいます。何より、戦争でお金を稼ぐというのは、一体どういう意味でしょうか」

 自分自身を韓国人あるいは日本人という特定国家の国民に設定すると、利害関係を離れて平和を論じることが難しくなる。境界を崩して観点を広げ、東アジア人、アジア人、地球人としての観点を持つと、事案をより正確に捉えることができる。日本の観客は映画に登場するベトナム人虐殺の生存者と、それに連帯する韓国市民社会を通じて、日本の加害と被害の歴史を見つめ直した。私は観客の視点を通して韓国の加害と被害の歴史を振り返った。

 在日朝鮮人の著述家で作家の徐京植(ソ・ギョンシク)氏は、在日コリアンを単に韓国国籍、朝鮮籍、日本国籍に分けることはできず、そう分けてはならないとし、この問題を解決するためには、両者択一論とナショナリズムを越える想像力が必要だと話す。境界を行き来する想像力と、それを可能にする連帯とは何だろうか。平井教授は、本を翻訳する過程で、ベトナム中部の被害村を見学したかったが、コロナ禍のためそれができなかったと残念がっていた。いつか韓国と日本の市民が一緒にベトナム平和紀行に出る日を夢見る。そこで始まる平和の議論を想像してみる。徐京植氏の言う欧州連合(EU)の北東アジア版、東アジア共同体の始まりになるかもしれないその日のことを思い描く。

//ハンギョレ新聞社
イ・キル・ボラ | 映画監督・作家(お問い合わせ japan@hani.co.kr )
https://www.hani.co.kr/arti/opinion/column/1036018.html韓国語原文入力:2022-03-24 02:31
訳H.J

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