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[寄稿]災いで終結した米国の戦争

登録:2021-08-26 09:27 修正:2021-08-26 12:39

 米国のアフガン戦争の最後は悲惨な災いだ。米国はこの20年間で100兆ウォンを投資したにもかかわらず、民主主義の国と、軍隊ともいえないタリバンから防御する軍隊を作ることに失敗した。シナリオのない戦略で米国の国益だけを掲げて撤退したバイデン大統領のリーダーシップは、米国内と世界の世論の反対にぶつかっている。米国だけを見れば、国益という言葉と「われわれの子どもたちをいつまで犠牲にするのか」という言葉には説得力がある。しかし、バイデンは一つだけを見るばかりで、世界の利益が米国の利益だということを見ていない。バイデンの言葉が正しくても批判を受けるのは、人間の命にかかわる災いを予測できなかったためだ。国益のために人間の命をタリバンという暴力勢力に投げてしまったということだ。すべての命は自分の命と同じく大切だということを、バイデンは無視した。

 米国は第1次、第2次世界大戦を除いて、戦争終結を失敗で飾った。毛沢東と蒋介石が戦った時、蒋介石の軍隊に武器を支援した米国は、毛沢東に武器を売り渡す腐敗した軍隊を知らなかった。朝鮮戦争でマッカーサー将軍は戦争を終息させようとしたが、トルーマン米大統領は彼を廃した。ベトナム戦争でも、無数の爆弾を落としたにも関わらず、恥ずかしい戦争として幕を下ろした。今回のアフガン戦争の最後を見ることで、これまでの戦争との共通点を見出すことができる。一つ目に、戦場の社会的、文化的、宗教的な特性と道徳的欠如を把握できなかったこと、二つ目に、米国の政治的計算と国益だけを考えて拙速な撤退が招く災いを予測できなかったこと、三つ目に、自国の利益と世界の利益が一つに結びついていることを熟慮できなかったことだ。世界はそれぞれ分離した国の構成ではなく、つながった共同体である。

 世界には世界倫理が必要だ。個人に個人倫理があるように、世界にはグローバル倫理がある。こんにちの地球環境の危機は一国の危機ではなく、世界の危機である。一国が炭素を大量に排出すれば、全世界の危機となる。今は新型コロナウイルスで全世界が苦痛を分かち合っている。周知のように一国だけがコロナを防御したからといって防御になるわけではない。あなたの問題は私の問題であり、私の問題はあなたの問題になる。

 米国は大きな国として生まれた。国というよりも世界の縮小版だ。米国が超大国になったのは、欧州と世界の人々が集まって協力したおかげだ。米国が富強なのは世界すべてのおかげだ。そのため米国は、世界の問題を自国の問題と考え、警察の役割――水準と方式をめぐって論争が起こり得る――をしなければならず、世界に参加することはすなわち自国の利益だと考えなければならない。

 結局、深い考えもなく軍を撤退させたバイデン大統領は、アフガン難民という課題を作り出して頭を悩ませながら、全世界の同盟国に負担させようと悩んでいる。アフガン難民はイスラム律法主義という宗教的背景、定着と生活基盤の提供などの問題を抱えている。一時的あるいは恒久的な定着について真剣に考えなければならず、いつかはアフガニスタンに戻る問題も考えなければならない。あるいは世界の余裕のある空間にイスラエルのようなモデルを適用することも考えられる。韓国政府もこの点について考えなければならない。

 最後に、米国の国防総省と戦略家たちは、米国の世界戦争史を再検討し、世界に対する責任を果たすための戦略を見直さなければならない。タリバンを変化させるか、でなければ消滅させなければならない。やってみて駄目なら投げ出すというのが米国のイメージでないことを望む。

//ハンギョレ新聞社

チェ・ヨン|米T-Leadership School教授 (お問い合わせ japan@hani.co.kr)

https://www.hani.co.kr/arti/opinion/because/1009104.html韓国語原文入力:2021-08-26 02:36
訳C.M

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