1971年は英米の政治哲学にとって歴史的な年だった。ジョン・ロールズの『正義論』が出版されたからだ。ロールズは1958年から「公正としての正義」という論文を皮切りに、後に『正義論』の骨組みとなる論文を次々と発表した。論文が増えるにつれ、『正義論』に対する期待はますます高まり、この本は発売されるやいなや政治哲学の地位と地形を一変させた。このように多くの人々が『正義論』の出版を待っていたのには、1950~60年代の米国の現実が影響していた。当時、米国では実用主義(プラグマティズム)と実証主義の風が吹き荒れる中、政治哲学は役に立たないと思われていた。しかし、皮肉なことに実用主義と実証主義は、民権運動とベトナム戦争の過程で明らかになった人種差別をはじめとする米国社会の問題に対して、まともな解決策を提示できなかった。
そのような状況で出版された『正義論』の最初の文章は以下の通りである。「真理が思想の体系にとって第一の徳であるように、正義は社会諸制度の第一の徳である。どれほど優美で無駄のない理論であろうとも、もしそれが真理に反しているのなら、棄却し修正せねばならない。それと同じように、どれだけ効率的でうまく編成されている法や制度であろうとも、もしそれらが正義に反するのであれば、改革し撤廃せねばならない」。それに続く「ある人々にとって自由の喪失であるものが、他の人々によって分かち持たれる善がより多くなるという理由で正当化されることを、正義は認めない」という文章は、民主的正義が多数の保護を越え、社会的少数者及び弱者を保護する時に正当性を得られるという宣言だった。このようにロールズは70年代を「正義」に関する論争の時代として開いた。その後、この論争は80年代に個人と共同体に対する論争に、90年代には市民権と多文化主義につながった。すべての主な論争の始まりは『正義論』といっても過言ではなかった。
この『正義論』に書かれた最も画期的な発想の一つは、合理的な個人が公正な合意の状況に置かれていれば、自らの安全のためにセーフティネットを構築するということだ。ロールズは、自分と他の構成員や社会に対する確固たる情報がない人々が合理的であるならば、すなわち合理的個人が現在と未来が不確実な状況にあるならば、自分の利益を最大化するためにセーフティネットを構築する選択をすると主張した。これは社会的保護体系が作られる理由を「他者への恩恵」から「自分の利益を最大化するための合理的選択」に移したという点で画期的な発想の転換だった。ロールズは正義の主な任務が社会的弱者の権利保護という点を確実にし、こうした発想が込められた自らの理論を「公正としての正義」と呼んだ。
韓国社会で数年前から公正性を確保するための手段として「能力主義」が取りざたされている。正規職と非正規職から始まる労働市場の二重構造化や、清掃や配達関連の労働者まで「社長」に分類される「プラットフォーム経済」の登場、技術発展が作り上げる雇用の価値や地形の急激な変化、少なく見積もっても「20対80」の分配の二極化などを見る限り、今の韓国社会は大多数の人にとって不確実性に満ちている。NH投資証券「100歳時代研究所」の「2016年大韓民国中間層報告書」が出した、中流に属する人の79.1%が自分が中流より下だと考えているという内容は、こうした不確実性がもたらす不安が反映されたものと言える。なのに、能力主義とは!このような状況を念頭に置いて『正義論』を読み返すと、ロールズの転換的発想が果たして正しいのか疑わざるを得ない。
もしロールズの分析が依然として正しいと考える根拠があるとしたら、韓国社会で「能力主義」を公正性の解決策として示している主体が、実は「20対80の壁を越えられる能力や可能性がある人たち」ということだ。ロールズは、社会的に影響力を発揮できることを自覚している人々が公的制度作りに参加すれば、その制度が彼らの方に傾くことになるだろうと主張する。そしてそれを防ぐために、彼の言う公正な合意の状況にいわゆる「無知のベール」をかぶせた。ならば、私たちは次の質問から出発しなければならないのではないだろうか。「今、韓国社会で能力主義が公正なものだと声を上げているのは誰か?」「能力主義を謳って得をするのは誰か?」
いずれにせよ、今私たちが叫んでいる公正さが、ロールズが公正性に与えた社会的弱者を保護する任務を打ち捨て、社会的強者の位置を強化させる方向に動いているのは確かかもしれない。
キム・マングォン ㅣ慶煕大学術研究教授・政治哲学者