被害者から「問題解決の主体」に
イ・ヨンスさんの今回の証言は
女性運動史における重要な出来事
<女性人権運動家のイ・ヨンスさんが、長い間自分が耐えてきた苦痛をあらわにして市民社会と政府に投げかけたメッセージは、全ての人々の心を重くする。イさんの訴えをきっかけにハンギョレは、私たちが何を省察し、残された問題をどのように解決すれば被害者の苦痛と傷が本当に癒されるのかを模索するリレー寄稿を掲載する。日本軍「慰安婦」関連記録物のユネスコ世界記録遺産共同登録に向けた国際連帯委員会事務団総括チーム長を務めているハン・ヘイン「アジア平和と歴史研究所」研究委員が2番目の文を寄せた。>
5月に二度にわたって行われたイ・ヨンスさんの記者会見(公開証言)をどう受け止めるべきか。結論から言って、日本軍「慰安婦」問題を歴史の深淵から初めて引き上げた1991年8月14日のキム・ハクスンさんの初の証言と同じくらい、イ・ヨンスさんの今回の証言を女性運動史で非常に重要な事件として受け入れなければならないと判断する。
これまで私たちは、慰安婦被害当事者の声を聞くとき、彼女たちが証言する「被害事実」と悲劇的な人生の話に集中してきた。これを通じて彼女たちの「痛み」、そしてそれを克服した「勇気」を称えてきた。話をするのは彼女たちだったが、問題解決の主体は支援団体や政府であり、そのような意味で被害当時者たちは受動的な存在だった。
今回のイ・ヨンスさんの証言は、それとは大きく異なる。正義記憶連帯(正義連。韓国挺身隊問題対策協議会(挺対協)の後身)が主導的に導いてきた従来の運動方式を批判し、自ら慰安婦問題を定義し、運動の方向性を定めようとする主体的な意志を表現している。私たちが望む姿であれどうであれ、彼女が私たちの前に主体として立つと決心したという事実だけは認めなければならない。過去30年間、挺対協・正義連を中心に続いてきた運動が「被害当事者」イ・ヨンスとどれだけ問題意識を共有し、実際にどれだけ被害者の治癒と回復に貢献してきたのかを振り返る機会でもある。
イ・ヨンスさんはこれまで、挺身隊、性奴隷という規定を避けて「私はイ・ヨンスです」という言葉で自分を紹介することが多かった。しかし、今回の公開証言では激昂した声で、私は(勤労)挺身隊ではなく、「命をかけて連行された」、「汚く、聞くのも嫌な慰安婦」と自分を規定し、女性たちに「恥ずかしく、すまない」ことだと述べた。イ・ヨンスさんにとって慰安婦被害は依然として「汚く、聞くのも嫌で、恥ずかしく、すまない」という現在進行形の被害でしかないのだ。この30年の運動は被害者たちに対して、慰安婦被害は恥ずかしく汚いことではなく、あなたの過ちではなく、すまないと思うことではないと慰めてきたが、その慰めはいまだ彼女には届いていなかった。
イ・ヨンスさんは、慰安婦問題について、日本政府の謝罪と賠償が必要だという原則的な立場を固く守っている。それが切実である理由は、彼女自ら25日の会見で明らかにしたように、そうしてこそ自分が「慰安婦という汚名」を晴らすことができるからだ。そしてイ・ヨンスさんはとても興味深い発言をする。「日本と韓国は隣りの国です。この学生たちは、何のために謝罪と賠償をしなければならないのか知るべきじゃないですか。お互いに行き来しながら親しくなり、お互いに学ばなければなりません」と語る。問題が何かを「知らない」若い学生たちが叫ぶ「謝罪せよ、賠償せよ」が、単に反日スローガンにばかり聞こえる「水曜デモ」では、この問題を解決できないと主張しているのだ。教育と交流を挺対協・正義連がやってこなかったわけではないが、1441回まで続いた水曜デモで際立つ声は、日本政府の「公式謝罪」と「法的賠償」だった。イ・ヨンスさんもこの主張の正当性には共感するが、この主張をこれ以上水曜デモのような方式ではなく他の方式にしようと、運動方針の大きな転換を訴えているのだ。自分に残された時間がそれほど長くないこと、また日本が簡単に「真の謝罪と反省」をしないことを、経験的に悟っているのではないか。
正義連が主導的に率いた
既存の運動方式を批判し、
自ら慰安婦問題を定義して、
運動の方向性を定めようとする主体的意志を表現している
イ・ヨンスさんは他のハルモニたちとは違い、支援団体に属さず独立的に活動してきた。この問題を解決するために大学院に通い、国会議員になろうともした。しかし公的地位は得られなかった。過去30年間の運動は、イ・ヨンスさんに人権運動家という「望ましい」被害者として残ることを望んだ。そしてイ・ヨンスさんは、その「望ましい」被害者に与えられた最高の権威がキム・ボクトンセンターに収れんされるのを見た。自分の歴史がどのように記憶されるかについて焦りがあったと思われる。
私たちがイ・ヨンスさんの証言に大きな衝撃を受けたのは、彼女が発した言葉の凄絶さのためだった。彼女は慰安婦運動を自分とともに行ってきた正義連のユン・ミヒャン前理事長が、自分の得られなかった公的地位を得ることになったことを、運動に対する「裏切り」という言葉で表現した。イ・ヨンスさんは、本人が支援を受ける被害者である限り、トランプ大統領も、文在寅(ムン・ジェイン)大統領も、朴槿恵(パク・クネ)前大統領も、どんなに偉大な政治家でも、この問題を解決できないということを経験的に知っている。そして、長年の同志だったユン・ミヒャン前理事長までもが自分のそばを離れることを確認した。
こうした袋小路に追い込まれた「女性人権運動家イ・ヨンス」が下せる結論は何だっただろうか。「汚く、恥ずかしい」慰安婦としての時間を送ったイ・ヨンスさんは、生の最後の瞬間を眺める時期に、若い日本の学生たちに苦心しながら和解の手を差し伸べた。彼女の結論は、挺対協・正義連が行ってきた努力は続けながら、日本が責任を持って賠償するまで自国の歴史を正しく伝える「韓日青少年教育」を行うことで、日本と「和解」をしようという意味に読み取れる。これは被害当事者本人が、今目の前の「歴史の正義」を猶予してでも、真の「歴史の正義」へと向かう和解の道を模索しようと提案したものと考えられる。
イ・ヨンスさんが提案した「和解」の方法について、日本と踏み込んだ対話をする必要がある。今年検定を通過した日本の中学校社会科の教科書をみると、独島についての記述は悪化した反面、日本軍慰安婦に対する内容が以前に比べて少しはより具体的に表現され、「強制性」を帯びているという点も記述された。根本的な変化ではないが、このような点で、慰安婦問題に対する対話の実現の可能性を探ることができないだろうか。被害者自身の歴史を所有し記録しようとするイ・ヨンスさんの提案をどのように受け入れ、私たちの公共の歴史と「対話」すべきかを深く考える責任が私たち皆にある。