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“極秘”の全斗煥長期政権研究書はどうやって米国大学で発見されたのか

登録:2020-05-26 08:48 修正:2020-05-26 13:16
2017年、5・18記念財団が米カリフォルニア大学ロサンゼルス校(UCLA)東アジア図書館で確保した「88年平和的政権交代に向けた準備研究」の表紙。同文書は「全斗煥長期政権シナリオ」と呼ばれ、5部しか制作されていない極秘文書だ=5・18記念財団提供//ハンギョレ新聞社

 2017年、5・18記念財団が米カリフォルニア大学ロサンゼルス校(UCLA)東アジア図書館で確保した「88年平和的政権交代に向けた準備研究」(全斗煥長期政権研究書)が米国に渡った経緯が、約30年後に明らかになった。同文書は「全斗煥(チョン・ドゥファン)長期政権シナリオ」と呼ばれ、5部しか制作されていない極秘文書だ。

 キム・ヨンギ元慶南大学教授は25日、「1986年に韓国キリスト教団体を通じて米国の人権団体に送った『全斗煥長期政権研究書』が米国UCLAで発見された」と説明した。

 キム教授は「1986年夏ごろ、共に進歩学会に参加していたチャン・ハジン忠南大学教授(当時)から同文書を受け取った。チャン教授の夫、キム・ホンミョン教授(当時西江大学)が文書の作成者であるチャン・ヨンホ京郷新聞政経研究所企画委員に検討を要請されたが、内容があまりにも衝撃的で、私に暴露する方法を相談した」と語った。

 キム教授は「私は当時労働界に関与していたが、何人かとその方法を協議し、韓国では暴露するのが難しいから、韓国の宗教団体を通じて米国の人権団体が公開した方がいいという結論に至った。私も政府の監視を受けていたため、延世大学近くのコピー屋で国家安全企画部(安企部)の職員と称して3部をコピーした。原本は返還し、写本1部は大学路(テハクロ)にあった韓国キリスト教教会協議会(KNCC)に渡し、残りの2部は廃棄した」と、当時を振り返った。ただ、キム教授は「弾圧を避けるため、互いに保安を維持したため、具体的に誰が、いつ、誰に渡したかは分からない」と付け加えた。

「88年平和的な政権交代に向けた準備研究」を米国の人権団体に送ったキム・ヨンギ元慶南大学教授=キム・ヨンギ教授提供//ハンギョレ新聞社

 キム教授は2017年12月、5・18記念財団がUCLAで確保した5・18関連資料を公開する際、「88年平和的政権交代に向けた準備研究」が含まれていると聞き、自分が送った文書だと直感した。

 5・18記念財団は、米国のキリスト教系人権運動団体であるKCCPJR(Korea Church Coalition for Peace, Justice, and Reunification)が1995年に解散する際、他の5・18関連文書と共に「88年平和的政権交代に向けた準備研究」をUCLAに寄贈したと説明した。

 キム教授は「キリスト教関連の人権団体が寄贈したという点もそうだが、原本には所持者を把握できるよう連番が書いてあった。当時、文書を受け取った際、流出した人が明らかになることを防ぐため、連番を隠してコピーした。5・18記念財団が公開した文書も連番が分からなくなっており、私が送った文書だと確信した」と主張した。

 UCLAで文書を発掘したチェ・ヨンジュ元5・18記念財団非常任研究員は「当時、米国の人権団体は『全斗煥が長期政権に就けば、韓国国民はこれを容認した米国に対して反感を持つ可能性がある』として、米国政府に圧力をかける声明を頻繁に発表していた。全斗煥長期政権研究書が英語に翻訳されたことから、米国内の団体に伝わったものとみられる」と説明した。

 チェ研究員はまた「キム・ヨンギ教授が文書を渡す過程を研究すれば、どうやって韓国の民主化運動家が国際人権団体と連帯を結ぶことができたのか分かるだろう」と述べた。

「88年平和的な政権交代に向けた準備研究」の内容を報道した1988年11月13日付ハンギョレ5面//ハンギョレ新聞社

 一方、16切りサイズ40ページ分の「全斗煥長期政権研究書」は、1984年当時、チョン・グホ京郷新聞社長の主導で、チャン・ヨンホ氏やユン・サンチョル主筆、ヤン・ドンアン論説委員が極秘裏に作成した。同文書には、1988年に全斗煥氏が大統領退任後も民政党総裁を務め、後任の大統領は副総裁を兼任させるという基本構想が書かれている。民政党が少なくとも2000年まで政権を握り、全氏が直接後継者を育成し、後任大統領を選出すると共に、野党の政治家だった金大中(キム・デジュン)元大統領は帰国を許可せず、金泳三(キム・・ヨンサム)元大統領は物質的な懐柔案などを検討すべきだと記している。

 同文書は1987年3月1日、在米韓国人向けの「独立新聞」(発行人キム・ギョンジェ元議員)によって初めて報道され、1988年11月の第5共和国聴聞会当時、日海財団と共に争点に浮上した。当時、全斗煥氏が日海財団を通じて長期政権を執るのを図っているという噂が流れていた状況で同文書が暴露され、日海財団は世宗研究所に名称を変えて研究機関としてのみ役割を果たすようになった。

キム・ヨンヒ記者(お問い合わせ japan@hani.co.kr)
https://www.hani.co.kr/arti/area/honam/946423.html韓国語原文入力:2020-05-25 18:29
訳H.J

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