本文に移動

「特捜団が信用できるようになるまで」…セウォル号の母たち、雨の中デモ

登録:2019-11-14 09:23 修正:2019-11-14 11:42
13日午後3時、セウォル号惨事で亡くなったキム・シヨンさんの母ユン・ギョンヒさんとイム・ギョンビン君の母チョン・インスクさんが大統領府噴水前でプラカードを持って立っている。彼らは11日に発足したセウォル号特捜団がきちんと捜査するまで無期限デモを続ける予定だ//ハンギョレ新聞社

 「子どもたちの無念を晴らしてください。でないと安心できません」。

 13日午後3時、大統領府の噴水台の前。突然降りだした雨と冷たい風にもかかわらず、二人の母親はプラカードを掲げた。黄色のダウンジャケットを着た彼女たちは、「寒くないか」という記者の質問に、両側のポケットに入れたカイロを取り出し「平気だよ」と笑ってみせた。セウォル号の惨事で犠牲になったキム・シヨンさん(当時18歳)の母、ユン・ギョンヒさん(42)と、イム・ギョンビン君(当時18歳)の母、チョン・インスクさん(47)だ。彼らはこの日から大統領府噴水前でセウォル号惨事の真相究明のための無期限デモを始めた。この日「加湿器殺菌剤事件と4・16セウォル号事件特別調査委員会」(社会的惨事特別調査委員会=社惨委)は、セウォル号の惨事当日、応急処置で脈拍などバイタルサイン(生命兆候)が戻ったのにヘリコプターで搬送されず、ついに命を失った故イム・ギョンビン君の「救助放棄」について、検察のセウォル号特別捜査団(特捜団)に捜査を要請することに決めた。(関連記事:「セウォル号生徒がまだ生きているのに、救急ヘリは海洋警察庁長を乗せた」)

 チョンさんは6日、検察が特捜団を組織するというニュースに「じっとしていてはだめだ」と決心した。セウォル号の惨事が発生してから5年7カ月たって組織された特捜団が、歓迎すべきものながらも信用できなかったためだ。チョンさんは特捜団が設置されるというニュースが出た後、プラカードを掲げようと決心した。ちゃんとスローガンを作って一緒にやろうという4.16セウォル号惨事家族協議会のすすめも通じなかった。一日でも早く子どもの無念を晴らしたいという思いが先に立った。そして「特捜団を信じてただ待ってはいられないのは、惨事当日から(私たちは)いつもだまされてきたし、やると言ったことを守ったことが一つもないから。(全面再捜査を)するからといって『本当にありがとうございます』『待ってます』などと言ってはいられない」と話した。チョンさんはまた、「海洋警察が撮影した惨事当日の映像を通じて、子どもたちが、そしてセウォル号に乗っていた乗客が、どれほど無念で悲惨な死を迎えたかを見たので、私たちがその気持ちを(代わりに)表現して、私たちが検察の捜査を見守って明らかにしなきゃいけない状況だ」と付け加えた。

 もどかしく悔しい思いをしているのはユン・ギョンヒさんも同じだ。ユンさんはチョンさんがデモをするというのを聞き、自ら参加すると決めた。社惨委が公開した映像の中で、船に横たわっているイム君を見て、「何かしなきゃ」と決心した。ユンさんは「映像を見て非常に大きなショックを受けた。映像の中の子どもが自分の子どものようで、よりいっそう怒りが沸いた。今日からすぐデモを行うというキョンビンのお母さんを見て、急だけど一緒にやらなきゃという気持ちで出てきた」と語った。彼女もチョンさんと同じく、特捜団発足のニュースをマスコミの速報を通じて知った。ユンさんは「私たちも速報で知るほど、特捜団が急に作られました。どれだけ準備段階があったのか、それからして疑わしいし、私たち遺族は検察に対する信頼が100%あるわけではないので、捜査要請に対してきちんと調査をするかを見守らなければ」と強調した。

 彼女たちはこの日を皮切りに、毎週月曜日から金曜日までの毎日、正午から午後2時まで、大統領府の前でプラカードデモをする予定だ。「期限はありません。特捜団が信用できるまで、最後までやります。『ああ、もうちゃんとやるんだな』と確認できるまで」。チョンさんはプラカードを見ながら、傘をぎゅっと握った。

文・写真 クォン・ジダム記者 (お問い合わせ japan@hani.co.kr )
https://www.hani.co.kr/arti/society/society_general/916900.html韓国語原文入力:2019-11-13 17:32
訳C.M

関連記事