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[インタビュー]「右翼の『植村バッシング』ドキュメンタリーを作るため局を辞めた」

登録:2019-05-29 08:14 修正:2019-05-29 10:41
西嶋真司監督が今月19日午後、ソウル麻浦区のハンギョレ新聞社でインタビューに答えている=パク・ソア記者//ハンギョレ新聞社

 「ドキュメンタリー制作をやめるか会社を辞めるかの二者択一をしなければならなかったです。あの時、今作らなければ後悔すると思いました」

 西嶋真司監督は昨年、福岡に本部を置く民営RKB毎日放送を辞めた。入社37年目であり、65歳の定年を4年残した時点だった。「元朝日新聞記者の植村隆氏に向けた“ねつ造バッシング”をテーマにドキュメンタリーを作ると提案書を出しましたが、会社では受け入れませんでした。今、日本の民間放送では「慰安婦」問題を番組で扱うのは難しい。それで直接ドキュメンタリーを制作しようと思い、辞表を出しました」。

 19日午後、ソウル孔徳洞(コンドクドン)のハンギョレ新聞社で西嶋監督に会った。彼は二日前に「韓日学生フォーラム」に参加する日本の学生たちを率いて韓国を訪れた。インタビュー前日には5・18記念式が開かれた光州(クァンジュ)も立ち寄った。

 『標的』。彼が4年残した会社生活と引き換えにしたドキュメンタリーのタイトルだ。植村記者(現カトリック大学招聘教授)は1991年8月11日、日本軍「慰安婦」被害事実を初めて実名公開証言した故・金学順(キム・ハクスン)さんの記事を朝日新聞で報道した。金さんのソウルでの記者会見に三日先立った初の報道だった。その後、被害事実を知らせる証言があふれ出し、長い間埋もれていた日本軍「慰安婦」の歴史の実体が明らかになった。

 そして23年が経ち、日本の右翼の「植村叩き」が始まった。慰安婦ではなく「挺身隊」という表現を使ったなどの理由で「ねつ造記者」とされた。最初に報道されたときは、日本のメディアでも「挺身隊」と「慰安婦」の単語が交ぜて書かれたが、植村氏の記事だけを狙って脅迫したのだ。この影響で植村記者は任用が予定されていた日本の大学教授雇用契約まで取り消された。

西嶋真司監督(左)と植村隆元記者(右)。真ん中は歴史学者のテッサ・モリス=スズキ氏//ハンギョレ新聞社

 なぜ「植村ドキュメンタリー」なのかと聞くと、西嶋監督は「おかしい」という表現を使った。「私は1991~94年にRKB毎日放送と同じ系列の東京放送の韓国特派員を担当しました」。 彼は記者として入社し、2001年にプロデューサーに職種を変えた。日本ではよくあることだという。「特派員の時、植村記者の記事が出ました。私も一緒に『慰安婦』の記事を書いたんです。『挺身隊として連れて行かれた』という表現は私も使いました。ところが20年以上過ぎて、植村氏だけを攻撃するのでおかしいと思いました。4年前、ちょうど福岡に講演にきた植村記者と初めて会い、ドキュメンタリー制作の意思を明らかにして許諾を受けました」

 このドキュメンタリー企画案は昨年、日本の国際ドキュメンタリーのピッチングフォーラムである「Tokyo Docs」で共同制作支援対象の15作品にも選ばれた。「日本のオンライン・クラウドファンディングのプラットフォーム『A-port』で4月にファンディングを始め、現在190万円を超えました。8月までに350万円を貯めようと思っています。制作は今年中に終わらせるつもりです」

 西嶋氏はプロデューサー時代、日本が犯した戦争の歴史を扱ったドキュメンタリーを主に作った。太平洋戦争時、日本軍のマレーシア・コタバル侵略を扱ったものが代表的だ。「戦争は私が必ず記録しなければならないテーマ。日本にはまだ知られていない歴史があります。日本人のほとんどが太平洋戦争は真珠湾攻撃から始まったと思っているが、防衛省の資料を見ると、真珠湾攻撃より一時間前にコタバルを攻撃しています。しかし、日本が東南アジアで戦争を起こしたという暗い記憶を消すために、コタバル侵略を教えない。ドキュメンタリーを通じて日本が米国と同時に東南アジアでも戦争を起こした歴史を知らせたかったんです。昔から権力者は歴史を自分に有利なように歪曲するから」

「日本軍『慰安婦』被害者の金学順さんの最初の証言」  
植村記者の報道当時、韓国特派員として勤務  
「23年たってなぜねつ造バッシングするのか、おかしい」  
制作提案を拒否され、定年4年残して辞表 
クラウドファンディングを通じて製作費を募集中  
「『韓日間の歴史記録』市民、メディアいずれも重要」

 彼が2年前に作ったドキュメンタリー『抗い 記録作家 林えいだい』は、韓国教育放送の「EBS国際ドキュメンタリー映画祭」で上映されている。一昨年9月に死去した日本の記録作家の林えいだい氏は、日本が犯した強制動員の歴史を粘り強く追跡し、数冊の本を出した。「韓国の方々がドキュメンタリーを見て、知らなかった強制連行の歴史を教えてくれてありがとうと言ってくれました」

 彼は歴史について関心を持つようになったきっかけが「韓国特派員として働いていたとき」だと語った。「ソウルで歴史を正確に伝えることの重要性に気づきました。1990年代初頭、韓国で民主化運動が拡散する時期でした。焼身自殺も多く目撃しました。韓国で国家権力が歴史を自分たちに有利に変えてしまうのをよく見ました。その時、『権力とメディア』、『歴史の伝達』というテーマについて多く考えるようになりました」

 記者時代の1997年に、彼が閉鎖された福岡の三池炭鉱の歴史を扱ったドキュメンタリーを作ったのもそのような省察の結果だった。この炭鉱は、日帝強制占領期(日本の植民地時代)に徴用された多くの朝鮮人労働者を死に追いやった場所だ。このようなドキュメンタリーへの情熱を見て、放送社からプロデューサーに職種を変えることを勧めたという。「記者には客観的な報道を求めるでしょう。記者として一人の人物や事件を粘り強く追跡する『ドキュメンタリー制作』は簡単ではありません」

西嶋真司監督がインタビューに答えている。左はインタビューの通訳を担当した在日ジャーナリストの文聖姫氏=パク・ソア記者//ハンギョレ新聞社

 「韓日関係が以前に比べてよくない」という西嶋氏に「どうすればいいか」と聞いた。「日本側から事案を眺めたい。日本の国家権力が歴史を正しく伝えようとしないのが、韓日関係の悪化の主な原因ではないか、と思います。1990年代後半以降、日本での国家主義がますます勢いづきました。安倍政権は特に歴史を正しく伝えようとしません。20年間で大きく変わったんです」。彼は「日本で歴史を正確に伝えようと努力する新聞や学者たちに対する攻撃が激しくなっている」とし、「日本でも韓国でも、過去にどのようなことがあったのか正確に知ることが重要だ」と語った。

 “歴史の後退”を防ぐためにはどうすればいいのか。「光州5・18も、歴史から消そうとする動きに対抗して市民たちの力で正しく伝えている。そのように歴史は継承されると思います。歴史を記録する大きな力は市民の情熱です。メディアも大事です」

 次の作品は在日コリアン問題を扱うことになりそうだと話した。「後続ドキュメンタリーのテーマに韓日関係を考えています。具体的に在日コリアン問題を調べようと思います。これからも、日本の国家権力が伝えていない歴史を取りあげるつもりです」。

 彼の作品を狙った圧迫があったのか気になった。「権力側の圧迫はまだありません。ただ、ドキュメンタリー製作を引き止める声を周りから聞くことはあります。私が『侵略戦争』という表現を使ったことで批判を受けたりもしました。今、日本の若い人たちは日本が過去に東南アジアに植民地を持っていたという事実を知りません。国家権力が伝えないからです。だから侵略という表現も納得しないのでしょう」

カン・ソンマン先任記者 (お問い合わせ japan@hani.co.kr )
https://www.hani.co.kr/arti/international/japan/895701.html韓国語原文入力:2019-05-28 19:41
訳M.C

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