盧武鉉(ノ・ムヒョン)元大統領逝去10周忌追悼式が23日午後2時、慶尚南道金海市(キムヘシ)烽下(ボンハ)村で、追悼客約2万人が参加した中、「新しい盧武鉉」というテーマで開かれた。同日の追悼式には、ムン・ヒサン国会議長や李洛淵(イ・ナギョン)首相、ブッシュ元米大統領らが出席した。
■感動的な追悼の辞と挨拶の言葉
盧武鉉大統領の最初の秘書室長を務めたムン・ヒサン国会議長は追悼の辞で、「これからは盧武鉉の夢に向かって再び前進する。我々は過去10年を通じて、しばらく立ち止まることはあっても、結局、『歴史は進歩する』という命題が真であることを証明できた』」と述べた。李洛淵首相は「ろうそく革命で誕生した文在寅(ムン・ジェイン)政府は盧武鉉大統領が果たせなかった夢を叶えようと努力している。大統領が夢見ていた世の中を実現するまではまだ遠い道のりである。それでも私たちはその道を進む。立ち止まったり、逆行することはない」と述べた。
遺族を代表して盧元大統領の息子、ノ・ゴンホ氏は追悼式に出席したジョージ・ブッシュ元米大統領に感謝の意を述べ、「父とブッシュ元大統領は在任中、本当に多くのことを成し遂げ、二人が大統領を務める間、韓米関係は新たな段階に発展した」と述べた。
チョン・ヨンエ盧武鉉財団理事は、母親の葬儀で出席できなかったユ・シミン理事長の代わりに、財団を代表して「これからは悲しみと申し訳ない思い、恨みを忘れ、盧武鉉大統領が私たちに残した課題を実践し、実現しなければならない時だ。10周忌を機に、盧大統領の名前が悔恨と哀悼の対象ではなく、勇気を与える名前、新たな希望と挑戦の代名詞として、私たちの心の中に根を下ろすことを願っている」とあいさつの言葉を述べた。
■追悼式の風景
追悼式の司会を勤めたユ・ジョンア元盧武鉉市民学校長は、来賓として「4・16セウォル号惨事家族協議会」を最初に紹介した。追悼公演で歌手チョン・テチュン氏は「離れていく船」と「92年、梅雨、鍾路(チョンノ)で」を歌い、「歌を求める人たち」は、1004匹の蝶を空に飛ばし、「常緑樹」を歌った。追悼式が終わる際には、出席者全員が立ち上がり、「あなたのための行進曲」を斉唱した。追悼映像では、盧元大統領が原則と統合を強調するインタビュー場面が流れた。
「盧武鉉大統領の最後の秘書官」だったキム・ギョンス慶尚南道知事は、追悼式がドゥルキング事件の控訴審裁判と重なり、出席できなかった。
■早い猛暑にもかかわらず追悼客が殺到
気象庁はこの日、嶺南内陸地域に猛暑特報を発令した。それでも追悼式に出席した人は2万人を越えたと、盧武鉉財団は暫定集計した。昨年の追悼客1万7千人に比べておよそ3千人が増えたわけだ。
財団は、盧元大統領の墓地の隣の追悼式場に舞台を設置し、椅子3千脚を用意したが、午後1時にすでに空席がなく、一部の追悼客は周辺の山に登って追悼式を見守った。2千人分の昼食は昼12時30分に底をついた。車で来場した追悼客はほとんどが村の外に車を駐車し、2~4キロを歩いて烽下村に入ってきた。
大邱(テグ)から来たP氏(57)は「大統領退任後、烽下村を訪れた際、盧武鉉元大統領を初めて直接見た。兄貴のようで、友達のような親しみを感じた。盧元大統領は依然として私の心の中で生きている」と話した。1歳の娘とともに追悼式に出席したK氏(32)は「盧元大統領逝去当時、大学生だったが、涙が止まらなかった。もう10年が過ぎた。これから娘と一緒に烽下村に度々足を運ぶつもりだ」と語った。