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新日鉄住金の“徴用被害者”、控訴審中に他界

登録:2019-02-20 08:23 修正:2019-02-20 10:42
昨年10月30日、最高裁判所が日本の新日鉄住金に強制徴用被害者への損害賠償を命じたことを受け、最高裁前で強制徴用被害者のイ・チュンシクさん(94)が感想を述べている=キム・ミョンジン記者//ハンギョレ新聞社

 日本の戦犯企業の新日鉄住金(新日本製鉄)を相手取って徴用被害訴訟を行っていた被害者の1人が死亡した。「ヤン・スンテ最高裁(大法院)」が徴用裁判を遅らせた結果、類似した他の裁判も先送りされ、結局、被害者は裁判の結果を見られずに亡くなった。

 民族問題研究所と法曹界によると、新日鉄住金の徴用被害者で、訴訟当事者であるイ・サンジュさんが15日に死去した。享年94歳。イさんは2013年3月、別の徴用被害者6人と共に、新日鉄住金を相手取って損害賠償訴訟を起こした。2015年11月の1審は、会社側に被害者1人当たり1億ウォンの賠償を命じ、原告勝訴の判決を下した。会社側の控訴で、現在ソウル高等裁判所第13民事部で控訴審が行われている。

 控訴審が3年以上続いている理由は、昨年10月末になってようやく、生存被害者のイ・チュンシクさん(95)ら3人の被害者が先に提起した損害賠償訴訟の最高裁判所の確定判決が出たためとみられる。イ・チュンシクさんらによる訴訟は、2013年7月に破棄・差し戻し審以降、5年以上最高裁判所で裁判が行われなかった。ヤン・スンテ元最高裁判所長官らが大統領府や外交部と共に、再上告審を故意に遅らせたためだ。昨年10月になって最高裁は、「会社側はイ・チュンシクさんら原告へ1億ウォンずつ賠償すべき」とした原審を確定した。

 イ・サンジュさんは、17歳だった1942年10月、日本の岩手県釜井市の製鉄所に連れて行かれた。面(村)の職員に「お前が行かないなら、兄を連れて行く」と言われ、ついて行かざるを得なかった。1943年5月まで、リヤカーに原石と石炭を積んで溶鉱炉まで運び、鉄を作る作業を手伝った。食事はご飯とみそ汁、たくあんだけだったという。

 民族問題研究所のキム・ジニョン先任研究員は19日、「イ・サンジュさんは記者会見や集会がある時には、忠清南道保寧(ボリョン)から上京して参加するなど、裁判結果を待ち望んでいた」とし、「最高裁の判決が早く出ず、裁判が長引き、昨年から数人の被害者が裁判結果を見られずに亡くなった」と話した。

 イさんが死去し、新日鉄住金を相手にした訴訟当事者のうち生存被害者は、すでに最高裁判所で勝訴判決を受けたイ・チュンシクさん一人となった。2015年5月、被害者の故キム・ゴンスさん家族3人が新日鉄住金を相手取って起こした損害賠償訴訟は、昨年11月の控訴審で原告勝訴の判決が下された。現在、最高裁に係属中だ。

 新日鉄住金は「政府の対応状況などに基づき、適切に対応する」とし、日本政府の賠償不可方針に従っている。これに対し、新日鉄住金の徴用被害者や弁護団は、東京の新日鉄住金本社前で、賠償を求める抗議訪問を続けている。一方、大邱(テグ)地裁浦項(ポハン)支院は先月8日、イ・チュンシクさんらが提出した新日鉄住金の韓国資産差押え申立てを承認した。

チェ・ウリ記者(お問い合わせ japan@hani.co.kr)
https://www.hani.co.kr/arti/society/society_general/882755.html韓国語原文入力:2019-02-19 21:44
訳H.J

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