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日本は安重根義士の伊藤狙撃をどのように描いたか?

登録:2018-08-15 23:26 修正:2018-08-16 07:34
1909年10月26日、中国のハルビン駅で安重根義士が狙撃に成功した後に捕まった状態でも、伊藤博文を鋭くにらむ姿が描かれたリトグラフ=古版画博物館提供//ハンギョレ新聞社

 73周年光復節をむかえて、安重根義士が伊藤博文を処断した歴史的事実を描いたリトグラフが初めて公開された。文在寅(ムン・ジェイン)大統領が安重根義士遺骨発掘事業を南北共同で推進すると明らかにしたこともあり、一層関心を引く。

 江原道原州(ウォンジュ)の雉岳山(チアクサン)明珠寺の古版画博物館は、今月18日から来月23日まで「版画で見る近代韓国の事件と風景」特別展を開くと15日明らかにした。今回の特別展では、安重根義士の狙撃事件を描いたリトグラフが初めて公開される。「ハルビン駅伊藤公遭難之圖」という題名のリトグラフで、1909年10月26日中国のハルビン駅で安義士が伊藤を狙撃した直後の様子を描いている。

 この図で安義士は、伊藤を狙撃して捕まった状態でも伊藤を鋭い目つきでにらんでいる。ただし、すでに三発の銃弾に当たった伊藤が正常に立っている姿で描写されているのは自然でない。この版画の隣には当時の記事も載っているが、そこから見て「報道用版画」と推定できる。この版画は、狙撃から1カ月余り後の1909年12月1日、東京の「博画館」という出版社が当時の最先端技法であるリトグラフで製作したものだ。

 ハン・ソンハク古版画博物館長は「光復(解放)は、単純に第2次世界大戦の結果として得たものでなく、先祖の絶えざる抵抗と闘争から出たことをよく見せる資料だ。このリトグラフの記事は、安義士を“凶漢”と表現しているが、安重根義士の抵抗精神が引き立って見える」と説明した。

 今回の展示会では、このリトグラフだけでなく江華島(カンファド)条約から安義士の狙撃事件まで、近代韓国の主要事件と美しい風景を描いた60点余りの作品に出会うことができる。

パク・スヒョク記者 (お問い合わせ japan@hani.co.kr )
https://www.hani.co.kr/arti/society/area/857728.html韓国語原文入力:2018-08-15 16:20
訳J.S

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