2003年4月16日、一人の少年が首をくくった。19歳の人生の履歴はぎっしりと詰まっていた。時調詩人、アマチュア演劇俳優、青少年活動家、性的マイノリティ(少数者)人権運動家…。“六友堂”という名で知られている。
緑茶、ファンデーション、酒、タバコ、黙珠(ロザリオ)、睡眠薬を自身の六つの友とした。カトリック信者であり、洗礼名はアントニオ。アントニオ、または六友堂の遺書には「世の中は阿鼻叫喚のようです。何も成し遂げられず、常に虚しさとうつ病に苦しみました。時には同性愛者に生まれたことを後悔したりもしました。この国が嫌いで、この世の中が嫌いです。異性愛者忌避症にもうんざりします。強者も弱者もいない、そんな天国で生きたいのです」という文が書かれていた。
彼が世を去って以後、差別禁止法は2007年、2010年、2012年の計3回にかけて立法予告されたが、放棄されたり廃棄された。かつての法務部は差別禁止法を提案した理由として「政治的・経済的・社会的・文化的生活のすべての領域において、合理的な理由のない差別を禁止し予防して、不合理な差別による被害者に対する救済措置を規定した基本法を制定することによって…社会統合と国家発展に寄与できるようにするため」と明らかにした。
差別の理由としては「性別、障害、病歴、年齢、出身国家、出身民族、人種、皮膚の色、言語、出身地域、容貌などの身体条件、婚姻の有無、妊娠または出産、家族形態および家族状況、宗教、思想または政治的意見、犯罪前歴、保護処分、性的指向、学歴、社会的身分など」が具体的に列挙された。“憲法”の平等理念に従うと明示した。しかし、差別禁止法は毎回挫折した。プロテスタント教会の強い反発のためだった。「同性愛を助長する」というのが反対の理由だった。
同性愛は異性愛と同じで、皮膚の色のように、助長したからといって助長されない。自分の選択と関係のないアイデンティティだ。病気でもない。出産率低下の原因でもなく、みだれた性関係の問題でもない。エイズ(AIDS・後天免疫欠乏症)も同性愛によるものではない。これらすべての“ではない”は、ちょっと資料検索さえすれば見つけられる常識的情報だ。今なおフェイクニュースにだまされているならば、あなたは誠実でない人だ。誠実でないことで他人の根本を根元から揺さぶっているのだ。
一部の人々は、差別禁止法反対を越えて忠清南道人権条例の廃止に積極的に乗り出した。誰かの存在に反対するために、人権の普遍性まで後退させた。これを憂慮した国連の市民的及び政治的権利に関する国際規約委員会(以下、自由権委員会)と、経済的、社会的及び文化的権利に関する国際規約委員会(以下、社会権委員会)は、2016年と2017年に韓国政府に対し「包括的差別禁止法を制定」するよう最終勧告した。特に自由権委員会は「人種、性的指向および性別アイデンティティにともなう差別の禁止を含む包括的差別禁止法制定」と明確に釘をさした。
しかし最近、法務部は「韓国政府の人権政策に関する基本計画」と明らかにし公開した第3次国家人権政策基本計画(以下、人権基本計画)で「病歴者および性的マイノリティ」の項目を削除した。文在寅(ムン・ジェイン)政府の人権政策基本計画から、これらの人々を事実上排除したのだ。朴槿恵(パク・クネ)政府ですら独立した項目として存在した部分だった。
六友堂は、母親に自分の死体を火葬してほしいと頼んだ。「すべてのものを置いて逝くというのに、大げさにやってみたところで虚礼虚式にしかならないから…」。彼が生きていれば34歳。ゲイの青年にとって今の韓国はどうだろうか。人権条例が廃止され、人権基本計画から性的マイノリティが削除される、差別禁止法の制定は一寸前も見えない現実。彼を支えてくれる七番目の友には出会えただろうか。生き残った者として、私は恥ずかしくて顔を上げられない。どんな顔をして人権と平和の時代と言えようか…。