『韓国人に生まれなくてよかった』。ソウル光化門(クァンファムン)教保文庫の日本書籍コーナーに、目立つように並べられている本の題名だ。「嫌韓」書籍や反北朝鮮書籍、反中書籍が日本出版界と書店街を席巻して久しく、特に目新しいものでもなかったが、その変わった題名の本の著者が武藤正敏元駐韓日本大使であることが、好奇心を刺激した。一国の大使を務めた人が自身の赴任国を敢えてこのような題名をつけてまで“難詰”するのには、何か理由があると思ったからだ。
大使(2010~2012年)を歴任するなど、韓国で12年間勤務した70歳のキャリア官僚出身の彼が、韓国人に生まれなくてよかったと主張した論拠の核心は、単純明快だった。過度な貧富の格差や就職難、低い出産率に代表される無限競争資本主義社会の韓国での過酷な暮らしを詳しく紹介した章もあるが、同書が焦点を当てているのは例えば、このようなものだ。
「朴槿恵(パク・クネ)は何と言っても5千万韓国国民が選挙で選んだ大統領だった。それがわずか百万人の、それも北朝鮮の工作員が関与したかもしれないデモ(隊)によって弾劾決議に追い込まれた。これが民主化の発露だと思うなら、大きな誤算だ。文在寅(ムン・ジェイン)政権は世界で最も民主主義とは距離が遠い国、金正恩(キム・ジョンウン)の北朝鮮をどの国よりも支持する政策を掲げている。そのような人物を大統領に選んだことが本当に『民主主義の勝利』と言えるだろうか」。読売新聞をはじめとした右派メディアがろうそくデモと憲法裁判所の大統領罷免の判決を韓国民主主義の勝利ではなく、未熟のせいだという怪しげな論評を掲載し、警戒したことの延長線上にある議論だ。
武藤氏は、朴前大統領の退陣を「親北朝鮮政権」に政権を渡すためのシナリオに、頭(理性)より感情(ハート)が先走る韓国の有権者たちが惑わされたためと分析した。「親北朝鮮勢力の労組と市民団体が雰囲気を盛り上げて国内対立をあおり、北朝鮮に対して免疫のない一般人、特に若い国民がこれにまんまとだまされて感情(ハート)に火がついた。朴前大統領の罷免(のニュース)をわずか2時間後という異例の迅速さで北朝鮮メディアが報じたのも、一連の活動に少なからぬ北朝鮮の関与があったという疑惑を強く呼び起こしている」。
反北朝鮮ではないすべてのものに「左翼親北朝鮮」と「内応工作」のレッテルを貼り、(かつての赴任国の大統領を)「最悪の大統領」呼ばわりするような低級なデマレベルの荒唐無稽な主張が、大使を務めた元高官の話だと信じなければならないだろうか。彼こそが日本の国家利益フレームに閉じ込められ、理性より感情が先走っているのではないか。それでも昨年6月に初版が出た同書が、一カ月で5刷を重ねるほどだというから、かなり売れているようだ。
本の題名からも分かるように、同書のメッセージは「それでも日本社会の方がましだ」ということだ。まるで北朝鮮の過酷な現実を絶えず取り上げることで、「それでも私たちの方が幸せではないか」と反芻させる韓国保守右派の常套句を連想させる、体制ないし政権地盤安定化戦略だと言うべきだろう。
もう一つのメッセージは「北朝鮮または中国の方に傾くのは絶対ダメだ!」ということだ。朴槿恵政権時代に締結された韓日間の秘密軍事情報包括保護協定と12・28「慰安婦」合意など、新冷戦的韓米日三角同盟の強化こそが「健全」であり、それを危険に陥れたとされる文在寅政権の登場をその「破局」と見なす武藤氏の乱暴で危険な二項対立の情勢認識(が同書の基底を成している)。
このような無責任な入れ知恵をする無知や無視、非礼は、日本外務省と政府でも見られるものだろう。聞き方によっては、朝鮮半島の有事を既成事実化ししたり、煽るような安倍首相の韓国内の日本人避難の協力要請報道は厚顔無恥でもある。反北朝鮮戦略について教えを施すという勢いで平昌五輪にやって来たマイク・ペンス副大統領など米国の五輪訪韓団も(この点においては)あまり変わらなさそうだ。