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人権委革新の最初の課題となった「活動家ウ・ドンミン氏死亡事件」とは

登録:2018-01-02 07:00 修正:2018-01-02 07:40
国家人権委員会のビルで障害者活動支援法案を糾弾し、ヒョン・ビョンチョル当時人権委委員長の辞任を要求する座り込みを行い、2011年1月2日に死亡した故ウ・ドンミン氏の遺影写真=ウ・ドンミン烈士追悼事業会提供//ハンギョレ新聞社

 国家人権委員会革新委員会(革新委)が先月29日、「活動家ウ・ドンミン氏死亡事件」について謝罪し、真相調査チームを構成するよう最初の勧告案を出した。龍山(ヨンサン)惨事、セウォル号惨事や文化放送『PD手帳』事件などに対して沈黙していた9年あまりの人権委の「暗黒史」のなかで、一般市民によく知られていない事件を最初の改革課題に挙げたのだ。1日、ハンギョレが振り返ったウ・ドンミン氏の不憫な死の内幕は、人権を自ら放り出した人権委の自己否定が下地となっていた。

 「活動家ウ・ドンミン氏死亡事件」は、李明博(イ・ミョンバク)政府3年目の2010年、ソウル中区(チュング)の旧人権委のビルで座り込みデモを行った障害者活動家のウ・ドンミン氏が死亡した事件を指す。全国障害者差別撤廃連帯などは、2010年11月22日から12月10日まで、人権委のビルで政府が立法予告した「障害者活動支援法案」を糾弾し、ヒョン・ビョンチョル当時人権委院長の辞任を求める座り込みを行った。座り込み現場は12月3日から10日まで電気と暖房が切られ、エレベーター作動と食事の搬入まで統制された。ウ氏は12月6日、風邪をひいて応急室に運ばれたが、病状が悪化し翌年1月2日に息を引き取った。

 当時、人権委は嘘の釈明に汲々とした。人権委はこれに先立ち、2012年国会人事聴聞会や2014年国連人権理事会などで「電気と暖房は人権委は関与できず、食べ物の持ち込みも禁止しなかった」と釈明した。しかし、これは嘘であることが明らかになった。革新委は「ソン・シムギル当時事務総長の主導で人権委が直接作った『座り込み対策マニュアル』によって、出入り統制と暖房の中断などが行われた」と明らかにした。電気が切られ電動車椅子を充電できず、トイレも行けない人が続出し、暖房を切ったことで健康が急速に悪化したということだ。

 革新委員会で過去事の反省と再発防止を担当しているミョン・スク革新委員は「活動家ウ・ドンミン氏死亡事件」を最初の勧告案に盛り込んだ理由として「国家人権機構が人権侵害事件の加害者になったことについて公式的な謝罪が必ず必要であるため」と説明した。人権委自らの徹底した反省と新しい位置づけなしには、政府内非政府機構(NGO)として国内の人権懸案全般について発言権を維持することが不可能な状況だということだ。現在の人権委がこの事件に依然として関係しているという点も重要な理由だ。2015年に就任したイ・ソンホ委員長は、事件の当事者の一人であるアン・ソクモ運営支援課長を事務総長に任命した。ミョン・スク革新委員は「アン元事務総長が職位を維持する間、この事件に対する真相調査の要求は黙殺され続けた」と話した。ウ氏の遺族との関係の確立も急がれる。

 人権委は、真相調査チームを構成▽公式的な謝罪▽「座り込み対策マニュアル」廃棄などの勧告事項を積極的に受け入れると明らかにした。また、イ・ソンホ委員長が2日に牡丹(モラン)公園で開催されるウ・ドンミン氏の追悼行事に参加し、直接公式的に謝罪する予定だ。これに対してウ・ドンミン氏の母のクォン・スンジャ氏(73)は「息子が死んだ後、これまで人権委は何も言わなかった」とし、「遅まきながらも謝罪するというのでよかった」と話した。クォン氏はさらに「私の息子はもう帰って来られないから、これからは自分が声を上げて無念の死を遂げる人が出ないようにしてほしいと訴えたい」と話した。

チェ・ミニョン記者(お問い合わせ japan@hani.co.kr )
https://www.hani.co.kr/arti/society/society_general/825864.html韓国語原文入力:2018-01-01 21:20
訳M.C

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