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「私も“慰安婦”にさせられていたかもという気がして…」

登録:2017-11-16 22:08 修正:2017-11-17 08:11
在日同胞2世の朴壽南(パク・スナム)監督は、1991年に日本軍「慰安婦」被害者問題を遅れて知った後、26年にわたり被害者ハルモニ(おばあさん)の闘争史を記録している=チョ・ギウォン記者//ハンギョレ新聞社

 「慰安婦被害者が12歳、13歳の時に連れて行かれたという証言を聞いて、もしかしたら自分も被害者になっていたかもしれないという気がした」

 日本軍「慰安婦」被害者の1990年代の闘争と、現在の生き様を扱ったドキュメンタリー映画『沈黙-立ち上がる慰安婦』(『沈黙…』)を作った在日同胞の朴壽南監督(82)は20年余りにわたり慰安婦問題を深く掘り下げてきた理由について質問を受けるたびに、ほとんど同じ返事をする。

 9日、東京で会った朴監督は、「慰安婦被害者の中には私と年齢が2~3歳しか違わず、同じ歳かほぼ変わらない年齢の人も多かった。もしかしたら、私自身もそうなっていたかも知れないと考えた」と話した。朴監督は1935年に日本の三重県で生まれた在日同胞2世だ。

 『沈黙…』は昨年、韓国DMZ国際ドキュメンタリー映画祭で初めて公開され、追加編集を経て来月12月に東京の渋谷で封切りした後、日本全国で巡回上映する予定だ。

 朴監督が慰安婦被害者関連映画を作り始めたのは、26年前に遡る。朝鮮半島出身「慰安婦」被害者として初めて被害の事実を知らせた故ペ・ポンギさんのインタビューを扱ったドキュメンタリー『アリランのうたーオキナワからの証言』を1991年に発表した。日本で20万人の観客がこのドキュメンタリーを観た。キム・ハクスンさんが韓国居住慰安婦被害者としては初めて実名で証言したときよりも前のことだった。

 最近作『沈黙…』は、1994年慰安婦被害者14人が日本に来て日本政府の賠償と謝罪を要求する活動をした際の記録と、生存被害者であるイ・オクソンさん(90)の最近の様子を見せ、慰安婦被害者の長く厳しかった闘争の歴史を再確認する。

 朴監督は2015年の韓日政府による慰安婦合意以後、日本社会で慰安婦問題の話をすることが一層難しくなっていると話した。最近、福井県で『沈黙…』を上映しようとしたところ、「慰安婦問題は韓日合意で解決されたのに、どうしてこのような映画を上映するのか」という抗議が上映館に寄せられたという。

 彼女は「『アリランのうたーオキナワからの証言』を上映した時にも『慰安婦問題は存在しない』と主張する人々はいたが、今ほど雰囲気が深刻ではなかった」と話した。彼女は「日本の社会全体を見ても、私が幼い頃に『朝鮮人は臭いから朝鮮に帰れ』という暴言があったが、今のヘイトスピーチのように『朝鮮人をぶっ殺せ』とまで言いはしなかった」と憂慮した。

 『沈黙…』は長期にわたり朴監督が撮りためてきたフィルムの一部を編集したものだ。彼女は、3・1運動当時の堤岩里(チェアムリ)教会虐殺事件、日帝時代の九州地域強制徴用などについても撮影したフィルムがあるので、それを編集して映画として公開したいと話した。『沈黙…』の撮影と編集の相当部分を担当した長女の麻衣さんは「映画の製作がますます難しくなっている。韓国から映画製作の支援を受ける方法を見つけたい」とも話した。『沈黙…』も上映費用調達のために日本でクラウドファンディングを行い、260人余りが約200万円(約2000万ウォン)を寄付した。

東京/チョ・ギウォン特派員 (お問い合わせ japan@hani.co.kr )
https://www.hani.co.kr/arti/international/japan/819271.html 韓国語原文入力:2017-11-15 23:48
訳J.S(1678字)

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