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朝鮮半島文明が日本と初めて交流した時代は?

登録:2016-11-22 22:20 修正:2016-11-23 05:45
埴輪土器をイメージした「日本古代文化への招待」展ポスター=福泉(ポッチョン)博物館提供//ハンギョレ新聞社

「日本古代文化…」展に出てきた近畿式大型青銅鈴。鳴らすためでなく祭礼に使われた用具と見られている=福泉(ポッチョン)博物館提供//ハンギョレ新聞社

 朝鮮半島から日本列島に大陸文明が伝えられた時期はいつからだろうか?

 多くの韓国人は百済の時にすべて伝えたと断定しているようだ。考古学的に確かめてみれば、その時期はしばらくさかのぼる。少なくとも紀元前6~5世紀頃からは朝鮮半島の農耕民が日本列島に渡って行き、縄文土器を作っていた新石器時代の土着民と共生して、紀元後3世紀頃まで今日の日本文化の原形を作り出した。狩猟、採集文化が稲を栽培する農耕文化に代替され、朝鮮半島のものとうり二つの土器、青銅・鉄器を特徴とするこの時代を弥生時代と呼ぶ。(弥生は、この時期の土器が初めて発見された東京都内の地名に由来する)

 日本との縁が初めて生まれた弥生時代とその直後の古代国家の基礎を作った古墳時代の代表的な遺物を披露する展示が、釜山東莱(トンネ)の福泉(ポッチョン)博物館で開かれている。博物館開館20周年と釜山-福岡文化財交流20周年を記念して開かれた国際交流展「日本古代文化への招待」だ。福岡市博物館など日本各地の13の機関から遺物2500点余りを借りてきた。

 展示場の遺物は、扶余(プヨ)松菊里(ソングンニ)など韓国国内の青銅器・鉄器・三国時代の主要遺跡遺物と類似したものが多い。弥生時代に該当する福岡の宇木汲田(うきくんでん)遺跡と佐賀県の桜馬場(さくらのばば)遺跡の多鈕細紋鏡、細形銅剣は、朝鮮半島のものと区別するのが難しいほどだ。世界的な古代村落遺跡である吉野ヶ里から出土した鐵鏃、鉄手刀(刀子)、土器も朝鮮半島からの影響を受けていることがすぐにわかる。

 もちろん弥生時代末期と古墳時代になれば、槍の一種である銅戈や、兜、甲冑、青銅鈴など朝鮮半島とは異なる特有の様式が生じて、次第に日本だけの特徴を持つ文化に変遷していったことも感じられる。1メートル以上の巨大な青銅鈴(銅鐸)は朝鮮半島では見られないものだ。古墳時代の墓を飾った円筒瓦“埴輪”は日本特有のミニマルな造形性が宿った遺物だが、全羅道の海岸部などでも出てくる出土品なので、韓日古代史の深淵に対する想像力を刺激しもする。12月4日まで。

ノ・ヒョンソク記者 (お問い合わせ japan@hani.co.kr )
https://www.hani.co.kr/arti/culture/music/771457.html 韓国語原文入力:2016-11-22 17:48
訳J.S(1203字)

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