朴槿恵(パク・クネ)大統領は、セウォル号惨事1周年の16日、全羅南道珍島(チンド)彭木(ペンモク)港を訪れて犠牲者を追悼し、セウォル号船体の引き揚げに着手すると明らかにした。しかし、朴大統領はこの日、彭木港で遺族たちには会えなかった。朴大統領の訪問のニュースを聞いた遺族たちが、惨事後朴大統領がこれまで取ってきた行動とセウォル号特別委員会をめぐる政府の措置などに抗議し、現地の焼香所を一時閉鎖して席を外したからだ。朴大統領は、閉鎖された焼香所のドアの前に置かれた行方不明者9人の写真と行方不明者の家族の臨時宿泊施設などを見て回っただけだった。このため、当初40分間に亘って行われる予定だった彭木港訪問日程は20分で終わった。
朴大統領はこの日、彭木港の防波堤の真ん中に立ってセウォル号の船体引き揚げに着手するという対国民メッセージを発表した。朴大統領は、「まだ事故海域に9人の行方不明者があり、政府は行方不明者が家族のもとに帰って来られるように、できるすべての措置を取る」とし「私はもう船体引き揚げを真剣に準備しなければならないと考えており、必要な手続きを迅速に進め、可能な限り早期に船体引き揚げを始められるようにする」と述べた。朴大統領は、セウォル号犠牲者家族が求めているセウォル号特別法施行令の廃止などについては、特に言及しなかった。
朴大統領は続いて出国直前、午後3時30分頃に出発時間まで延ばして金武星(キム・ムソン)セヌリ党代表と緊急会合を行ったが、李完九(イ・ワング)首相の進退問題などについての決定は先送りしたまま、国政運営に対する協力だけ要請するにとどまった。朴大統領はこの日の会合で、金武星代表が伝えた李首相の進退と関連した党内外の多様な意見を聴いて、「(歴訪から)帰って来てから決める」と答えたと金代表が伝えた。これは、金武星代表が辞任や解任が必要だという意見を伝えたにも関わらず、朴大統領が歴訪後に結論を先延ばしすると答えたものと解釈される。このため、朴大統領は当初予定より3時間30分遅れた午後5時30分頃出発し、最初の訪問地であるコロンビアの現地歓迎行事はキャンセルされた。与党代表との単独面談を理由に朴大統領が出国を延期したのは、逆説的に、セウォル号参事1周年当日における朴大統領の出国が、それほど切迫したものではなかったことを裏付ける。
このように同日、大統領府が用意した朴大統領の追悼日程でも、朴大統領と政府が力を入れて準備してきた痕跡は見られなかった。大統領府はこれまで、「朴大統領が、セウォル号惨事1周年を控えて、遺族に誠意を伝え、慰める最もいい方法は何なのかについて、様々な形の追悼行事を検討している」と重ねて強調してきた。しかし、当の日朴大統領は、犠牲者や行方不明者の家族には会えず、1周年を控えて遺族を説得しようとする特別な努力もしなかった。
これに先立ち大統領府は同日の朴大統領のセウォル月号1周年の追悼方法について、前日の夕方までも行先を最終的に確定できないなど、右往左往する姿を見せた。大統領の外部日程は、行事が終わるまで公開しないことを条件に記者団などのメディアに事前に通知されるが、朴大統領の彭木港訪問日程はこの日の朝になってようやく伝えられた。
内閣の対応も大統領府とあまり変わらなかった。李完九首相は当初、参加予定だった「国民安全誓い大会」に参加せず、予告もなく同日午前いきなり安山焼香所を訪れたが、遺族たちの抗議で線香をあげることすらできなかった。セウォル号惨事をきっかけに新設された国民安全処は、警察や軍、消防士、公務員などを集め、ソウルのCOEXで25分間の「国民安全誓い大会」という行事を開いたが、式次にセウォル号犠牲者に対する追悼はなかった。閣僚は、この日正式な追悼行事を開くことなく、セウォル号1周年を過ごしたのだ。
韓国語原文入力:2015-04-16 20:46