チャン・ハジュン ケンブリッジ大教授は新刊著書で‘仕事’に対する経済学の無関心を批判する。 仕事は「相続を除けば金銭を所有できる最も普遍的な方法」であり、多くの人々にとって「人生を最も大きく左右する重要な部面」であるのに「経済学にとって仕事は、頭がおかしくて隠しておきたい親戚のおじさんのような存在になってしまった」と語る。
労働者たちはまさにその‘仕事’をしに行っただけだ。 家庭を作るためであれ、弟妹の学費を用意するためであれ、自身が生きていくためであれ、仕事は唯一の選択肢であった。 その仕事場で各種の有害化学物質を扱わなければならなかった。 殆どの労働者はそれがどんな物質なのかも知らされずに仕事をした。 知っていただけでは状況は殆ど変わらなかっただろう。 仕事を辞めることはできないからだ。 そうするうちに病気に罹った。 白血病に罹り、悪性腫瘍ができもした。 そしてついに、幼い息子や娘を残して、かわいそうな妻には苦痛の日々を残して、両親の胸には恨を刻んで、そして目を閉じなければならなかった。 仕事を通じて素敵に飾りたかった未来も、彼や彼女たちと共に土に埋められた。 避ける道さえなかった‘仕事の悲劇’だ。
そのことに無関心なのは経済学だけではない。 現実の制度や法や企業も同じだ。
仕事場の危険に対する安全装置として用意された労災保険制度は、今年で施行50年をむかえたが相変らず未熟なままだ。 仕事をしていて病気に罹った時、労災として認定されるためには作業環境との関連性を労働者側が立証しなければならない。そのためには作業環境に対する調査資料が必要だが、そのような資料は全く無かったり、たとえ有っても会社側が渡さないのが日常茶飯事だ。 労働者が自ら記録を残している筈もない。 彼らはただ熱心に仕事をしただけだ。
このような現実を考慮して、立証責任を会社側に負わせようという代案が提示された。 作業環境と疾病の間に関連がないということを、会社側が立証できなければ労災として認定しようということだ。 国家人権委員会も2012年にこのように勧告した。 だが、政府と国会は全く動こうとせず、裁判所もこの不平等な制度(チャン・ハジュン教授が話す「傾いた競技場」)を黙認している。
一層深刻な問題は、このように不十分な制度でさえ利用が遮られている現実だ。 会社側はあらゆる手段を使って労災申請を妨害する。 個人では会社に対抗することは恐ろしい。 病気に罹り死んでいった人々を最も悲劇的にしているのはこの点かもしれない。 青春を捧げた仕事場から冷酷に見捨てられる心情は如何ばかりか。 労災を隠したおかげで会社は華麗なイメージを維持し、多額の労災保険料減免の恩恵も受けている。
このような現状が‘サムスン(三星)白血病問題’の背景になっている。 7年余りにわたる被害者と遺族たちの孤軍奮闘により、ようやくサムスンとの交渉のテーブルが用意された。 しかし、それだけではなかった。 <ハンギョレ>による取材の結果、もう一つの半導体企業であるハイニックスでも同じ悲劇が繰り返されてきたし、今も繰り返されていることが確認された。 ハイニックスは今年前半期の営業利益が2兆ウォン(約2000億円)を越えた。 その輝かしい数値の裏には、白血病、悪性腫瘍などで亡くなったり闘病中の労働者たちの悲しい話が隠れている。
半導体の製造ラインは‘クリーンルーム’と呼ばれるが、職業病訴訟を専門にするアメリカのあるローファームは、これを‘先端産業時代の炭鉱’と比喩している。 逆説的に聞こえるが、その時代の産業の根幹をなす生産基地であり、危険が今なお残る仕事場という共通点を的確に指摘した比喩だ。 落盤事故と塵肺症の危険を顧みずに経済発展に尽くしてきた炭鉱労働者のように、クリーンルームの労働者もその犠牲に対する当然な補償と尊敬を受けなければならないという点でもそうだ。 これは私たち全員の人生の基盤である‘仕事’を一層安全で充実したものにするためにも絶対に必要なことだ。
パク・ヨンヒョン探査企画エディター piao@hani.co.kr