誹謗とは、他人を貶める行為だ。 中傷という言葉には概ね謀略という単語が付く。いずれも「根拠のない」という言葉と同類だ。 先月、南北は高官級会談で、誹謗中傷の禁止に合意した。北は一斉に対南非難を中断した。そして南の合意違反事例を列挙し始めた。 保守団体のビラ散布と各種マスコミ報道、「約束を守らなければ何も得られない」という統一部長官の発言、そして人権問題批判などだ。
合意したとき、すでに予想できていた結果だ。南側代表は、この言葉の歴史と意味が分かっていて合意したのだろうか。ご存知のように「互いに相手を誹謗中傷せず」という表現は、1972年の7・4南北共同声明の第2項に入っている。その言葉の前には「信頼の雰囲気を作るために」という一節がある。誹謗中傷を続けていては信頼を積むことができないという意味だ。今回の高位級会談合意文も同じ文章だ。信頼を前面に掲げる朴槿恵(パク・クネ)政府に対し、北は信頼の証を問うている。北は合意違反を指摘し続け、改善されなければ関係悪化の責任を南に転嫁するだろう。
どうするべきか? 北の主張に根拠のない部分が少なくないことも事実だ。北はマスコミの報道を問題視するが、民主主義社会において政府が言論を統制できないことをよく知っているはずだ。北は、政府が決定すれば一朝にして対南非難が姿を消すことのできる体制だ。しかし、南はそうではない。言論の自由が保障されている南の体制を尊重しなければならない。これが長い間南の一貫した主張だった。
韓国政府もまた、合意をしたら守ろうとする姿勢を見せなければならない。最も象徴的な処置は、ビラ散布を阻止することだ。政府の主張のように、表現の自由は保障されなければならない。しかし、政府が関連法規を少し積極的に解釈するだけで、問題となっている心理戦は中断させることができる。 信頼は自然に与えられるものではない。自分の力で作って行くものである。
北の情報と関連した政府の責任も忘却してはならない。何のために国家情報院が存在するのか? 事実と事実でない情報とを判断し、確認できる情報と確認できない情報とを区別してくれなければならない。それにより、ある程度マスコミの北関連報道が重心を取れる。数日も経たずに偽りであることが判明するような情報を、情報機関が先頭に立って流通させるようなやり方は実に嘆かわしいことだ。
なぜ「根拠のない中傷」を自制しなければならないのか、分かっているのか? それは“正当な批判”をするためだ。南北関係の未来志向的な発展のために北の人権状況を批判することはできる。東西ドイツの関係で、あるいは過去の米ソ関係で、人権の議題は重要に扱われた。また、韓半島非核化共同宣言を破棄した北を批判することができる。南北経済協力の制度化のために北の政策改善を要求することもできる。ただし、批判をするには、真正性が込められねばならない。当然、根拠がなければならず、関係改善に対する確固たる意志と、自ら変わろうとする勇気も示さなければならない。それが「根拠のない中傷」と「発展のための批判」とを区分する基準だ。
南北関係は遠い道程だ。「もう我々の間の醜態は他人に見せないようにしよう。」 1972年、7・4南北共同声明を発表する席で李厚洛(イ・フラク)中央情報部長はそう言った。我々内部の醜態から省みよう。国際社会が国情院のスパイ捏造事件をどう評価するか、顔がかっかとほてってくる昨今である。にも拘らず、恥ずかしげもなく暴言を吐く人たちがどうしてこんなに多いのか? 品格の帰還を待つのみだ。国内政治の品格が対外政策の国の格に影響を及ぼす。李厚洛の言うように、他の人たちが見ている。もう醜態はやめよう。
キム・ヨンチョル、仁済大学統一学部教授