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“沈黙の殺人者”石綿の危険性 全身で知らせ・・・

登録:2014-03-08 09:28 修正:2014-03-08 09:32
2010年に制定された石綿被害救済法によって救済を受けた最初の「環境性石綿被害者」である故チェ・ヒョンシク韓国石綿追放ネットワーク共同代表が、2009年12月、国会にこの法の制定を求める国民約8万人の署名簿を伝達した後、明るく笑っている。 韓国石綿追放ネットワーク提供

 2008年6月、胸が苦しくて三星ソウル病院を訪れた彼に下された最終診断名は「原発性悪性中皮腫」。 85~95%がアスベスト粉塵への露出によって発病し、一般に“石綿癌”と呼ばれる難病で、現代医学では手の下しようのない不治の病である。

 チェ・ヒョンシク韓国石綿追放ネットワーク共同代表は当時、13年間にわたりマンション警備の仕事をしていた。 石綿工場の近くには行ったこともないし暮らしたこともない自分が石綿癌に見舞われたことが理解できなかった彼は、インターネットを漁って石綿専門家であるソウル大学保健大学院のペク・トミョン教授を訪ねた。ペク教授の紹介で、当時の環境運動連合市民環境研究所が彼の住居履歴を調査した結果、有力な原因が明らかになった。 彼が住んでいた光明市(クァンミョンシ)鉄山洞(チョルサンドン)一帯で1980~1990年代に大規模再開発事業が進められた際、石綿が多量に含まれたスレート建築物を撤去する過程で発生したアスベスト粉塵だった。

 再開発事業の現場近くに暮らしていたという理由だけで石綿癌にかかった彼の事例は、韓国社会が職業病だけでなく環境病の誘発源としての石綿に一層注目する契機となった。(<ハンギョレ>2008年10月13日付14面) 発病した彼の体は誰にでもやってくる可能性のある“環境性石綿被害”の生きた証拠だった。彼はその役割を進んで引き受けた。

 彼は韓国石綿追放ネットワークのドアを叩いて石綿追放運動に飛び込んだ。石綿をテーマにした討論会ではいつも全身で石綿の危険性を証言し、石綿被害現場であればどこでも訪ねていって、被害者たちの組織化に力を注いだ。2009年石綿追放ネットワーク共同代表となってからは、関連法の制定を求める署名運動を主導した。このような努力は2010年、環境性石綿被害者たちに治療費と生活費を支援することを骨子とした石綿被害救済法の制定として実を結んだ。彼は翌年、この法によって救済を受けた最初の環境性石綿被害者になった。

 市民社会団体は彼のこのような努力を称えて昨年12月、環境被害者大会で感謝牌を授与しようとした。しかし彼は賞を受けに来ることはできなかった。悪性中皮腫が腹膜から胸膜に転移して急速に悪化したからだ。中皮腫癌の患者たちが代わりに受け取ってきた感謝牌を手にしてから76日目の今月3日、“沈黙の殺人者”と呼ばれるアスベスト粉塵は、彼の最後の呼吸を止めた。享年72

 チェ代表と一緒に活動したチェ・イェヨン環境保健市民センター所長は「悪性中皮腫患者は通常1年以内に死亡するが、先生は5年以上持ちこたえて、たくさんの仕事をされた。病床でも最後まで“中皮腫被害者の世話をする会がうまくいかなければ”と心配していた」と哀悼した。チェ・ヒョンシク氏は5日、京畿道光明市光明ミレニアムパークに安置された。

キム・ジョンス先任記者 jsk21@hani.co.kr

https://www.hani.co.kr/arti/society/society_general/627189.html 韓国語原文入力:2014/03/06 22:32
訳A.K(1541字)

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