"2009年6月8日、原告たちに行った解雇は全て無効であることを確認する。"
7日午前11時10分頃、ソウル高裁305号法廷。 裁判長の低い声に法廷は歓声と共に涙の海となった。 藍色のチョッキを着た30人余りの双龍車労組員は両手を大きく上げて "勝利" と叫んだ。 隣の席に座っていた同僚と抱き合いながら顔には涙が流れた。 明るい笑みと拍手の音、裁判長に向かって "ありがとうございます" と叫ぶ大きな声も聞こえた。
キム・トクジュン金属労組双龍車支部長は法廷に入る時にも確信はなかった。 裁判長が "勤労基準法第24条に定めた通り、解雇当時緊迫した経営上の理由があったという理由は立証されず、解雇を避けるための努力を尽くしたという証拠がない」と話した時、彼の目からはいきなり涙があふれた。 2009年大規模整理解雇後、自ら命を絶ったり亡くなった労働者と家族24人の顔がまず浮び上がった。 他の労組員も‘信じられない’という反応だった。 キム・チャングン双龍車労組政策企画室長は 「裁判所が私たちの話は聞き入れても、政治的状況を考慮した時、勝訴は難しいと思っていた」と話した。
153人の解雇者たちが訴訟を起こしたが、ほとんどが生業のために忙しくて裁判を直接見守ることはできなかった。 解雇労働者の妻であるイ・チャヨン(42)氏は 「過去については寒かった記憶しかない。 冬の原野で身一つで冷たい風に吹かれてかろうじて耐えて来たが、やっと陽の光が見えたということなのか」と涙まじりに話した。 また別の解雇労働者の妻であるイ・ジョンア(41)氏は「名節の度に親戚たちが‘復職は可能なのか’と尋ねられ、‘希望はある’と答えてきたが、結局今日がその日だったようだ」として喜んだ。
前途は順調ではないという憂慮も出ている。 整理解雇対象ではなかったがストライキ座り込みに参加して解雇された双龍車労働者44人の中で、23人が3年に及ぶ裁判を経てかろうじて復職したが、再び停職処分を受けた。 ナム・ジョンス平沢(ピョンテク)非正規労働センター所長は「裁判所が‘今回の判決が平和に向かう道にならなければならず、紛争へ向かう道にしてはならない’と言及したように、会社は解雇労働者の採用のための労使間協議に前向きの姿勢で臨むことを望む」と話した。
キム・ミヒャン、平沢/ホン・ヨンドク記者 aroma@hani.co.kr