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住民が追い出されたあと、荒廃のまま…「何のために急いだのか」

登録:2013-01-19 18:33 修正:2013-01-20 08:50
<龍山(ヨンサン)惨事4周忌 汎国民追慕委員会>が再開発の被害状況を広く知らせるために企画した<強制退去現場巡回団>の参加者が15日午前、ソウル中区(チュング)巡和洞(スンファドン)を訪れて龍山惨事で犠牲になった故ユン・ヨンホン氏の夫人ユ・ヨンスク氏の話を聞いている。 キム・ジョンヒョ記者 hyopd@hani.co.kr

龍山撤去民ら 50人余り バス搭乗
追い出された再開発現場3ヶ所に行ってみた
工事止まったまま 空き地・がらんどうの建物の状態で残り
「無責任な開発を謝罪せよ」と横断幕

 15日午前10時、ソウル中区(チュング)の大漢門(テハンムン)脇の座り込み村にホコリ混じりの霧が立ち込めていた。 この日の可視距離は平常時の半分の6kmだった。 ホコリ混じりの霧の中を座り込み村にバスがやってきた。 ユ・ヨンスク(53)氏とチョン・ジェスク(69)氏が先ず乗った。 二人とも4年前の龍山惨事で夫を失った。

二人の後について、事前に参加申し込みをした市民と市民団体活動家40人余りが乗りこんだ。 <龍山惨事4周忌汎国民追慕委員会>が企画した<強制退去現場巡回団>のバスだった。

 10分走ってソウル中区(チュング)巡和洞(スンファドン)のある空地に到着した。 空地には、山のように積み上げられた土砂がカチカチに凍りついていた。 ユ・ヨンスク氏は空地のすみの5株の松を指して言った。 「私の店があった所なんです…商売は本当にうまくいってました。 向い側はウナギ屋でした。 その家の子供たちとうちの子たちと、よく一緒に遊び回っていたのに…」

 今は全て昔のことだ。 ユ氏夫妻は2005年にここが再開発されるまでの10年間、サムギョプサル(豚三枚肉)食堂をしながら二人の子供を育てた。 商店賃借人であった夫婦は他の40余の商店賃借人たちと同様、まともな補償もなしに追い出された。 ユ氏の夫 故ユン・ヨンホン氏は、自身と同じ境遇にある龍山第4区域の再開発の話をだまって見過ごすことはできなかった。 賃借人でもまともに補償を受けられる先例を残したかった。 向いのウナギ屋の主人チ・ソクチュン(43)氏も同じだった。 2009年1月20日、ユン氏とチ氏は龍山第4区域の南一堂ビルの望楼に上がった。 ユン氏は死亡し、チ氏は建物から墜落して大ケガをした。

「いっそのこと華やかな建物でも建てられていれば、これほどには悔しくないだろうに…」

巡和洞は撤去後、再開発組合員間の葛藤のために工事が中断された状態だ。 強制退去現場巡回団の人々がホコリ混じりの霧でいっぱいの空地に横断幕を掲げた。 「無責任な開発を謝罪し賃借人政策を立てよ」 ユ氏は涙を拭ってバスに乗り込んだ。

 一時間余りの後、バスは京畿道(キョンギド)高陽市(コヤンシ)徳耳(トギ)地区に到着した。 やはり空地だけがぽつんと残っているが、アスファルト道路の脇にテントが一つ立っていた。 テントの主 キム・ミョンジャ(52)氏が巡回団を笑顔で迎えた。 キム氏はここでテント籠城4年目だ。

 ここで200坪の家具店を営み30坪の家で娘3人を育てたキム氏は、2006年再開発が始まるとともに強制退去にあった。 賃借人だったキム氏は権利金は一銭も受取れなかった。 建物の大家は暴力ガードマンを呼んでキム氏一家を追い出した。 テントを張って孤独な戦いを始めたが、その過程で夫と離婚した。 キム氏は三人の娘と共に撤去の不安と恐怖に耐えながら、今もテントで暮らしている。

「それでも私たちは生きているじゃないですか。 亡くなった方たちもいるのに…」

キム氏が龍山惨事の遺族ユ氏の手を握った。「次は良いところに引っ越してください」 ユ氏はキム氏の肩を叩いて励ました。

 その後、バスは京畿道(キョンギド)金浦市(キンポシ)新曲(シンゴク)に向かった。 かつて工場90棟余りが建って活気に満ちていた町内には、怪物のようながらんどうの建物だけが残った。 2005年に再開発が始まったが、不動産景気の低迷と資金不足のために開発が中断された。 再開発組合まで解体された。 何の甲斐も無かった再開発のために250余世帯のうち200余世帯が去っていかなければならなかったわけだ。

 「町内が完全に荒廃しています。 外部から人が死に場所を求めてわざわざこの誰もいない建物を訪ねてくることもありましたよ。」 チョ・ギュスン全国撤去民連合金浦新曲第6地区委員長が話した。 龍山惨事遺族チョン・ジェスク氏は空の建物を、かなりな時間をかけて見て回った。 「なぜこんなに急いだんでしょう。 実際には何もしないくせに。 もどかしくて、心が痛みます。」

 午後3時、バスは大漢門の座り込み村に戻った。 現場を見て回った大学生イ・カヒョン(21)氏は「フェイスブックを通じて参加申し込みをしたが、撤去民と直接会ってみると一層胸が痛む」と話した。 何人かの参加者は龍山惨事の現場であるかつての南一堂ビル跡に立ち寄った。 2009年1月20日撤去民5人と警察官1人が亡くなったその現場は、追加分担金問題で事業が遅れ工事が中断された状態だ。 空地同然の駐車場ができている。

 強制退去現場巡回団がこの日見て回った中区巡和洞、高陽市徳耳、金浦市新曲地区で再開発工事がいつ再開されるかは分からない。 汎国民追慕委は17日午後2時、国会議員会館で強制退去証言大会を開く。 19日午後2時には南一堂ビル跡で追慕大会を開き、20日には京畿道磨石(マソク)の牡丹(モラン)公園烈士墓地を訪ねて犠牲者を参拝する予定だ。

チェ・ユビン記者 yb@hani.co.kr

https://www.hani.co.kr/arti/society/society_general/569836.html 韓国語原文入力:2013/01/15 21:26
訳A.K(2484字)

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