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[朴露子ハンギョレブログより] 悲しい思い

登録:2012-12-23 16:55 修正:2012-12-24 08:47
朴露子(パク・ノジャ、Vladimir Tikhonov) ノルウェー、オスロ国立大教授

 ついに来るべきものが来ました。多くの人々の予想どおり、二人の主流保守主義者の中で最悪の極右主義者が(株)「大韓民国」の CEOに選ばれてしまいました。もちろん、その(株)「大韓民国」を今日のような形に実質的に創立した軍事やくざ出身の創業主の娘が政権を握ったからといって、私たちが必ずしも再び軍事やくざたちの時代に舞い戻ることはないでしょう。維新独裁の始発点は、1971年の大統領選挙で朴正煕が当時としては極めて急進的に見えた金大中(キム・デジュン)に対して抱いた危機感でした。今回は(株)「大韓民国」の大株主たちに危機感を抱かしめるほどの非主流的な挑戦者が見当たったのでしょうか。真の意味での進歩的な候補といえるキム・ソヨン、キム・スンジャ候補の成績を見れば敢えて答えるまでもないでしょう。(株)「大韓民国」における政治闘争とは、結局のところ「単なる」新自由主義的保守と極端な国家主義的な色彩まで帯びている極右の間の競争構図に過ぎず、どちらもその大株主たちの立場を脅かすはずがありません。そのため、総選挙や大統領選挙のような制度が脅かされることはないと思います。どのみち、この体制の順調な稼動にはこの制度が必要だからです。独裁が再来したというより、大型土建プロジェクトや適当な安保商売、上国に対する朝鮮時代以上の盲従的態度、労働者にのみ適用される残酷な新自由主義的メカニズムなどがそのまま存続するということでしょう。「アカ狩り」は過去5年間に比べて果してひどくなるのか、ただ見守るしかありません。そうなるかもしれませんが、一方では(株)「大韓民国」の商品をそれでも買ってもらわなければならない外国の民衆などの感受性を勘案し、おそらく南営洞の拷問室が二度と復活することなどはないでしょう。

 国家主義、軍事ファシズムの遺産から比較的自由な「単なる」新自由主義的な保守、すなわちムン・ジェインは果してなぜ敗れたのでしょうか?窮極的には、これは軍事的ファシズム時代に対する民衆たちの相反する態度と関係があるようです。今回は朴であれ文であれ、ただ民生レトリックで新自由主義的本質を隠しており、双方の違いがあまり大きくない政客たちですが、彼らが拠って立つ「遺産」は各々異なります。朴の象徴的な政治資本は1961~1979年であり、文は1998~2008年の記憶を売り物にしています。解雇の恐怖に怯え、住宅担保融資を受けて今や不動産バブル崩壊に対する恐怖に震え、お金がなくて最高の塾に通わせることができなかった子供がもしかすると首都圏の大学に入れないかもしれないと震える韓国の人々の立場から見れば、果してどちらの時期がより大きな象徴的な価値を保持しているでしょうか。あえて問うまでもありません。1998~2008年の政権に比べれば当然(株)「大韓民国」の実質的な創業主は遥かに残酷でした。しかし、一面においては当時は(株)「大韓民国」がまだ売上高を急速に上げつつ資産と雇用の規模を拡大することができた時代だったため、「市場」は1998年以降よりは残酷さにおいては遥かにマシでした。これは必ずしも創業主の恩徳ではありませんでした。創業主が今も天寿を全うしていれば、間違いなく最悪の新自由主義者に換骨奪胎(?)し、非正規労働者を絞り取るやり方で、クソ「効率」を高めようと必死になっていたはずです。ただ人材が不足しており賃金が今の中国よりも遥かに安かった時代に「非正規労働者の搾取」はまだ無意味だっただけなのです。違いはそれだけだったにもかかわらず、かくも多くの人々がまだ創業初期の良き雇用市場や「小川から竜が出る(鳶が鷹を産む)」式の身分上昇の機会をすべて創業主の聖恩と見なしているようですね。北朝鮮の兄弟姉妹たちがロケットの打ち上げのような「強盛大国の成功」などを将軍様の恩徳と見なしているようにですね。ああ、私たちは本当に互いに違うのでしょうか?

 結局、高度成長時代に順調に就職し、奥地の学校出身でも努力さえすればソウル大に行くことができた時代に対する記憶の力で高木の棺商売がノ・ムヒョンの棺商売に打ち勝ったわけです。私たちの主流政治が棺商売から脱することができないという点は少々痛い話ですが、現実を直視するしかありません。今までどおり行けば、いかなる未来もない、まもなく甚だしい経済的な災いが避けられない国において残されたのは過去の記憶だけです。私たちはおそらく無意識的に私たちの未来が何をもたらしてくれるのかをきちんと自覚しているからか、安定的だった過去に回帰しようとしています。あの有名な駝鳥のように、そのまま頭を砂の中に突っ込もうとしています。しかし、復古調が私たちの頭を支配しても、現実は変わらないでしょう。景気の冷却化による非正規労働者の大量解雇も慢性的な青年失業も零細企業の倒産津波もそのまま続くか、あるいはさらに加速化するだけでしょう。朴候補の「民生」の話は結局MBの「747公約」と同じように、「非科学的な幻想小説」としてのその本質をあらわにすることでしょう。たとえ「維新血統」といえども、維新時代のように活気あふれる雇用市場を朴当選者がいかなる魔法の杖でも再現させることはできないという事実がすべて露わになれば、民心は果してどこに流れるでしょうか?

 不吉な予感ですが、朴の見え透いた「政治詐欺の発覚」はおそらく当分は新しい「安哲秀現象」につながりそうです。労働政治のゲットー化、分裂、内紛もさることながら、基本的には今のところは「成長」に慣れてしまった(株)「大韓民国」の被雇用者たちの絶対多数は、自分たちがこの搾取工場を直接引き受け、「労働者による直接管理」方式でより人間的な環境に改造できるという考えをほとんど持てないようです。「レッド・コンプレックス」の問題もあるでしょうが、何よりも「成長神話」への私たちの自己同一化が根本的な問題です。私たちは「一生懸命生き」一生懸命競争し、一生懸命弱者を踏み付け、一生懸命諂い、一生懸命組職生活をし、うまくいけば一生懸命に上を目指す生き方に深く中毒されており、もはやそれ以上は上がないとわかっていても、その生き方からなかなか逃れることができません。私たちは長期間死ぬほど働いても、その疲れを酒や妻をなぐることで癒し、いくら非正規雇用で常に解雇の恐怖にさらされていても、なんとか個人的なネットワークやもっと殺人的な労働を受け入れる態度などで解決しようとする、そのような生き方から一歩抜け出たいかなる地平も見ることができないのです。もちろん全部ではなく、多数がそうだということです。しかし、私たちがいくら韓国的な資本主義に完全に慣れてしまい、それ以外の生き方が見えなくても、資本主義に内在する不安はいつか私たちの生き方を根こそぎ引っこ抜いてしまう確率は高いのです。その時は私たちは世界を認識し直さなければならないことでしょう。

朴露子(パク・ノジャ、Vladimir Tikhonov) ノルウェー、オスロ国立大教授・韓国学

http://blog.hani.co.kr/gategateparagate/54141 韓国語原文入力:2012/12/21 00:39
訳J.S(2942字)

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