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身分なき韓国在留27年、「毎日が恐怖だった」…未登録移住民の「希望奪われた人生」

登録:2026-06-16 02:48 修正:2026-06-16 09:34
事務金融ウブントゥ財団-マルコ 
「長期在留未登録移住民の生活と公正な移住政策」
難民人権センター、移住労働者平等連帯などの移住民人権団体のメンバーが14日午後、ソウル鍾路区の政府ソウル庁舎前で、未登録移住民の在留権保障を求める記者会見をおこなっている=チョン・ヨンイル先任記者//ハンギョレ新聞社

 パキスタンのカラチを出発したアミルさん(仮名、49)は、1999年にソウルの金浦空港に降り立った。

 それから27年、青年は中年になり、子どもは大人になった。アミルさんも韓国で働き、稼ぎ、夢を見、子どもができ、体を痛め、成功し、挫折した。他の市民と同じように、人生のあらゆる瞬間を経験してきた。ただひとつ違うのは身分がないこと。「未登録移住民」。彼を説明する身分といえば、それくらいのものだった。

 ある社会で登録されていない身分で一世代近くの時を生きるというのは、どのような意味を持つのだろうか。その人生を見つめた研究報告書が15日、国会で公開される。移住労働の研究者や活動家が結成した研究会「マルコ」が、事務金融ウブントゥ財団の支援を受けて発表した「長期在留未登録移住民の生活と公正な移住政策」だ。短くて12年、長いと35年も未登録の身分で韓国で暮らしてきた10人の移住民の語る個人史の記録だ。取り締まりが怖くてバスや地下鉄にも乗らず、昼は隠れて夜に働き、子どもの健康や夢を目の前で失う危機にさらされる生活は、あらゆる局面で想像を超える「事態」に満ちている。そのような生活に適応し、今では故郷に帰ることもできない境遇。追放は続いている。

 政府は専門家と共に外国人材統合支援タスクフォース(TF)を設置し、未登録移住労働者対策を準備している。未登録移住民労働者の一部の合法化問題も議論の対象となっている。国内の事業所の必要に応じて、不安定な境界で数十年を韓国社会で過ごし、適応してしまった「長期在留」移住民問題を解決すべき時期にきているという声も高まっている。

 本稿は、報告書の口述内容と一部の追加インタビューによって、「長期未登録移住民」の人生を再構成した。認められた在留期間を超えた「不法在留外国人」は、2024年時点で39万7522人。そのうち10年以上在留している人は4万7566人にのぼると推定されている。

■青年時代:透明人間変身記

 「雨が降っていて、気分が良かった」。アミルさんが韓国にやって来た1999年、コビルさん(仮名、47)もバングラデシュから韓国にやって来た。良い気分は、入国時に持ってきた3カ月の事業ビザの在留期限の満了と共に終わった。その日から現在まで「いつも怖かった」という。

 恐怖が目の前に迫った「あの日々」の中でも、コビルさんは「2002年か2003年ごろ」を語っている。10人の移住民が集団生活していた家が「イミグレーション」に襲われたのだ。「イスラム兄さんとヒル兄さんが捕まってしまいました」。ちょうどトイレにいたコビルさんだけが助かった。

 「自分だけが助かったので胸が痛んだ」青春の日々を経験しつつ、逃げ方を身につけていった。山へ。「とにかく山へ逃げました。年に3、4回は山に行きます」。屋上へ。「でなければ屋上に行きます。途中で足を骨折したり腕を骨折したりした人もたくさんいます」。隠れる方法も身につけた。「取り締まりがある時は、私たちは市内にも出ていかず、夜も外に出ません。病気になっても病院には行きませんでした」

 コビルさんが27年間逃げ回り、隠れ通したのは奇跡に近い。2024年の1年間に、取り締まりで強制退去させられたり出国命令・勧告を受けたりした移住民は8万1206人で、未登録移住民全体の20%にのぼる。諦めて成し遂げた奇跡だ。例えば、フィリピンからやって来たチャドさん(仮名、58、27年間在留)は「公共交通機関」と「昼」を諦めた。「私は絶対に地下鉄には乗りません。バスも昼間は乗りません。私の人生には昼がなく、夜だけがあるみたいでした」

 先に捕まった仲間に対する罪悪感、外出、公共交通機関、昼。あらゆることを諦めても、最後まで手放せないものがある。「家族」だ。

■中年時代:父親の孤軍奮闘

 アミルさんは2010年に三女を授かった。「妻がオムツを替えるとき、叫びながら私を呼んだんです。驚いて行ってみたら、赤ん坊に肛門がない。あの病院(子どもが生まれた産婦人科)はなぜ言ってくれなかったのか。子どもが死んだらどうするのか」。手術費用が2000万ウォン必要だった。手もとにあるのは200万ウォン。健康保険があれば、希少疾患の算定特例で数十万ウォンで済む手術だった。彼も娘も未登録だったため、健康保険はない。

 絶望の中で「とても優しい」医師と「マリア姉さん(ある移住民センターの所長)と人々」が助けてくれたおかげで手術ができた。治療は続けなければならなかった。健康保険が必要だった。「その時、ある人に、難民申請すればビザも出るし、健康保険も作れる、そう言われたんです」。父親になってみると、隠れるだけでは解決できないことがあった。無理な挑戦を試みた。

 アミルさんが難民申請まで試みたのには、やむを得ない事情がある。非熟練外国人が合法的に10年以上韓国に住むためには、熟練技能人材ポイント制ビザ(E-7-4)を取得する必要がある。発行規模は年間3万人ほどと少ない。2017年にこのビザが登場する前に未登録状態になっていた人は、対象にもならない。永住権は、今年の基準では年収約1億ウォン(1人当たり国民総所得の2倍)以上なければ申請できない。

 在留権へとつながる唯一のはしごだった難民認定訴訟は、あっけなく終わった。「(法廷では)話したいことがたくさんあった。私が韓国に来てどう生きてきたか、うちの家族や子どもたちがどのように暮らしているのか、そんな話。私たちに与えられる時間は10分しかありません。5分は裁判官が話し、私たちが話せるのは5分だけ」。十数年の苦しみを5分で吐き出させ、アミルさんの難民申請は2016年5月に棄却された。数百万ウォンの弁護士費用が無駄になっただけだった。「ソウルに63ビルがありますよね。あれを見ながら、飛び降りようか。そんなことまで考えました。つらすぎるから」

 それでも韓国を離れることはできなかった。すでに韓国に同化してしまっていたからだ。韓国もまた彼らを求めていたからだ。

■壮年時代:ただの近所の人

 いつの間にか40代後半になっていたバングラデシュ出身のコビルさんは、「未登録の熟練労働者」だ。家具工場の「塗装」パートのチーム長だ。この仕事だけで16年やってきた。朝寝坊が多く、出勤が遅くても特に問題はない。従業員を代表して仕事をめぐって社長と論争するのも、コビルさんの役目だ。「近ごろ、私も仕事がうまくいってましてね。技術を学んできましたから。だから話せるんです」

 求職は彼らにとっていつもそれほど難しくはなかった。単純製造業は慢性的な労働力不足だった。数十年にわたり「自ら」経験を積んできた労働者は貴重だった。韓国労働研究院のイ・ギュヨン上級研究委員は「外国人非合法市場が形成されるのは、基本的に外国人材に対する需要が存在するから」だと語った。

 仕事から始まった関係と生活は、最終的に「アイデンティティー」すら変えた。コビルさんは工場長として出会った「スチャン兄さん」と20年来の付き合いだ。近所のスーパーの社長とは、休暇に江原道へも一緒に行った仲。「取り締まり班」が現れたら、最初に知らせてくれるのは近所の人たちだ。「取り締まりを見た、取り締まりの車を見た、気をつけろよ、と。こういう風に(知らせてくれる)」。韓国人と過ごす日常に馴染んでしまっている。バングラデシュは遠い存在だ。「20代で韓国に来たでしょ。肝心のバングラデシュについては何も知りません。あそこでは何の仕事もしていませんから」。コビルさんは自身のことをただの韓国のある町の人間だと思っている。

 韓国で生まれたか、または韓国で育った「子どもの世代」になると、「故国」などという単語はなおさら混乱のもとだ。「うちの子たちはパキスタンの文化も知りません。学校にも行けません。何もありません。ご飯も食べられません」。アミルさんは韓国で生まれた子どもたちを思い浮かべながら言った。

■再び青年時代:世襲

 アブドゥルさん(仮名、26)がアミルさんのようにパキスタンのカラチを発ったのは12年前のことだ。14歳だった。一緒に韓国に来た両親は先にパキスタンに帰り、アブドゥルさんだけが残った。その理由はアミルさんの子どもたちと同じだ。「あの国は私にとってむしろ馴染みのない国なんです、率直に言うと。そしてパキスタンでは働けません。ここの技術はあっちの技術とは合わないし」

 アブドゥルさんは、すでに4万人あまりが並んでいる未登録長期在留移住民の列に加わった。在留権を持たない立場は、子どもの時から一緒に過ごしてきた友人たちの青春とは対照的だ。「(親しい友人は)ある人は欧州を、ある人は中国を旅行している。それは少し羨ましいです。私も行きたい」。取り締まりを避けて隠れているし、そのような状態で夢を見てもよいものか確信が持てない。「ただこうして長い間いたわけで、今までチャンスがなかったじゃないですか。これからもチャンスがあるかどうか…。ない可能性の方が高いです。私が思うに」

 長期在留の可能性とそれについて回る生活を考慮してこなかった数十年の移住政策が生み出したアブドゥルさんの青年期は、先人たちのように諦めと混乱の連続だ。移民政策研究院のチェ・ソリ上級研究員は「移住民の大多数に対して、合法的な在留の道は事実上閉ざされている。既存の未登録移住民に対しては審査を通じて在留を許可すべきだ。その対象と基準について社会的に考えていくことが必要な時に来ている」と述べた。

 アミルさんの三女は無事に成長し、高校1年生になった。続いて生まれた小学校3年生の弟は、料理人になりたいと言って家でユーチューブを見ながら韓国料理をよく作る。子どもの未登録移住民に「臨時」在留権を付与する法務省の救済措置により、当面は在留権が保障されている。ただし、その後は不確実だ。「私には他に欲しいものはない。子どもたちに人間らしく生きていってもらいたいだけ」。未登録長期在留という身分の世襲を断ち切るためのアミルさんの必死の努力は、これからも続く。

*移住労働研究会「マルコ」研究陣:ソ・ソニョン(忠北大学教授、社会学)、キム・サガン(移住と人権研究所研究員)、キム・チョルヒョ(慶尚国立大学教授、社会学)、イ・テジョン(聖公会大学労働史研究所研究員)、チョン・ヨンソプ(移住労働者労組活動家)、ハン・ジュンソン(江原大学教授、多文化学)

ナム・ジヒョン、チャン・ヒョヌン記者 (お問い合わせ japan@hani.co.kr )
https://www.hani.co.kr/arti/society/society_general/1263522.html韓国語原文入力:2026-06-15 05:00
訳D.K

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